負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬も悪魔も好きなゆでたまご「エンゼル・ハート」

メディアミックスならぬ、ノワールな探偵ものとオカルトが見事に融合したジャンルミックス的なアラン・パーカーの代表作

(評価 79点)

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アラン・パーカーの卓抜な映像センスここにきわまる。ノワールならではのムーディな映像とオカルチックなシーンがシャッフルする本作は、まさにパーカーのビジュアルセンスの独壇場。

 この負け犬がもう三十年来、欠かさず続けている習慣がある。それは毎朝、一個ゆでたまごを食べること。別に、好きだからというわけではないけれど、食の習慣として何となく機械的に日常化しているものは誰にでもあるのではないでしょうか。ただ、ゆでたまごが好きで好きでしょうがないという生き物もこの世にはいる。それは悪魔だ。たまごは昔から、人間のソウル、魂のシンボルと言われている。人間の魂を誰よりも好むもの、それは悪魔を置いて他にはいない。

 え、悪魔?これって探偵ものだよね?なんの予備知識も先入観も持たずに本作を見始めたら、誰でもそう思うに違いない。ブルックリンに事務所を構える私立探偵のハリー・エンゼルは、ある日ルイ・サイファー(ロバート・デ・ニーロ)と名乗る富豪からジョニーというステージ歌手を捜してくれと頼まれる。時代はノワールそのものの50年代、その探偵に扮するのが、当時、絶頂期のミッキー・ロークとくれば、雰囲気も申し分ない。そしてハリーが関係者を尋ねるたびに、その証人が次々に殺されていき・・とくれば何処から見てもフィルム・ノワールそのものだ。

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 映画にはたまに、マルチ・ジャンルという作品が現れる。もっとも分かりやすい例でいえば、出だしからどこから見ても、子悪党の逃避行を描くアクションものでしかなかった映画が、中盤からいきなり何の前触れもなくヴァンパイア・ホラーに豹変する、タランティーノの秀逸な脚本が光る「フロム・ダスク・ティル・ドーン」が有名だろう。あちらは水と油のようにそれぞれのパーツがはっきりと別れていたけれど、この「エンゼル・ハート」は、まさにジャンルミックスノワールとオカルトが見事に何の違和感もなく融合している。そして、それを一つの作品に昇華せしめているものこそ、本作の監督アラン・パーカーの映像に他ならない。

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 本作で誰かが殺されるたびに描かれる、それを暗示するようなオカルチックなフェノミナ。エレベータのドアのシルエット、回り続ける換気扇のファン、飛び散る血、そうした瞬間的な短いカットを駆使して描かれるこのビジュアルは、まさにアラン・パーカーの真骨頂。何度もリフレインされるこのシークェンスによって、オカルト・ノワールとでも呼ぶべき本作がいっそう魅力的なものになっている。エンゼルが事件を辿るうち、占い師のマーガレット(シャーロット・ランプリング)に行き着く。そのマーガレットが殺されるシークェンスの、表でタップダンスを踊る少年とのカットバックが実に見事。マーガレットが殺され、タップする足のクローズアップで、オカルチックなフェノミナが止む、そのリズミカルなシーンは何度見ても素晴らしい。

 また抜群の効果を上げているのが、舞台に設定された数々の風景。黒人たちの葬列、そして、やがて出てくる黒魔術の儀式や、沼地でのチェイス。白眉は、エンゼルがマーガレットを捜し、さびれた遊園地を訪れるシーン。人気のないコニーアイランドの遊園地でポツンと佇むミッキー・ロ-クを捉えたロング・ショット。そうしたアクセント的なシーンが本作はいつまでも印象に残るのだ。

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 何の変哲もない小物のクローズアップや、ミッキー・ロークの何気ない仕草を切り取る短いカットも含め、アラン・パーカーのビジュアルは、ちょうど同時代のエイドリアン・ラインの映像と実に良く似ているが、パーカーの作品の方が、よりストーリー性に満ち、シリアスなテイストがあるのが特長と言える。

 とはいえ、ミッキー・ロークの探偵の名がエンゼル。そしてルイ・サイファーと再び出会った時にサイファーが意味深に食べているのがゆでたまごとくれば、本作のストーリーのネタは誰でも予想がつく。ラストは正体が明らかになったサイファーに業のような因果を突きつけられて、地獄を暗示する下降するエレベータに乗るエンゼルのシルエットでエンディングとなるが、その直前に描かれる、まさに因果応報のスタイリッシュなセックス・シーンは、いつまでも余韻として残るほどのインパクトがある。

