負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬カップルの淫靡な末路「赤い航路」

羞恥プレイにSMごっこ、遂には放尿プレイまで、一組のカップルが見せつける淫靡な関係の末路は哀しかった

(評価 80点)

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人間がその欲望のままに淫らな行為に埋没し、それをやり尽くした時、最後に残るのは何なのだろう。文学的でもありながら、猥褻な三文小説の俗っぽさも併せ持つポランスキーならではのエロスの世界。

 物語というものは、一体、この世の中のいつどこで、どのようにして生まれたのだろう。そのルーツたるもの、語り部が人に何かを語って聞かせることが起源だったことは、おそらく間違いない。きっと、その習性が本能として刷り込まれているのだろう、だから、人間は、物語というものに惹きつけられ、その耳を傾けてしまうのだ。

 そして、聞きたくもないのに必ず人がいやでも聞き耳を立ててしまう物語のジャンルというものがある。猥談である、人間の口から直接語られる、いやらしい淫らな物語の魅力に人間というものは抗えないものなのだ。

 本作はまさにその猥談の世界。三色刷りの淫らな挿絵がふんだんに盛り込まれたエロ小説、どこかグロテスクな怪奇さをも漂わせる江戸川乱歩の世界そのもの。

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 地中海をクルージングする豪華客船で、インテリジェントなナイジェル(ヒュー・グラント)とフィオナ(クリスティン・スコット・トーマス)の夫婦が出合ったのは車椅子の中年男オスカー(ピーター・コヨーテ)と若妻のミミ(エマニュエル・セニエ)の不釣り合いなカップルだった。出会った瞬間から妖艶なミミに惹かれるナイジエル。その夜、夫のオスカーと出くわしたナイジェルは、客室に誘われるまま、オスカーが夜な夜な語り出す妻のミミとの事の成り行きに耳を傾ける羽目になる。

 オスカーが語り部となって、事の次第を語るスタイルの本作は、この導入部が抜群に上手い。オスカーが語り始めるや劇中のナイジェルのみならず我々も、オスカーが語る世にもいやらしく奇妙なその話の虜となっていく。まさにこれこそ監督のロマン・ポランスキーの持ち味、ポランスキー演出の妙味に他ならない。

 整形外科医として財を成した父親の遺産を相続し、小説家を目指すと称してパリで悠々自適の暮らしをしていたオスカーが、たまたま行きずりで出会い恋に落ちたのが、まだ年端もいかないミミだった。そもそもブルジョワなオスカーがミミに惹かれたのも、そのあどけなくも庶民的な、ある意味どこかだらしがない、下世話なところだった。

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 そして二人は、オスカーの閉ざされた部屋で、二人だけの淫靡きわまりない世界に没入していく。常に閉ざされた空間をどこかでモチーフにしてきたポランスキーがその本領を発揮するのは、まさにここから。誰にも邪魔されることのない二人だけの空間で思う存分、二人が繰り広げる痴態のそのいやらしいことたるや、特に、牛乳を口に含んだミミがそれを口から吐き出し、白濁液にまみれた胸をオスカーに舐めさせるシーンのエロいこと。そして、きわめつけは、プレイをやり尽くして倦怠感が漂い始めたオスカーの目の前でミミが開脚してオスカーの顔に放尿する。その様子を語って聞かせるオスカーの話に、逃げ出したくなりながらも、嫌悪感を露わにしつつ興奮して話を聞き続けるナイジェルの姿は、我々、観客の姿そのものなのだ。

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 夜毎繰り返される世にも淫靡なアラビアン・ナイトは、やがてグロテスクな様相を帯び始める。ミミとのプレイにいよいよ飽きたオスカーはミミを拒絶し冷淡な仕打ちで、数多い女遍歴の一歴史として葬り去ろうとする。その残虐なオスカーの傲慢なやり口で、オスカーの目の前から一旦は消えたミミだったが、オスカーが交通事故に遭い、入院していたその病床に再び現れる。

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 エロスの果ての因果応報の残酷劇。その挙句、腐れ縁のまさにその傷口を舐め合うようにして離れがたきカップルとなった二人の末路は、客船のクルーズのクライマックス、エイティーズのヒット・ソングが流れるさんざめくボール・ルームでの年越しのダンス・パーティの最中に訪れる。

 辺境の淵を見た男と女が、辿る末路がどんなものかは、是非、ご自分の目で確かめていただきたいのです。ただのエロ目当てに見て見たら、映画が持つ物語を語る魅力を再発見させられた本作。一見に価する傑作なのです。

負け犬の小さなトラウマ・ヒーロー「アントマン」

負け犬映画専門の脚本家が書き上げた良質のスクリプトによる、負け犬の負け犬による負け犬のためのヒーロー映画かつ負け犬のトンデモな「トラウマ映画」

(評価 74点)

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CGよりも何よりもやっぱり映画は脚本だ。たとえヒーロー物でも同じこと。それを改めて知らしめてくれる良作。

