負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬はカルメンを踊る「がんばれベアーズ」

名前はリトルでも感動はメジャーに負けない

(評価 85点)

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あの頃に見たもので、ふと脳裏に浮かんでしまう映画というのはあるもので、とにかく自分の場合、何はともあれその原点は『ロードショー』。その雑誌を毎月発売日には必ず買って読みふけっていた頃に見た映画。

 そういえば近所のオジさんに連れていってもらって見に行ったよなあ~などと急に思い出し、すると、その映画を見たおかげで主演のアマンダ役のテイタム・オニールにゾッコンだったことまで思い出し、とうとう無性に見たくなって借りちゃったという次第。

 最初は、感慨にふける程度の軽い気持ちで見始めたのが甘かった。終わる頃にはいい年こいたオッサンが号泣していた。何て気持ちよく笑わされ、泣かせてくれる映画なことか。

 しかし、見た当時も、再見して泣いた時もつくづく思ったのだけども、この映画の一番いい所は、スポ根にはつきものの、いわゆる熱さというものが全くといっていいほど無いところ。

 この映画に出てくるベアーズの連中はといえば、確かに負け犬ぞろい。普通ならいわゆるエンタメの王道として、その負け犬たちが勝ち上がって苦闘の果てに勝利をつかみ、負け犬から成りあがる、という展開になって当然のはず(確かにこの映画もプロット的には一応、その路線では進む)。でも、しかし、この映画、あくまでも負け犬は負け犬のままで終わる。人生、甘いもんじゃないよ、という何処か、覚めたクールな感覚がある。

 その証拠に熱くなるのは大人の方だ。最初は金のためでしかなかった監督のバターメーカー(ウォルター・マッソー)が、想定外に、いよいよベアーズが優勝できるかもしれない、となった途端、突然、踵を返したように支配欲が湧きだして、あれこれとベアーズの連中に命令し出し、思い通りに動かないと怒りまくる。

 ただ、この映画、一番の名シーンはそのすぐ後にやって来る、バターメーカーがベンチで癇癪を爆発させた直後に見た子供たちの顔に、完全にドン引きして冷めた表情を垣間見てフト我に帰るところ。結局、ベアーズの連中、そしてひいては子供たちというのは何処か距離を置いて大人を見ているということに、ここで自分自身ハッと気づかされるのだ。そして、子供たちはただ単に楽しいから野球をやっているという事実にも。

 だから、最後、チームピカ一のど下手なルーパスがフライのボールをキャッチした瞬間、涙がとめどもなく溢れ出るのだろう。だって、そこにはボールをキャッチした喜び以外の感情が入り込む余地など微塵もなく、ただ純粋にボールを捕れたことだけが嬉しいのだから。

 この映画の脚本を書いたのはビル・ランカスター。おそらくこれ一本のみの無名の脚本家。しかし、この人、実はあの名優バート・ランカスターの息子さんなのだ。自身、子供の頃、リトルリーグに入って野球をやった、その思い出に乗じて書き上げた脚本だった。

 そして監督はマイケル・リッチー。この前にロバート・レッドフォードと組んで作った「白銀のレーサー」というスポーツものの佳作がある。この映画、最大の特徴といってもいいのが、試合シーンのユーモラスなリアリティなのだが、おそらくそのテイストに大きく寄与したものこそマイケル・リッチーの持ち味に違いない。グラウンドのフィールドに手持ちキャメラを持ち込んで自在なスタンスで子供たちを追いかけた。よく見れば子供の顔もコーチの大人たちの顔も逆光で真っ黒なほどつぶれている。でも、ライティングなんて気にしない、そのリアリティこそがこの映画をただのお子様映画でない、大人が見てもグイグイ引き込まれる抜群の迫真性と説得力を持たせるのに一役買っている。

 おそらく、ベアーズの連中は大人になっても、およそ負け犬人生の域を出ないに違いない。地元の高校を卒業し、そのままその土地で就職するか、都会に出て大学に行くやつもいるだろう、それでも多分、普通の会社の勤め人になってそのまま人生を終えるのだろう。それでも、ベアーズを結成しひと夏、野球に夢中になった、このリトル・リーグの小宇宙の思い出だけは誰の心にもメジャー級に住み続けていくのは間違いない。

 とにもかくにも抜けるように青い空と、子供たちの屈託のない笑顔見たさ、そして最後に心ゆくまで泣きたくなったら、今後もこの映画を見続けることだろう。

 にしてもこの映画、BGMにカルメンを使うなどというアイデアは一体誰が思いついたのか。試合のシーンで醸し出されるユーモアを通り越しブラックな域にまで到達した笑いの感覚。この脱力感と感動との混在感はこの映画でしか体験不能な出色なものなのでしょうね。