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 ちなみに公開された当時、誰よりも本作を絶賛していたのは、あの「必殺仕掛人」などで知られる時代小説の大家、池波正太郎。数々の映画評でも楽しませてくれた同氏が「キネマ旬報」誌上で、手放しで本作を褒めていたのを今でも覚えている。

 ところで、負け犬が毎日食べている、悪魔も好きなゆでたまご。その卵の成分に、認知症を予防する成分があるらしい。そんなことを聞くと何故かホッとするというのは、やっぱり、この負け犬がよっぽど年を取った証拠なんでしょうかね~

負け犬の骨肉のバトルロワイヤル「何がジェーンに起ったか?」

血縁者同士の愛憎とバトルほど醜く、恐ろしいものはない。当の血縁者が狂気に侵された人間ならそれは、とてつもないホラーになる。二大女優が激突するドメスティック・サスペンスの一級品

(評価 82点)

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あの「北国の帝王」でホーボーたちの死闘を描いた漢映画の巨匠アルドリッチが、老醜の姉妹の骨肉のバトルを描く監禁サスペンスの超一級の傑作。

 虐待にネグレクト、介護の末の無理心中、世の事件でも陰惨を極めるものは、家庭内という密閉空間で起こることが多い。本当に怖いのは、超自然の存在などではない。愛憎のあまり狂気の領域に踏み込んだ人間だ。そして、その愛憎は、その相手が、常に身近にいる血の通った血縁者であれば、尚のこと極限にまで倍増する。そこには血縁を守ろうとする動物本来のDNAが逆のベクトルに突っ走る狂ったメカニズムの作用でもあるのだろうか?

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 子役としてかつて一世を風靡したジェーン、それとは逆に成人してからスターとして脚光を浴びたブランチのハドソン姉妹。今や落ちぶれて酒浸りのジェーンとは裏腹の栄華にあるブランチとの絶えない確執のテンションはマックスにまで高まっている。やがて、ジェーンの運転が引き金となった事故により、今や車椅子の生活を余儀なくされている姉のブランチ。介護する側とされる側、そんな老いた姉妹が二人で暮らす家で、起こるべくして異様な事件が起きる。

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 本作は、この老いたジェーンを演ずるベティ・デイヴィスのいってみればワンマンショー。このジェーンが登場するファースト・カットで思わずのけぞる人もいるだろう。白塗りのドギツイ厚化粧に、ロリコンファッションが形骸化したようなヨレヨレのドレス。それを形容するなら、まさにグロテスク。しかし、このグロテスクが、エンディングまで映画を牽引する、強烈なインパクトになっている。

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 二階には、車椅子で暮らす姉のブランチ(ジョーン・クロフォード)が暮らしている。一つ屋根で暮らす老いた姉妹。そして姉を介護するその妹は、かつてヴォードヴィルの舞台で「ベイビー・ジェーン」として華々しくスポットライトを浴びていた過去の世界にのみ生きている。その異様な少女じみた風体もその成れの果てなのだ。そんな妹にとって、身障者の姉は憎悪の対象でしかない。だから、のっけから描かれるのはジェーンの姉のブランチに対するいじめだ。腹を空かせ、食事を待ちわびるブランチ。そこにジェーンが食事を持ってくる。しかし、そのフタを開ければ、皿にはインコの死体が置いてある。ブランチが飢えるまで食事をおあずけし、ようやく出した食事の皿にはこれまたネズミの死骸。

 ブランチの唯一の頼みは家政婦のエルヴァイラだが、ジェーンは巧妙に工作し、二人が暮らす家にも寄せ付けようとしなくなる。事態が監禁の様相を呈し始めた頃、ジェーンの妄想も肥大化する。その妄想とは、老醜のその姿で再び舞台に立つこと。そして、ピアニストのエドゥイン(ビクター・ブオノ)をレッスンの教師として家に招き入れる。

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 圧巻は、このシークェンス。エドウィンと話すうち、すっかりその気になったジェーンが、かつて少女の頃、舞台で歌い喝采を浴びた曲を踊りながら歌い始めるのだ。醜く老いさらばえたその姿をドギツイ化粧で隠し、このシーンの恍惚とした狂気とグロが混じったジェーンの姿の怖さと凄まじさ。この異常さは、鬼気迫るという言葉だけでは到底、表現できない。まさにアカデミー主演女優賞を獲ったのも頷ける、しかし、さすがにこのパフォーマンス、たかがオスカー像一個では足りないくらい、夢に出てうなされそうなぐらいのインパクトがあるのだ。