 昨今、溢れかえっているマーベル・ブランドのヒーロー物の映画たち。どれもこれも大人が楽しめるレベルかといえば、決してそうではない。ただCGによるゴテゴテとしたアクションのビジュアルオンリーで辟易させられるものが殆どといっていい。しかし、本作は、プリプロダクションの段階から、そのスクリプト、脚本の出来栄えがやけにいい、という風のうわさは何となく伝わっていた。そこで、恐る恐る見てみたら、申し分のない快作だった。

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 アントマンというヒーローの存在は知っていた。しかし、マーベルでも予備軍的な扱いの、アントマンについては、そのルックスも成り立ちもまるで知らなかった。だから、開巻、主役のスコット(ポール・ラッド)が服役中の犯罪者という設定には軽く驚いた。出所したスコットは、仕事を探すが、前科者の悲哀でなかなか見つからない。やっとありついた職がファーストフード店の店員でというギャグで笑わせるが、前科がバレてすぐにクビになる。そんなスコットには、別れた妻と暮らしている最愛の娘がいて、というステレオタイプだが、従来のヒーロータイプとは一線を画す、負け犬丸出しのヒーローに俄然、興味をそそられたのだった。

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 その後の、プロット展開も巧みだ。窮したスコットは、結局、元の泥棒家業に舞い戻り、仲間に誘われ、天才科学者ハンク・ピム(マイケル・ダグラス)の屋敷に忍び込む。そこで盗み出す羽目になったのがアントマン・スーツだった。実はピムはスーツを引き継いでアントマンになってくれる人材をリクルートしていてその白羽の矢が立ったのが前科者のスコットだった。

 ガッチリと組まれプロットはこの後も、小気味よく展開する。カギ穴をすり抜ける大特訓など、合間にインサートされ、リフレインされる小出しのギャグを交え、そもそもピムが開発した、物体がアリなみのスモール・サイズになる技術をめぐるバトルに向けて映画自体のテンポも加速する。そして、クライマックスはまさに王道。プロトタイプから進化したイェロー・ジャケットとアントマンとの「アイアンマン」を思わせる一騎打ちに、勿論、そこにはアントマンの設定ならではの、ギャグも兼ねた「きかんしゃトーマス」も登場しての大バトルとなって、でもそれが繰り広げられる空間は、あくまでもスコットの最愛の娘が暮らすマイホームの中だけでという設定まで備われば、もう申し分がないといったところでしょう。

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 かくして、アントマンの縮小、巨大化がせわしなく連続化するビジュアルの面白さだけでなく、脇役の小悪党たちのキャラクターや、アリさんマークのアイデアをぎっしりと詰め込んで良質の作品となった本作。やはりそのスクリプトの最終稿の完成までには、初期の構想から実に十余年の歳月を費やしている。そして、その本作の脚本の事実上のライターこそエドガー・ライト。そう、あの「ショーン・オブ・ザ・デッド」などの負け犬映画専門のような男なのだ。

 この男あってこその、本作のちょっとせつない負け犬的犯罪映画っぽい導入部こそが本作を大人も感情移入出来て楽しめるヒーロー物のエンタメにしたのでしょう。

 以来、やっぱり大好きで何度も見ている本作だが、ただ一つの難点は、当たり前の話だが、アントマンの仲間たちのアリさんたちがウジャウジャと出てくるところ。

 実はこれについては負け犬のトラウマといってもいい、ある出来事が・・・。とある夏の午後、ほんの小一時間ばかりの外出から家に帰って玄関のドアを開けたら、何と黒い絨毯状態となったアリたちの一群がキッチンの方角に向けてびっしりと続いている。仰天し、キッチンに駆け込むと、テーブルの上の砂糖が入ったガラスの容器の淵からこぼれんばかりにアリが群がっている。ギャっと思わず叫んで、負け犬が、溢れかえったアリの始末とその後の駆除剤を駆使しての後始末に追われたことは言うまでもない。だが、肩をゼイゼイ言わして一息つくと、首をひねった。外出していたのは、ほんの一時間にも満たない時間。そんな時間でそれほど大量のアリたちが、どうやって負け犬の家に砂糖が有ること、そしてその有りかを探り当てたのだろう?首をひねってひとしきり悩み、そしてネットでその生態を調べてみたら合点がいった。

 実はアリにも蜂のように働きアリたちがいて、その一匹の働きアリが事前に偵察部隊よろしく、エサの有りかを発見すると、そのまままっすぐ巣に帰ってその場所をちゃんとコロニーの住民全員に伝えるらしい。そこで準備万端整ったら、軍団を引き連れてエサへと大挙するのだという。

 力持ちだけではない。やはりアリはその知能も侮れない生き物なのだと納得した次第。しかし、もう何年も前の出来事なのに、あの気味の悪い大群を思い出しただけでも身体中がゾワゾワしてくる。そのトラウマが本作を見るたびに蘇って来るから厄介なもの。トンだ「トラウマ映画」というわけなのです。

 本作、予算もそこそこですけど、これだけ出来がいいのにブロックバスター級のヒットまでには至らなかったのも、案外、そんな生理的な嫌悪感が原因にあったのかもしれませんね~

