負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬たちはアンリコの冒険者「死の翼アルバトロス」

空飛ぶ巨大艦船とアンティークな飛行機が繰り広げる空中戦。そしてデカパンとステテコ姿の痩せ男。さらには野郎どもで囲むすき焼き!宮崎駿が自分の愛するアイテムを全て詰め込んだ愛すべき傑作短編!

(評価 82点)

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旨そうなすき焼きのナベ談義から、一転スラップスティックな活劇と化し、そのままエンディングのカタルシスまで突っ走る!24分間足らずのこの至福。

 1971年10月24日、時間は、良い子がTVのブラウン管の前に集うゴールデンタイムの7時30分。その時、史上初めてオン・エアされた「ルパン三世」のタイトルバックを見た時のカミナリでも食らったような衝撃は、それから半世紀を過ぎた今でも体感として残っている。その日以降、翌年の3月まで、23回にわたって繰り広げられた、世にいうこの第一シリーズが打ち立てた数々のメモリアルの伝説を求め続けているのは、この負け犬だけではない。その証拠に、この21世紀の今に至ってもルパン三世とその仲間たちが織り成すストーリーは語られ続けているのだから。

 エコノミックな観点からいえば、すっかりフランチャイズと化して、マーケットが完成したキャラクターほど堅牢なものはこの世に無い。しかし、このルパンというキャラクターに、フランチャイズという機械的な言葉がどこか似つかわしくないヒューマニティーを感じるのはこの負け犬だけだろうか。

 とにかくほんの子供だったのに、ルパンと次元の二人を見て、つくづく思っていたのは、いい大人がいつまでもバカをやっていることの素晴らしさ。いってみればクダラナイことの美学とでもいえようか。超絶的なまでのクォリティーを誇ったこの第一シリーズも視聴率不振にあえいだのは有名な話。徹底したアダルト志向の初期エピソードから、視聴率回復の使命を課せられ、本格的に監修に加わったのが、当時、東映動画でそのバイタリティーを持て余していた若き宮崎駿だった。

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 その宮崎駿が加わり、更に倍加したテイストは、いい年こいた大人たちのバカ騒ぎだった。特にシリーズ最終回のエピソード「黄金の大勝負!」の日常感丸出しの東京の下町をフィアットが走り回り、アパートの部屋に突っ込んで駆け抜けるスラップスティック。そのドタバタと対を成すような、銭形とともにこのままアメリカまで泳いで逃げてやると軽口をたたきながら海の彼方に消えていくルパンたちが醸し出す哀愁。その時のバカ騒ぎが終った、祭りの後のような寂しさと憂愁感は、何だか未だに引きずっているような気すらする。

 その憂愁感を引きずりつつ、負け犬も映画遍歴を重ねて行くうち、ルパンと次元というこの二人のキャラクターたちから想起して、定着したイメージ・キャラクターがいる。ロベール・アンリコの傑作青春映画「冒険者たち」のマヌー(アラン・ドロン)とローラン(リノ・ヴァンチュラ)の二人のコンビだ。中年の自動車技師のローランとパイロットのマヌー。いつまでも大人になりきれず夢ばかり追いかけているこの二人が、いつのまにかこの負け犬にとってはルパンと次元という大人子供のキャラクターたちとピッタリ重なる存在になっていたのだった。そして、当然の如く夢見るのは、そのキャラクターたちとの再会だった。

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 だから、5年ものブランクを経て1977年に新たにルパンが始まった時は、胸を躍らせて、ほんの幼児の頃だった自分のようにブラウン管の前に鎮座したものだった。ところが、目の前にいたルパンは、かつてのアダルトな危ういテイストなど微塵もなく、大人子供たちのバカ騒ぎの哀愁も、そこはかとないダンディズムも見事なほどに消え去った、完全に低年齢層を意識したカトゥーンでしかなかった。当然、そのオートメーションによって量産される類型的なアニメと化した代物には馴染めるはずもなく、失意のままいつしか全く見なくなったのだった。しかし、番組のコンセプトとしては成功した。ルパンというキャラクターはこの第二シリーズのおかげで、かつてとは比べようもない位のポピュラリティを獲得し、アニメは長期間続くことになる。だが、自分の中でほぼそのTVシリーズの存在など忘れ去っていた頃、たまたま気まぐれに見る気になってチャンネルを合わせた時に放映されていたのがこの「死の翼アルバトロス」だったのだ。

 その時、他のエピソードとは比べ物にならない、あまりのクォリティーの高さに完全に度肝を抜かれたのだった。その後、クラスの友人から、そのエピソードを別名で監督したのが宮崎駿その人で会ったことを知らされる(言われなくても絵柄だけで一目瞭然ではあったのだが)。そして、その時の衝撃からはやン十年もの月日が経ち、急に見たくなって再び見たのが本作。

 いや~、そのリズム、そのテンポ、気の利いたセリフがぎっしり満載されたシャレたテイスト、そしてダイナミスムに満ちたその動き。何もかもが、もう全て素晴らしい。その素晴らしさは、見ているうちに涙がこみあげて来たほど。本作のルパンを見ていると、宮崎駿が嬉々として絵コンテを切るエンピツを走らせていたであろう、その創作の喜びが見事にこちらにまで伝わって来る。

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 今や、世界の巨匠となった宮崎駿。しかし、本作をみていると何だかそのことが一つの不幸だったようにも思えて来る。だって、これほどの巨匠になってしまったら、もう、すき焼きにビールを隠し味に入れるとか入れないとか、バカな中年男がステテコ姿で走り回るアニメなんて作れないですもんね。でも、この宮崎駿という人の本質って、やっぱりこのルパンのいい年こいた大人たちが、いつまでもバカ騒ぎをやっている、ファンキーだけど、どこか哀切に満ちたテイストだと思うのです。

 何だか都市伝説にもなってしまっているような、現在、製作中らしき引退作には、そんなテイストは到底、期待出来ないのでしょうね~