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 ジェーンの狂気ぶりが高まっていくのを目の当たりにしたブランチは、更に空腹のあまり食べ物を漁っていたドロワーの引き出しから、自分の筆跡を真似たジェーンが、ブランチの名義で小切手を乱発していることも知る。ブランチの生活も、そしてその糧もジェーンに食い尽くされていることを知ったブランチは、ようやくたどり着いた一階の電話で、かかりつけの医師にコンタクトを取ることに成功する。

 男臭い映画というレーベルのアルドリッチヒッチコックばりの鮮やかな演出で魅せてくれるのは、このシークェンス。医師が電話でブランチの様子を伺いに行くことを承諾し、ホッと誰もが安堵した時、外出していたジェーンが帰ってくる。このジェーンとブランチを平面構図で捉えたカットの実に見事なこと。そして最後の頼みの綱がシャットアウトされる絶望感!この揺さぶりこそまさに監禁サスペンスの醍醐味といっていい。

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 映画はこの後、サイコ・サスペンスの王道の展開に急激に加速する。そして最後に明かされるのは、結局、ブランチの半身不随が、天罰のような因果応報であったという意外な事実。血縁の闇の深さを一層、暗黒のレベルまできわめた後、はかないジェーンの姿で映画は終わる。しかし、ジェーンの少女時代のヴォードヴィルのイントロから、エンディングまで圧倒的な面白さでグイグイ引き付けてくれる本作には誰もが魅了されるのではないでしょうか。現に最初は、クラシックなモノクロの地味な映画として、そのタイトルは知りつつも近年に至るまで、本作を見ていなかった負け犬も、たちまち本作の虜になり、一発でマイホラー映画の殿堂入りをしてしまった。

 著名人のファンも多い本作。特に家庭内のドメスティックホラーでその真髄を発揮していたホラー作家の楳図かずおさんもその一人らしい・・なんてことを聞けば、ほら、そこのあなたもきっと見たくなるのではないでしょうかね~

負け犬もむせび泣く任侠のド演歌「クラッカー/真夜中のアウトロー」

長ドスならぬコルト・ガバメントを両手に構え、コンバット・スタイルのキメポーズ!これぞ男が燃えに燃える任侠の花道、さすがの唐獅子牡丹の健さんもこれには敵わない。

(評価 79点)

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金庫破りは夜なべの突貫工事。ジェームズ・カーンのコンバット・スタイルの銃構えにマガジン交換といったリアルなディテールに熱くなる。そしてとどめに哭きのギターとくればもう何も文句なし。

 80年代に突入して間もない頃、本作が日本で公開された時の反応は、おしなべて無反応だった。もう時代遅れの金庫破りの映画なんか見たくない、そんなあからさまな映画評もあったと記憶する。だから、本作は、負け犬のアンテナにもまるで触れることもなく、記憶の淵からキレイさっぱり消え去った。

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 そして数年後、TVをつけたら本作のクライマックスのいよいよ終わり、主役のフランクを演ずるジェームズ・カーンが弾着し地面に倒れ、起き上がりざまにコルト・ガバメントのマガジンを交換、装着し反撃する、ほんの1,2分にも満たないクリップが映し出され、そのままエンディングとなってコマーシャルになったのです。しかし、その時の、それまで見たこともないようなリアルな銃によるコンバット・シーンに驚き、新聞でエア・チェックしてみたら、さっき放送されていたのが、そのタイトルだけ記憶にあって、存在は忘却していたこの「クラッカー/真夜中のアウトロー」だったことを知ったのだ。

 それからもそのシーンが記憶の隅に住み続け、本編を見たいと思いつつ、十年近くも経った頃、行きつけの輸入DVDの専門店で本作を見つけ、まよわず購入し、早速、見たら、これがもう男泣かせの大傑作ですっかり身も心も魅了されたという次第。

 原作は、窃盗犯のリアルな手口を描いたフランク・ホイマーによる「THE HOME INVADER」。映画の原題もそのものズバリの「Thief(窃盗犯)」。マイケル・マンはその原作のリアリティーを生かしつつ、自らの繊細かつ現代的なビジュアル感覚を盛り込み、エイティーズにふさわしい独特のネオ・ノワールとでもいうべき世界を作り上げた。