負け犬にもリーダーを選ぶ権利を「ポセイドン・アドベンチャー」

人間がパニックに見舞われ、咄嗟の場合、どうするべきか?その時、リーダーを選ぶとすれば誰がいいのか?ケース・パターンの一つのショー・ケースでもありヒューマン・パニック映画としても感動必至の大傑作

(評価 88点)

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あの日あの時見た映画、ふと日常の生活の中で思い出し、何十年ぶりに見てみたら、実はそれが思いもよらないレベルの傑作であることを再発見するのは実に楽しいものです。

 2001年9月11日、午前8時46分40秒、アルカイダによってハイジャックされたアメリカン航空11便がワールドトレードセンタービルに激突。その後も同様にハイジャックされた旅客気が同ビルに次々と突っ込み、崩落したビルに呑まれ2977人もの尊い命が失われた。

 9・11として歴史に刻まれるその事件で、生存者と死亡者、その生死を分かつものが一体何だったのかについて、今でも記憶に残っているコメントがある。動物には身のすくむようなパニックに見舞われた時、その場にとどまるという本能があるらしい。しかし、9・11で生き残った人たちは、その本能を振り切り、咄嗟にその場から逃げるという行動を躊躇することなく選んだ人たちだったという。

 ふと昔に見たことを思い出し(最初に見たのは、毎度ながらの「月曜ロードショー」だったと思う)、そういえばと何十年ぶりかで何気なく本作を見て、パニックどころかトンデモナイ感動で感涙にむせび泣きながら、真っ先に頭に浮かんだのが9・11のこの逸話だった。

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 それからは、欠かせない必須の作品となって事あるごとに見ている本作。見るたびに驚くのが上映時間が2時間に満たないこと。これだけのスケール、登場人物を描きながらも、決して詰め込み過ぎにもならず、舌足らずにもならず、それでいて見終える頃には、登場人物たちと一緒になって数々のトラップを切り抜けてきたようなヴァーチャルな一体感を覚えてしまっているのは、ある意味、奇跡の所業ではないだろうか、と思ってしまう。だからこそ、いよいよ船底にたどり着く最後の大詰め、目的の場所に行くために潜水して泳ぐ途中、トラブルに陥った牧師のスコット(ジーン・ハックマン)をローゼン夫人(シエリー・ウィンタース)が水に飛び込み、身を挺して助けた後、息を引き取った時、とめどもなく素直に泣けるのだ。

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 それはともかく、今見てもあっけにとられるのが、冒頭、嵐の中進むポセイドン号と主要人物がグランド・ホテル形式で描かれるシーンを経ての、ポセイドン号転覆と、ホールの壁を突き破って海水が爆入してくるパニックシーン。CGなどない時代、目の当たりにさせられる実物のみを使ったまさに実景には、何度見ても口をアングリするしかない。しかし、本作の最大のポイントは、ホールが海水で壊滅する直前の、船底を目指してホールを脱出するしか助かる道はないと主張するスコット(ジーン・ハックマン)と、ホールに留まり助けを待つべきと主張する他のものたちが白熱のディスカッションを繰り広げるシーンだろう。

 まさにここが、あの9・11の大惨事の時同様、キャラクターたちの生死を分かつ運命の岐路となる。結果は、スコットの決断の方に“吉”とは出るが、ホールの壁に立てかけたクリスマスツリーに亡者のように群がる人々の姿は実に憐れでもある。

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 ここから我々は、船底を目指すスコット一行が、立ち塞がる数々のトラップを如何にくぐりぬけ、目的地に近づけるかを、ただひたすら身を乗り出して見守ることになる。常に強硬なスコットといがみ合うロゴ(アーネスト・ボーグナイン)が、欠かせない片腕となっていく展開は、まさに王道。ロゴには、元娼婦という素性ながらも、いかつくて女が寄り付きもしない強面の自分と結婚してくれた最愛の妻リンダ(ステラ・スティーブンス)がいる。他にも、年老いて身寄りもない中年男、兄弟を失ったステージ歌手といった、スコットについていくそんな面々のキャラクターたちの絶妙な組み立てが、最後の感動の見事な伏線になっている。

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 船底に着きさえすれば助かる、そう主張するスコットは、正しいのか。途中、同じように船底を目指す一向に出くわす。しかし、自分たちとは目指す方向が違う。ここで、一行は、証拠を捜すと言って一人で出かけたスコットに従うべきかどうするか心中、揺れ動く。しかし、結果的にはスコットをリーダーとして選んだ自分たちの決断を信じる。やがて一行の前に、最後の関門ともいうべき船底に通じるドアが立ち塞がる。そのドアに吹き付ける高熱の蒸気を止めるためスコットは蒸気を吐き出しているパイプのバルブに捨身で飛びつく。そして、力尽き、海中へと没する。まるで一行のリーダーとしてその役割を果たし切ったかのようなその姿には感動を禁じ得ない。最後に、船底が焼き切られ、日の光が差し込んできたその時の安堵感は、すっかりキャラクターたちに感情移入しきった心からの真に迫った感情だ。

 スコットがいくどもくじけそうになる一行にかけ続けた言葉は「MOVE!」だった。人間は動かなければ、行動しなければ生き残れないのだ。

 ちなみに「月曜ロードショー」で放送された際、解説の荻昌弘さんが、現実には、客船というのはバラストの作用で天地がひっくり返るような転覆をすることは絶対に有り得ない、と冷静に言っていたことを今でも覚えている。しかし、今思えば、そうした有り得ないシチューエーションだからこそ、その窮地を、何の能力も技術も持たない市井の民間人がくぐり抜けて行く姿が本作をただのパニック・ディザスター映画から感動大作のレベルにまで超越させたのだ、ということが良く分かる。

 いずれにせよリーダーに誰を、どんなリーダーを選ぶかも生死を分かつ岐路になる。決してリーダーにはなれない負け犬のようなヘタレな人間にも、どのリーダーを選ぶかぐらいの権利は欲しいものですね~

負け犬が食べるエサは人肉ミンチ「ブラック・エース」

ハードボイルドなタフガイ、リー・マービンの仇敵はメリー・アン?最後に戦う相手は巨大な耕運機?何から何までオフ・ビートなカルトノワールの珍作

(評価 66点) 

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不思議の国のアリス」に残酷趣味をブチ込んで、そのままハードボイルドチックな活劇のフォーマットに落とし込んだら、こうなりました、とでもいわんばかりの怪作。

 70年代当時、「がんばれベアーズ」という傑作を放って、個人的に大注目していたマイケル・リッチー監督がリー・マービンとその敵役にジーン・ハックマンをダブル主演に据えたハードボイルド活劇とあって、70年代アクション好きな負け犬が長年、ずっと見たかった作品。いくら待っても日本でDVDが出る気配がないので、とうとう輸入版を購入してやっと見ることが出来た(後日、日本でもDVDがリリースされたけど、輸入版の方がはるかに安価だったのである意味助かった、というのも高い値段で買うほどのものでも・・・)

 ところが、ようやく見た本作、見た直後はあまりの事に呆然としてしまったのだった。あのマイケル・リッチーだから、そのドキュメンタリー的なセンスを生かして迫真的なハードボイルド活劇を見せてくれるものと思いきや、のっけから異様な路線でライドする奇妙としか言えない代物だった。

 イカす70年代テイストのオープニングを期待すると、まず、いきなり拍子抜けさせられるのがそのオープニング。のどかな音楽と共に、ひしめく牧牛たちのアップで始まるのだ。さらに続くのがウシをバラして精肉にする製造工程。ところが、その牧牛たちのデカい尻に交じって見えるのは白い人間のお尻。やがてムニュムニュと機械からひり出されてくる赤い肉。つまりこれは、人肉ミンチなのだ。

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 一転、シカゴの組織の人間が集う酒場。カウンターにデンと置かれた包みを開けると、そこには人肉ミンチで作った出来立てのソーセージ。どうやら組織の人間がカンザス一帯を牛耳る牧場主メリー・アン(ジーン・ハックマン)の餌食になったらしい。そこでシカゴのボスは「北国の帝王」のエースナンバー1ならぬ、組織のNO1、ニック(リー・マービン)をカンザスのド田舎に送り込む。

 かくして、出会った天敵同士のような二人は、対決の時を迎え、という基本の図式はいいとして。とにかく、本作、それに至るディテールが、異常なのだ。

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 そもそも敵役の名前がメリー・アンというフザけた名前にはじまって、牧場でニックが最初にメリー・アンと対面した時、メリー・アンが旨そうに食っているのが皿に山盛りにした牛のモツ。一方、納屋で行われているのが、柵に入った全裸の女たちを牧場主たちが競り落とす人身競売。この俯瞰で捉えた、柵に入った全裸の女性をニヤニヤしながら男たちが品定めするショットで一気に見る気が萎える人もいるのではないでしょうか。

 ニックがこの奴隷の女たちの一人、ポピー(シシー・スペイセク)を助け出したことで、ニックとメリー・アンの確執が一気に爆発する。

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 取り巻く、脇役もまた奇妙な連中。メリー・アンの実弟の男はどうやらソーセージ・フェチみたいな変な男で、メリー・アンと弟は、よっぽど仲がいいのか、会えばいきなり殺し合いともつかない派手なじゃれ合いをゲラゲラ二人で笑いながらしたりする。一方、ニックが引き連れている仲間たちは、どれもこれのギャングに見えない青二才みたいな連中ばかり。要するにどれもこれもノワールのツボを敢えて狙っているかのようにハズしているのだ。