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 映画のフォーマットは、絵に画いたようなフィルム・ノワールそのもの。フランク(ジェームズ・カーン)は、中古車販売業を営む男。しかし、そのフロントの顔とは別に、裏では黒社会とコネクションを持つ金庫破り専門のプロの窃盗犯だった。その腕が見込まれたフランクは組織の大物レオ(ロバート・プロスキー)にある大掛かりなヤマを持ちかけられ、気乗りしないまま仕事をやり遂げるが、報酬をピンハネしたレオに仲間まで殺され、怒りに燃えたフランクは遂にレオに報復する、という手垢まみれのストーリー。

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 しかし、その原作のリアリティーを生かした数々のディテールと、しっかりと書き込まれたキャラクターによって本作は一味も二味も違うテイストの男のノワールになっている。特筆すべきは、やはりそのリアリティー。本作における窃盗シーンは、ピッキングなどという生易しいものではない。それはもはやあらゆる機材を使った突貫工事のレベル。とりわけクライマックスのレオから請け負った金庫破りのシーンなど、完全に夜なべの解体工事そのもの。仲間とともに耐火用の防護服に身を包み、ビルの解体工事さながらにドデカい音を立て、金庫の中に顔馴染の業者に作らせた特注の細いノズルで直接、高熱の火炎を流し込み、焼き切っていく。こんなに生々しい金庫破りのシーンはこの映画以外でお目にかかったことがない。キャラクターの書き込みも巧みだ。盛りを過ぎたフランクには、やはり中年の連れ合いのジェシー(チューズデイ・ウェルド)という恋人がいる、もう若くはない中年カップルの心の隙間を埋めるもの、それは子供。しかし、ジェシー不妊症もあって、二人が喉から手がでるほどに欲しいのは、養子なのだ。

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 フランクがレオの仕事を渋々、承知したのも、養子を世話するという、レオがフランクの足元を見透かし提示したその交換条件のためだった。フランクとジェシーが夜更けのダイナーでしみじみと会話するシーンの実に素晴らしいこと。ちょっとしたインサート的なシーンも含め、本作はこうしたディテールの積み上げが実に上手い。

 しかし、それよりも何よりもこの負け犬がその胸を熱くして感動したのが、マイケル・マンが、日本のヤクザ映画が束になっても敵わないほどの、演歌の花道とでもいうべき、喉チンコからふりしぼったような日本人にしか歌えないはずのコブシを見事に効かせてくれていること。

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 最後、すべてを捨てたフランクはレオの邸宅にコルト・ガバメント一丁携えて殴り込みに行く。コンバット・シューティングのスタイルで目的地に進み、レオを見つけたフランクは、容赦なくレオの胸めがけ弾丸を撃ち込む。この時、胸から血を噴き出し、のけぞるレオのスロー・モーションの絶妙なタイミングでギターの音色が鳴り響く。そのタイミングとテイストは。まさに唐獅子牡丹の東映任侠映画の世界。タンジェリン・ドリームによる、まさに夢のようなテーマ曲の中の銃撃戦(TVで目撃したのは、このシーンの終わりの方だったのです)の陶酔感。

 最後、敵を倒し、自らも傷ついた体で、ゆっくりと立ち上がり、去っていくレオを捉えるキャメラで本作は終わる。その夢見心地の中、負け犬の心に、マイケル・マンの名が漢映画の巨匠として刻まれたのは言うまでもない。

 たとえ題材が古臭くたって構わない。古い革袋でも、そこに注ぎ込むクリエイターの熱い思いとこだわりがあればその映画は傑作になる、そんなことを見るたびに教えてくれる、負け犬にとってはかけがえのない映画なのです。

負け犬の過激な公園デビュー「ニューヨーク・コマンドー/セントラルパーク市街戦」

隠し玉のように面白い映画、こっそり教えます!小粒だがピリリと辛い、B級映画の超快作は、まさにあの「ランボー」の公園デビュー

(評価 76点)

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 「公園は俺のもの!」秀逸なアイデアと簡潔なプロット。低予算でも抜群に面白い、これぞB級映画フリークが偏愛するショー・ケース。

 ニューヨーク・コマンドー/セントラルパーク市街戦!思わずのけぞってしまうほど恥も外聞もないようなあからさまな邦題だけど、原題は「PARK IS MINE」、そう「公園は俺のもの!」なのだ。