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 そしてきわめつけはクライマックス。感謝祭のようなフェスティバルの会場で、奴隷から普通の女の子の身なりにしてやったポピーを従えたニックとメリー・アンが対峙する。そこで散らした火花を契機に銃撃戦が始まるが、広大な畑を逃げていくニックとポピーに迫るのが化け物のようにデカい耕運機。怪物の牙を思わせる刃先をうならせ、とてもスピーディーとはいえない耕運機がノロノロ追いかけるチェイスは緊迫感ゼロで間抜けとしかいいようがない。そして、それがニックを送って来たハイヤーの車に撃破されるシーンの実にショボイことといったら・・。

 最後は定石通り、納屋で、メリー・アンとニックが撃ち合った挙句、メリー・アンのお陀仏で、終わりはするが、エンド・マークを見た後、誰もが呆気に取られるに違いない。確かに一度、見たあと負け犬もあまりの肩透かしに二度と見るものかと思ったのです。ところが、不思議なことにこの奇妙なテイストが気になって、それ以来、何度も見るようになって今や病みつきになっているのですよね~。それに、デビュー作の「白銀のレーサー」でシャープな感性を見せつけ、「候補者ビル・マッケイ」では政治の世界を見事なエンタメにして俊才ぶりを示して気を吐いていたマイケル・リッチーが風変わりなノワールを作りたくなった気持ちも分からないではない。

まあ、70年代テイストのルックスの渋いキャメラや、ポピーを演じた「キャリー」以前のシシー・スペイセクの初々しいか細い裸身も拝めるし、ド田舎を舞台に繰り広げられる変わり種のカルトノワールとして必見の作品というところでしょう。

負け犬のカゴの中の熟女「不意打ち」

呪われた凶悪無比のサスペンスの傑作。密室監禁モノの圧倒的な釘付け感を体感せよ!

(評価 82点) 

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始まりは何でもないただの停電だった。しかし、そこからたちまち始まるプロットの連鎖で、何の変哲もない日常が、おぞましい非日常へと変容する。このいいようのない絶望感と不快感はきっと見る人すべてのクセになる。

 昨今、何かと便利なネット社会。映画との出会いにもネットというものが加わった。本作もお馴染みのYouTubeで、ふと目に留まった10分ごとのコマ切れにUPされていた動画のパーツを、何気なく見始めたのが、その最初の出会いだった。ところが、見始めるや、止められなくなって、パーツからパーツへとつないで次々と見るうちにエンディングまですべて見終え、あまりの面白さに感嘆したのだった。予備知識も何もその映画のことなど存在すらそれまで知らなかった。しかし、辛抱たまらずタイトルからAMAZONで検索し、とうとう輸入版のDVDまで買ってしまった。そのタイトルは「LADY IN A CAGE」(オリの中の淑女)。

 おそらく日本未公開。誰も知らない自分だけのマイ・フェイバリットと悦に浸っていたら、その作品が「不意打ち」というタイトルで、製作年の1964年にちゃんと日本でも公開されていたことを最近になって知った。それどころかTSUTAYAレーベルでDVDまでリリースされたから驚いた。そして、一部のマニアにはトラウマ映画として偏愛の対象の作品になっていることも。それもそのはずこのトラウマは、確実に一種クセになる。

 何よりも不条理かつ卓抜な設定が実に素晴らしい。富裕層の中年女のコーネリア(オリヴィア・デ・ハヴィランド)は、身体が不自由で、二階と一階との行き来を邸宅内にしつらえたスモール・サイズのホームエレベーターに頼り切りになっている。その日も、バカンスに出かける息子を見送り、何の気なしにエレベーターに乗り込んだら、下降途中で停電のためにそのエレベーターが停止してしまう。まるで鳥カゴの中のカナリア状態となったコーネリアは果たしてどうするのか。

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 映画に問わず、すぐれたフィクションに必要なのは、まず発想。宙吊りになって成すすべもない、視覚的にも面白いこのシチューエーションを思いついただけでも拍手もの。だが本作は、それを起点に繰り出されるプロットの展開にもやみつきにさせてくれる。

 何とか脱出をはかろうとコーネリアは、屋外に非常を報せることが出来るエレベーター内の非常ベルを押し続けるが、表通りは車の往来がはげしく、誰にも聞こえない。

 非常ベルの電力も尽きかけたところで、その音にようやく気付いたのは野卑そのもののアル中のホームレスだった。そして、ここから本作は、異様におぞましい空気をこれでもかとばかりに発散しはじめる。

 酒の臭いにつられ邸宅内に入ったホームレスは、宙吊りのコーネリアには見向きもせずに目に留まった貴重品を盗んで質屋へと。そしてそれが三人の若者が邸宅内に入り込む、呼び水になってしまう。

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 とにかく、この男二人に女一人の無軌道なクソガキどもの凶悪ぶりには戦慄するしかない(若者の一人を演じているのが、本作がデビュー作となる若きジェームズ・カーン)。今どきの半グレでも及びもつかないアブノーマルな雰囲気をプンプンと漂わせ、鳥カゴの中の宙吊りのコーネリアスをよそに放置プレイよろしく邸宅内を好き放題に荒らしまくる。そして、いよいよその牙の矛先をオリと化したエレベーターの中のコーネリアスに向ける時がやって来る。

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 クライマックスに至るまで本作は実に巧みにシームレスにプロットを展開させ、最後の対決に至るまで監禁サスペンスの醍醐味を十二分に堪能させてくれる。ただ一つ意外なのは、これほどのクオリティーなのにその評価が本国でも意外と低いこと。それどころか本作の監督のウォルター・グローマンは本作の興行的、批評的大失敗で映画界を追放同然に去ったと言うから、本作は一種の呪われた映画にすらなっている。

 ソール・バスを思わせる出色のタイトル・バックから、オリの中からコーネリアが、一階の電話で何とか外界とコンタクトを撮ろうとするヒッチコックばりのサスペンス演出にいたるまで、目を見張るセンスが感じられるだけに、ビジネスライクとはいえ一本のみで業界から去ったのは惜しい気がする。

 しかし、一方で、道路に横たわる人間を、子供がローラースケートの先で平然とつついたり、助けるはずのコーネリアの息子がマザコン的な異常な人間であることが終盤明かされ、コーネリアを唾棄するように見捨てたり、といった全く救いのない描写が、その公開年を考えると当時の観客、批評家の神経を直接、逆撫でしたのではないか。ある意味、もはやプログラムピクチャーなどとは到底呼べないような火傷しそうなほど危険な映画ともいえるのだ。この手の映画は今ならイヤミス的な存在として許容される余地はあるから時代に追放された幻の作品ともいえないだろうか。

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 そして、真夏のネットリとした暑気の中、オリの中で、白い肌にじっとりと汗をにじませた、老いても尚も美しいオリヴィア・デ・ハヴィランドのエロいともいえるその姿は、その手のマニアにはたまらないのではないでしょうかね~

<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>負け犬の真実の才能の証明「トゥルー・ロマンス」

24才の映画オタクが書いた一本の脚本が、全ての始まりだった!タランティーノのメジャー脚本デビュー作。その本編屈指の名シーンをオリジナル・スクリプトでここに再現!

(評価 84点) 

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1987年、のめり込んでいたアマチュア映画作りに頓挫した一人のビデオ屋の店員が、映画への思いのたけを全てブチ込んだような一本の脚本を書き上げた。青年は、その脚本をハリウッド中の映画会社に送りつけるが、結果は散々だった(こんなクソみたいな脚本を送りつけてくるお前は、頭がオカしいという返信すらあった)。しかし、とあるC級映画会社のプロデューサーがその出来映えに感嘆し、脚本を格安の値段で買い上げる。そして、それが高校もロクに卒業すらしていない、ただのビデオ屋の店員のハリウッド・デビューのチケットとなった。その青年の名はクェンティン・タランティーノ

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 ニコラス・レイの監督デビュー作「夜の人々」にインスパイアされ、エルビス千葉真一香港ノワールにコミック・ブック、それに夜更けのダイナーで彼女と映画について語りまくり、といった映画オタクの夢の結晶が凝縮されたような映画「トゥルー・ロマンス」。

 当時、タランティーノに憧れを抱かない映画フリークなど一人もいなかった。自分で書き上げた脚本でデビューし、後にカンヌ映画祭まで制し、たちまち頂点をきわめた男。一発屋と陰口を叩くものも勿論いた。しかし、それが真の才能であることは、誰もが「トゥルー・ロマンス」における最高のシーンと認めるシークェンスにまぎれもなく結実している。

 ポン引きのドレクセルからドラッグを奪い、恋人のアラバマパトリシア・アークェット)と一緒に逃避行を続けるクラレンス(クリスチャン・スレーター)。そのクラレンスの父親クリフ(デニス・ホッパー)が暮らすキャンピングカーに、ドラッグの元締でマフィアの幹部のココッティ(クリストファー・ウォーケン)が息子の居所を聞き出しにやって来る。

 ココッティと向かい合って座らされ、自分が助からないことを悟ったクリフは、ココッティに人生最後のブラフを仕掛けてみせる。

 そのシーンのオリジナル・スクリプトによるダイアローグは以下のようなもの

 

息子のことなど知らない、というクリフに、ココッティは全てお見通しだといわんばかりにこう言う

COCCOTTI

Sicilians are great liars. The best in the world. I'm a Sicilian. And my old man was the world heavyweight champion of Sicilian liars. And from growin' up with him I learned the pantomime. Now there are seventeen different things a guy can do when he lies to give him away. A guy has seventeen pantomimes. A woman's got twenty, but a guy's got seventeen. And if you know 'em like ya know your own face, they beat lie detectors to hell. What we got here is a little game of show and tell. You don't wanna show me nothin'. But you're tellin' me everything. Now I know you know where they are. So tell me, before I do some damage you won't walk away from.