 70年代にかけて、お茶の間の視聴者を当て込んで、粗製乱造されていたTVムービー。その中には突然変異のようなスピルバーグの「激突」のような、とんでもない程の超傑作もあったけど、大抵は面白さもマイルドな当り障りのない作品が殆どだった。それでも、やはり傑出した作品は出て来るもので、1985年に製作されたTVムービーの本作は、その見本のような作品。

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 開巻、いきなり鳴り響くサイレン。BGMに流れるタンジェリン・ドリームのいかにも80年代テイストの音楽が心地いい。救急車がかけつけたのは、ビルの屋上で何かを喚く男を見守る群衆で騒然としているとあるビル。男は自らの窮状をひとしきり訴えるとそのまま飛び降りる。数日後、死んだ男の友人だったミッチ(トミー・リー・ジョーンズ)が男の住んでいたアパートを訪れる。そこには男によってしたためられた一通の手紙が残されていた。手紙にはセントラルパークの一画に貯め込んだ男の遺品のことが記されていた。

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 ミッチはベトナムの帰還兵で、帰還後も定職になじめず、妻にも愛想を尽かされ、フリーター同然の男。そんなミッチが自殺した戦友から授かったのは、ベトナムの戦場のメモリアルともいうべき数々の武器、弾薬、コンバットギアだった。手紙を頼りに、公園にあるというその隠し場所を見つけたミッチ。そのまま公園を去ろうとするが、パトロール中の警官から受けた卑劣なハラスメントと元妻から冷たく突きつけられた三下り半に溜まりに溜まった怒りが爆発。かくして、ミッチは友人の形見のコンバットギアを颯爽と身に着けると、公園は俺のもの!といわんばかりにバイクに乗って公園内を疾走し始める。

 どうです?面白そうでしょう?面白そうだけじゃない、面白いんですよこの映画。一人のオッサンが軍用装備で身を固め、公園内を我が物顔に闊歩し始めたら、誰だって仰天する。ニューヨークはたちまち騒然とし、市警もコンバット舞台を送り込むが、公園内にミッチが仕掛けたブービー・トラップと、ゲリラ戦術によってあえなく撃破。やがて市が軍隊まで送り込む、市民の憩いの場のはずの公園が、さながら戦場と化す事態にエスカレートし、という本作のプロットは、B級映画好きなら涎でも垂れてきそうな王道の展開に。

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 主演のトミー・リー・ジョーンズは言うに及ばず、特ダネを嗅ぎつけて公園に侵入しミッチに囚われてしまうTVの女性リポーター、ヴァレリー役のヘレン・シェーバーや、お馴染みの黒人俳優ヤフェット・コットーなども実にいい味を出している。

 ミッチが神出鬼没のゲリラ戦を繰り広げながら公園の公衆電話で訴えるのは、ベトナム帰還兵の待遇を改善せよ、という実にシリアスな主張。これを目の当たりにしたリポーターのヴァレリー(ヘレン・シェーバー)もミッチに同情し始め、ニューヨーク市民もいつしかミッチをヒーローに祭り上げて行く、というサビまで加わればB級映画フリークがヒートアップするのも当然至極。 

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 まさにランボーの低予算の公園版。こんなイカす本作だが、本作のDVDは、日本はもちろん、本国のアメリカでも長らくリリースされていなかった。それが近年になって本国でようやくリリースされ、とりもなおさず輸入盤のそれを購入し溜飲を下げたのだった。本国でもこの映画の隠れファンはいるらしく、タイトルをもじって「DVD IS MINE!」と喜びをあらわにするレビュアーも見受けられた。

こんな、小粒でもピリリと辛くも抜群に面白い、B級映画フリークの心をくすぐる快作を、そこのあなたもいかがでしょう?

 

 

<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>負け犬の凡才に捧げるレクイエム「アマデウス」

天才アマデウスモーツァルトの早すぎる死を、凡才の視点からミステリー仕立に描いた超傑作。何度見ても超絶的に面白いドラマの実際のスクリプトから、サリエリの有名な最後のセリフをご紹介

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 人生は残酷だ。凡才はどんなに努力しても天才になることは出来ない。三流の野球選手がどんなに努力してもイチローにはなれないし、格下の将棋の棋士が死ぬほど努力したところで、藤井聡太になることなど絶対に有り得ないのだ。

 モーツァルトの死、という史実を、凡才から見た天才という、斬新な切り口からミステリー調に描きアカデミー賞の8部門に輝く本作。名作という古臭い形容では勿体ないほどのエンタメ性に満ちたドラマのエンディングは、モーツァルトに憧れ、同時に嫉妬し、憎むことに人生を費やした一人の宮廷音楽家サリエリの、凡庸に生まれついたすべての人間たちに捧げる呪詛ともレクイエムともとれるセリフで終わる。本作の基になった舞台劇の原作者ピーター・シェーファー自身の手による撮影用の実際のスクリプトには以下のように書かれてある。

OLD SALIERI

Goodbye, Father. I'll speak for you.  I speak for all mediocrities in the world. I am their champion. I am their patron saint. On their behalf I deny Him, your God of no mercy.  Your God who tortures men with longings they can never fulfill. He may forgive me: I shall never forgive Him. Mediocrities everywhere, now and to come: I absolve you all! ! Amen! Amen!

(老いたサリエリ/さようなら神父様。わたしは、あなたのために話すのです。というよりこの世界のすべての凡人のためにというべきか。わたしは、凡人の味方なのです。いわばわたしは、凡人たちの守護聖人。そんな彼らに成り替わってあの方に、無慈悲な神に背中を向けるのです。偉大な神は、人間たちを苦しめる、その人間たちとは、決して成就を果せない憧憬に身を焦がし続ける人間なのです。神は、こんな私を許してくださるかもしれない。でも、わたしは神を許さない。至る所にいる凡人たちよ。今もここにいて、今後も生まれ続ける凡人たちよ。我はあなた方すべてを赦したもう!アーメン!アーメン!アーメン!)

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 まさに凡人、凡才のオンパレード。平々凡々に生まれついて何の取り柄もないこの負け犬など、サリエリのこのセリフを聞くたびに耳を塞ぎたくなってくる。しかし、こんな陰鬱なエンディングで終わる本作だが何度見ても面白いことに変わりはない。

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 サリエリの自殺未遂から始まる衝撃のイントロから、差し向かいで座る神父にサリエリが語り始める導入部にたちまち引きずり込まれ、それまで見たこともない、とんでもなく天衣無縫なモーツァルト像に驚かされ、高笑いしながら完璧にピアノを弾きこなすモーツァルトを演ずるトム・ハルスの演技に驚愕し、モーツァルトに愛憎入り乱れた感情を抱いた挙句、一線を越えてモーツァルトの殺害までも企てるそのサリエリの計画に釘付けとなり、気付けば2時間40分もの長尺が何度見ても、あっという間に過ぎている。

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 サリエリは、モーツァルトの才能を忌み嫌いながらも、心の底から感服し、遂には敗北を認めひれ伏し、絶望のままに人生を終える。その姿は、凡庸に生まれついて、凡庸なままに過ごし、メディアに次々と入れ代わり立ち代わり登場する天才たちを、ただ黙って指をくわえて見つめる我々の姿そのものなのだろう。だから、普段は遠目に見つめるはずだけの近寄り難いコスチューム・プレイというジャンルの本作に、これほどに近い距離感を覚え没入してしまうのだろう。

 ちなみに本作をこよなく愛した著名人がいる。多作ぶりではモーツァルトに匹敵するともいわれたマンガ家の手塚治虫だ。自らも才能がありながらも、抜きんでた才能を持つ若手が現れると嫉妬心をあからさまに剥き出しにしていたと言われる大家だけに、本作に感ずる思い入れにはひとしおのものがあったのでしょう。

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 努力すれば実を結ぶというのはよく言われること。しかし、我々は、特に負け組代表の負け犬のような人間は、凡才がいくら努力してもまるで報われないことを、心のどこかで認めている。だからこの「アマデウス」のように、努力しても無駄だと、言い切ってくれた方がいっそのこと気持ちがいい。何故なら、無駄だと分っていても、人間は何がしかの努力をするもの、その無駄な努力をすることに楽しみを見出す生き方だってあるのだから。

負け犬にも明日は来る!「俺たちに明日はない」

不覚にも近年になってようやく目撃した、あのあまりにも有名な負け犬たちの血みどろのハチの巣ダンスは、やっぱり衝撃的だった

(評価 82点)

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セブンティーズのニューシネマニアの負け犬が、何故か見ていなかったニュー・シネマの先駆的な代表作。近年、ようやく目撃したその作品のあまりの素晴らしさには感動しかなかった。