(ココッティ/シチリア人は大嘘つきだ。それも世界一の大嘘つきだ。その上、俺の祖父さんは、シチリア人の大嘘つきの中でも世界ヘビー級王者クラスだった。そんな祖父さんと一緒に暮らしていりゃ、嫌でもパントマイムってものが分かってくる。たとえば、男がその場しのぎに嘘をつく場合、出来るパントマイムのパターンは17種類ある。いいか、男は17種類だ。ところが、女は20種類出来る、しかし、男はあくまでも17種類なのさ。それをしている時の自分の顔つきまで分るほど、そのパントマイムが出来るようになってみろ、ウソ発見器だってまるで歯が立たねえ。今、俺たちがやっているのは、ちょっとしたゲームみたいなもんだ、ジェスチャーゲームてやつだ。あんたは、俺に頑なに悟られまいとしているが、その仕草ですべて分かっちまってんだよ、もうすっかり、あんたが奴らの居所を知っているのが知れちまった。だから話しなよ、俺があんたを立って歩けなくなるほど、ブチのめす前にさ)

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こう言われたクリフがココッティにブラフを仕掛けにかかるのだ

 

CLIFF

You know I read a lot. Especially things that have to do with history. I find that shit fascinating. In fact, I don't know if you know this or not, Sicilians were spawned by niggers.

(クリフ/実はな俺は読書家なんだ。特に歴史についての本はあれこれと読んでいるんだ。その中で、とびきり面白いものがあった。実際のところ。あんたが知っているかどうかは知らないが、シチリア人の生みの親は黒んぼなんだよ)

COCCOTTI

Come again?

(ココッティ/何だって?)

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CLIFF

It's a fact. Sicilians have nigger blood pumpin' through their hearts. If you don't believe me, look it up. You see, hundreds and hundreds of years ago the Moors conquered Sicily. And Moors are niggers. Way back then, Sicilians were like the wops in northern Italy. Blond hair, blue eyes. But, once the Moors moved in there, they changed the whole country. They did so much fuckin' with the Sicilian women, they changed the blood-line for ever, from blond hair and blue eyes to black hair and dark skin. I find it absolutely amazing to think that to this day, hundreds of years later, Sicilians still carry that nigger gene. I'm just quotin' history. It's a fact. It's written. Your ancestors were niggers. Your great, great, great, great, great-grandmother was fucked by a nigger, and had a half-nigger kid. That is a fact. Now tell me, am I lyin'?

(クリフ/本当だよ。シチリア人は黒人の血を受け継いでいるのさ、心臓が脈うつその血にだよ。ウソだと思うなら、調べてみな。何百年も前、シチリアを征服したのはムーア人だったろ。ムーア人は黒人だった。かつて、シチリア人は、イタリア北部で暮らす普通のイタ公だったんだ。ブロンドの髪に青い目をしたな。しかし、ムーア人がやってきた途端、国ごと変わっちまった。ムーア人シチリア女と好き放題にやりまくった。そのおかげで、すっかり変わった血脈のせいで、そのブロンドの髪と青い目が、黒い髪と浅黒い肌といった今みたいな具合になっちまったって訳さ。面白くて仕方がねえよ、今になって考えてみてもさ、だって数百年経った今でも、シチリア人が黒んぼの遺伝子を持ってるってことをさ。俺はただ歴史的事実を述べている。本当の事さ、書かれてあるんだから。お前らの祖先は黒んぼなんだ。お前らのひい、ひい、ひい、ひい、そのまたひい祖母さんは黒んぼどもに姦られたんだ。だから黒んぼの混血を生んだ、本当だぜ。ウソだと思うかい?)

 

 クリフのこのセリフが、イアリア系マフィアのココッティの逆鱗に触れないわけはない。ココッティは激情のあまりクリフを拷問して吐かせることも忘れてその額に弾丸一発ブチ込んでたちまち撃ち殺す。つまり息子の居所を知らせないクリフの我が身を呈した作戦勝ちなのだ。

 このシーン。ココッティのクリストファー・ウォーケンとクリフのデニス・ホッパーの二人が、最高の台本を得て役者冥利に尽きるようなパフォーマンスを披露してくれる。それにしても、ガキ同然の24才の若者にこれほど成熟した気の利いたシーンとダイアローグが書けるものだろうか。まぎれもない真実の才能の証といえないでしょうか。

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 ちなみに最初のココッティのセリフの「game of show and tell」の「ショー・アンド・テル」は、人に何かを説明する時に、それに関わる具体的なアイテム、つまり物品を提示しながら説明するという慣用句。

 

 この二人が応酬するセリフを見ているだけで、あの名シーンが如実に瞼に浮かんできませんか?やっぱりタラちゃんは映画の申し子なのでしょうね~

負け犬のノワールは色付きだった「アスファルト・ジャングル」

ノワールならではのキャラクターたちが集結し、たぎるような熱気すら帯びた、その魅力のすべてが凝縮された暗黒映画の超傑作

(評価 84点) 

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暗黒のはずのフィルム・ノワールの傑作のはずなのに、最初に見たのは何とも間抜けなカラー版だったのが、今思えば懐かしい。