 七不思議の一つ。ニュー・シネマは総ざらいして見ているはずの負け犬が何故か本作だけは見ていなかった。ソフトにしたって、昔から、いくらでも出回っているのに何故だろう?そこで、いそいそと見てみたら、それもそのはず当たり前、今更ながらのこの傑作と出会えた喜びに打ち震えたのだった。

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 ボニーのダナウェイがいきなり出てくる、そのシーンのヴイヴイッドな演出からして只物ではない。通りすがりのクライド(ウォーレン・ベイティ)がボニーの家の前に停めてあったボニーの母親の車をくすねようとしたところを、二階の窓から覗いていたボニーに見つかって、というのが電撃的な二人の運命の出会い。ばつの悪さを隠しつつ、そぞろ歩きをするうちに、すっかり意気投合した二人は、退屈な田舎暮らしにうんざりし、マックスにまで高まっていたボニーのフラストレーションもあいまって、いよいよ歴史に残る極悪行脚の旅に出る。

 1967年、暴力、セックス、芸術、ニュー・シネマ!のキャッチ・フレーズと共に、世界を震撼させた本作のインパクトは微塵も衰えていないどころか、この21世紀の閉塞感を漂わす今だからこそ、その衝撃が新鮮そのものに思える作品だった。

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 電光石火の銀行襲撃を繰り返し、たちまち時の人となる、ボニーとクライド。行きずりのスタンドで、腕利きの整備士モス(マイケル・J・ポラード)を仲間に引き入れ、兄のバック(ジーン・ハックマン)と妻のブランチ(エステル・パーソンズ)も加わって、さらに一行の行動は、過激にワイルドになっていく。何といっても、アカデミー助演女優賞も納得のブランチ役のエステル・パーソンズが出色。クズ同然の一行に加わりながらも、やたらと牧師の娘であることのプライドだけを鼻にかけ、いつもギャーギャーと神経質にわめいて、ボニーとは犬猿の仲で一触即発のトラブル・メーカー。そんな三人と、70年代のバイプレイヤーの顔ともいうべきチビっこマイケル・J・ポラードの存在感とが織り成すアンサンブル。

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 ベイティ、ダナウェイ、ハックマン、それにポラード。おまけにはチョイ役で笑わせてくれるジーン・ワイルダー。この顔ぶれにこのキャメラのルックス。これだけ揃えば、もうセブンティーズのニューシネマニアにはたまらない。それだけではない、最後には伝説のクライマックスが待っている。

 一行の旅にも、暗雲がたちこめはじめ、バックとブランチが銃撃戦の果てに離脱。命からがら逃げ込んだモスの実家で、モスの父親が警察に内通したことから。いよいよボニーとクライドはその最後を迎える。

 二人がハチの巣となる伝説的なバイオレンスシーン。このスタイル、この演出に燃えない人間がいるだろうか。

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 飛び立つ鳥から、警察が全方位する気配を動物的に察知し、一瞬顔を見合わせる二人。その静から一気にマシンガンが火を吹く動に転化するその興奮。マシンガンの弾丸を全身に浴びる二人の弾着の凄まじさ、絶妙なスロー・モーションのインサート、そして全てが止んだ後の無常感に包まれたエンディング。

 デヴィッド・ニュートンロバート・ベントンのコンビによる、史実の綿密なリサーチに基づくこの脚本の映画化に至るまでの紆余曲折は、有名な話。しかし、「イージー・ライダー」をはじめ、伝説となった作品が全てそうであったのも同じこと。

 エログロ・ナンセンスの活力に満ち溢れた70年代を告げる起爆剤ともなったような本作を見ると、改めて体内に活力がみなぎってくるような気すらしてくる。悪党と落ちこぼれがヒーローとして唯一脚光を浴び得たその時代、本作のタイトルは、原題の「ボニーとクライド」では有り得ず、あくまでも「俺たちに明日はない」でなければならなかった。どんなみじめな負け犬にも必ず明日はやって来る。逆説的に世の中のすべての負け犬たちにエールを送る、そのタイトルゆえに本作は伝説となったのだから。

負け犬の過激なダイエット「マシニスト」

貧困層のやせっぽちの負け犬になるためにダイエットは欠かせない?リアル痩せ男のダイエット型スリラーの秀作

(評価 74点)

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バットマン」でビルドアップされたボディを見せつけていたクリスチャン・ベールの悲惨なほどの過激な痩せぶりにまずは誰もが掴まれる。ロシア文学にでも出て来るような陰鬱きわまりない主人公。どんよりとしたキャメラが、これもまた、どこかロシアの映画を思わせる。だが、ハっと気付けば、このグルーミーきわまりないスリラーに負け犬は引きずり込まれていた。

 冒頭、男があえぎながら誰かをカーペットにくるむ様子が、窓越しに映っている。男はそのまま車でカーペットにくるまれた誰かを運び、海に遺棄する。その時、何者かに懐中電灯に照らし出され、呼びかけられた言葉は「Who are you?」だった・・

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 意味深なこんなイントロで始まるこの「マシニスト」。まずは主人公レズニックを演ずるベールのガリガリの痩せっぷりに驚かされる。もしも、知り合いがいきなりこんな姿で現れたら、思わず「病気?」などと尋ねるだろう。そういえば、スティーブン・キングにも「痩せゆく男」というホラーがあった。あちらの痩せゆく男はジプシーの老婆の呪いで痩せてゆく。しかし、こちらの痩せゆく男は不眠症なのだ。しかして、その痩せゆく原因とは・・・?

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 コール・ガールらしき恋人未満の女スティービー(ジェニファー・ジェイソン・リー)とベッド・インの最中にも陰鬱に。もう一年も寝ていない、と漏らすレズニックの、いつも白夜を漂っているかのようなテイストが本作の魅力といえる。

 陰影の濃いキャメラ。それが最大限に引き立つ、レズニックの仕事場の暗い溶接工場の光景。本作のルックスは一見、アメリカ映画のそれとは思えず、どこか東欧の映画を思わせる。そのルックスの中、本作の監督ブラッド・アンダーソンは、ひたすらレズニックの日常のディテールを丹念に追ってゆく、そのスタイルは、どこかドストエフスキーの「地下室の手記」や、ロマン・ポランスキーのスリラーをも思わせる。

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 冷蔵庫に貼られた紙片に書かれたダイアグラム、工場で、レズニックが同僚の指の切断事故を招いてしまう引き金となるゴーストのような男。様々なシンボリックなキー・ワードが散りばめられたシュールな世界観は、まるでデビッド・リンチのスリラーのようでもある。またその貧困層丸出しのレズニックへの負け犬ぶりへのシンパシーもあいまって、なかなかアメリカ映画ではお目にかかれないテイストを持つこの映画にこの負け犬もいつしかズッポリとはまり込んでいた。

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 ギリギリの限界状態のボーダーラインを常にさまよい歩いている、レズニックだが、いつも立ち寄るエアポートのカフェでのバツイチの女との束の間の触れ合いで一息つきもする。しかし、再びの工場でのトラブルから、レズニックは解雇され、いよいよ痩せっぽちのレズニックがさらに痩せこけメタモルフォーゼしていくその姿は凄みがある。ただ一人寄り添える存在だったスティービーすらも拒絶し、いっそう鬼気迫るガリガリ君と化したレズニックはパラノイアの領域に突入していく。

 レズニックが痩せゆく原因とは何なのか、そしてその眠れない原因とは。レズニックはそもそも一体、何のパラノイアにとらわれているのか。謎だらけの物語のその真相が明かされるそのクライマックスまで、おそらく誰も目が離せないのではないのでしょうか。

 格差社会の落ちこぼれ、その貧困層の日常生活を描くというだけで、一つのスリラーとなっている、まるでゴーリキーの小説「外套」をホラー映画にしたかのような、このユニークな映画のスクリプトを描いたのはスコット・コーサという脚本家。「悪魔のいけにえ」やロメロの「クレイジーズ」のリメイクなど、主にホラージャンルの作品を手がけている脚本家とあれば、本作のホラーめいたテイストにも合点がいくのではないでしょうか。

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 全てのキー・ワードの意味が解け、ようやく謎だらけの日常から解放されたレズニックは、最後にゆっくりと瞼を閉じ安らかな眠りに落ちてゆく。その時、フラッシュ・バックされるのはガリガリ君になる前の自分、謎の重荷によってグロテスクなまでに身を削られる前の屈強な自分の姿なのだ。

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 ホラー・テイストな本作の、その謎の根幹を成すのは結局、キリスト教的なギルティなわけだけど、一番おののくのは、いくつもの映画で見慣れたクリスチャン・ベールから、神をも恐れぬ過激なダイエットで痩せこけたガリガリ君なベールとなったそのルックスなのには間違いない。これを見れば、そこまでやるか!と誰でも言いたくなりますよね~(そこが役者根性というやつなのでしょうが・・)