 アメリカ映画史にその名を燦然と刻むジョン・ヒューストン。その監督との最初の出会いとなった作品はあの「黄金」だった。「黄金」といえばヒューストンのフィルモグラフィでも最初期の1948年のクラシックの古典。そもそもどうしてその作品に興味を持ったかというと、「黄金」の中でハンフリー・ボガート演ずるダブズという男のスタイルが、あのスピルバーグインディ・ジョーンズのモデルになったということを映画雑誌で読んだからだった。そして、たまたまTVの午後ローで放送されたその作品を見たのだった。

 ところが、地味なモノクロで、超の字がつくほど昔の作品のはずが、とてつもなく面白かったのだ。砂金採掘のために山に入った3人の男たち。その男たちが、金への妄執による確執によって破滅していく。モノクロームのクラシックな映画の面白さに初めて目覚めさせられた作品で、そのおかげで、ヒューストンの名がこの負け犬の脳裏にしっかりと刻み込まれたのだった。

 それからしばらくたった頃、当時、通勤途中の駅の近くの小さなレンタル・ビデオ屋で見つけたのが本作だった。しかし、それはコンピューターでカラライズが施されたカラーの「アスファルト・ジャングル」という今思えばレアな珍品だった(現在、ネットで検索してもこのカラー版はどこにも見当たらない)。とはいえ、ヒューストンの初期の代表作としても有名なそれをそそくさと借りて早速、見たのだった。

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 そして、そのあまりの面白さに打ちのめされた。冒頭は夜明けの街。クラシックなパトカーが巡回する中、その目をかいくぐるように、いそいそと家路を急ぐ屈強な前科者の主人公ディックス(スターリング・ヘイドン)を捉えるキャメラ。そのイントロから一気に引きずり込まれ、一気呵成に見終えて、あ~面白かったとため息をつくような代物だった。

 ストーリーはノワールを絵に画いたようなもの。ディックスをはじめとする仲間たちが、宝石店を襲撃する計画を立案した破産寸前の資産家に呼び集められ、計画を実行するが、たちまち警察に追い詰められ、その挙句、あるものは捕まり、あるものは死に追い詰められる。本当にただそれだけの話。しかし、それがジョン・ヒューストンによる小気味の良い演出の手にかかると、たちまち目くるめくような傑作に変貌してしまうから、なまじマジックでも見せられている気分になった。

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 一気に本作に魅了された負け犬が、本来のモノクロームのオリジナル版を見ることを熱望したのは言うまでもない。ところが、本作、ビデオはおろか、そのDVDが、待てど暮らせど出なかった。待ち焦がれてあきらめかけた頃、ようやくリリースされたそれにかじりつくようにしてありついて、漸く溜飲を下げ、あまりにも陰影が美しいモノクローム本来の「アスファルト・ジャングル」を心ゆくまで堪能出来ているという次第。

 やはり、本作はこのハイコントラストのモノクロームあっての世界であることは明らか。そして昔、カラライズ・バージョンでは気付かなかったディテールの面白さが今でも何度でも見るたびに発見できる。

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 本作の悪党たち、最後には、過去に過ごした思い出深い牧場で死を迎える、無骨なスターリング・ヘイドンのディックスの一本気な魅力は言うに及ばず、とりわけ魅力的なのがサム・ジャッフェ演ずるドックだ。金庫破りの天才と称され、パトロンや仲間たちからも一目置かれ、見た目はただの小男なのに、いつもかくしゃくとして肝っ玉も据わっている。しかし、そんなドックが持つただ一つの弱点が女。長年の刑務所暮らしと老いから、若い女に対するフェテシズム的な欲望が抑えきれない。出所して、仲間と最初に会った時でも、若い女のピンナップのカレンダーをねちねちと眺めるシーンでそれを印象付けた後のクライマックスでは、ヒューストン演出の圧巻の冴えを見せつけられる。

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 仲間が散り散りに破滅していく中、ドック一人、飄々と逃げおおせるかに見えたが、立ち寄ったダイナーで、さっさと逃げればいいものを、ジュークボックスの音楽に合わせて踊る若い女を喉から手が出るほど欲しそうに、舌なめずりするように見て長居をしたおかげで、まんまと捕まる。ここでの若い娘を捉えたキャメラからシームレスに背後の窓から覗き込む警官へとトラッキングするキャメラ演出のスマートさには、誰もが舌を巻くに違いない。

 「黄金」もそうだが。本作もテーマは人間の欲望だ。小悪党たちを束ね、ピラミッドの頂点に立つかのようなパトロンの資産家のエマリンも囲いものにしている若い子猫的なブロンド女(何とブレイク前のマリリン・モンロー!)を手放したくないための崖っぷち老人に過ぎない。各人各様の欲望がぶつかり合う、たぎるようなドラマの真髄が本作を見れば堪能できる。メルビルもこんな本作に魅了され心酔した挙句、あのノワールの傑作「仁義」を作った。

 とにかくキビキビとして小気味よい、そんな映画が見たい、そんな方はCGでコテコテの今時の映画なんざ見てる場合じゃないですよ!クラシックな本作こそ、そんな作品にはピッタリですよ、そこのお兄さん!などと思わず言いたくなる作品なのです!