負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の気分はキャピキャピいつでもハッピー!「チャーリーズ・エンジェル」

ノーテンキが世界を救う!はじける笑顔に、はじけるアクション!あのテーマ曲に乗って三人娘がやって来る。そのスタイルはどこまでもチャーミング!ガールズ・アクションの最高傑作

(評価 82点)

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恐るべき感染力!笑う門には福来る。いつもキャアキャアワイワイ、はち切れんばかりのこの笑い。その笑いはこちらにまで確実に空気感染し、見た後は必ずハッピーになれる。そんな最高に素敵な映画。

 少年時代に夢中になったTVシリーズへの思いのたけを「ミッションインポッシブル」という作品にぶち込んで、成功に導いたトム・クルーズのような気合を、この映画でエンジェルの一人ディランに扮したドリュー・バリモアには、見るたびに感じてしまう本作。

 「E.T」の子役で大ブレイクし、それが原因で。屈折した人生を歩んでいたバリモアが、もしも多感な少女時代にこのオリジナルのTVシリーズを見ていたとしたら、それは、本国でも繰り返しされていたはずの再放送だったに違いない。孤独な子供がTVシリーズの再放送にドップリとハマる。何だか日本でも良くある図式ですよね。

 かくして紆余曲折を経て、芸能界でいっぱしのキャリアを築いたバリモアが、その思いのたけを果すべく、プロデユースまで兼ねた本作を、何故かこの負け犬は公開時、初日に見に行った。負け犬が、キャピキャピ(死語かな?)のガールズ・アクションを・・?今、思えば、どうして見に行ったのかも、まるで憶えていない。初日にも関わらず確か客は3人ぐらいしかいなかったのは憶えている。しかし、今も記憶に鮮明なのは、映画が終り、他の客がちらほら散開する中、たった一人、心の中で快哉を上げ、パチパチと拍手したい気分になっていた事。

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 冒頭、巨漢のジェイソンに変装したディラン(ドリュー・バリモア)が、空を飛ぶジェット飛行機の中で、身体に時限爆弾を装着した要人を確保し、そのまま飛行機からダイブする疑似ワンショットに驚かされ、続くスーパー・ダイブの後、ナタリー(キャメロン・ディアス)が操縦する高速ボートに、アレックス(ルーシー・リュー)も加わり、華麗に着地。三人揃い踏みで始まるタイトル・バックの、息をもつかせぬイントロから、本作は、もうノリノリ・モード全開で突っ走る。

 「グッドモーニング、エンジェル!」のお馴染みのモーニング・コールで、チャーリーからエンジェルたちに下されたミッションは、CEOかつ音声認識システムの革新的な技術者でもあるノックス(サム・ロックウエル)の誘拐事件。たちまち繰り出される、矢継ぎ早の笑いにアクション、そしてパロディの数々。その絶好のアシストになってくれるのが、ボスレーに扮したビル・マーレイ。そして何と言っても全編にわたってぎっしりと満載されたイカサウンドにメロメロ(これも死語か・・)。

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 ソウル・トレインでディアスがノリノリ気分爆発で踊ってくれるのが楽しい。何故かスパイ工作で、三人でヨーデルを歌うギャグも楽しい。そんなアクセントの数々に目移りするうち、ただひたすらに夢見心地で時間が過ぎて行く。その上、2000年の製作当時といえば、あの「マトリックス」のワイヤーアクションが、業界に怒涛の衝撃を与えた時代。本作でも、ワイヤーアクションの伝説の導師ユエン・チュンヤンが、冒頭でもチラリと顔見世までして加わっている。しっかりとエクササイズしたのが目に見えて分る、体当たりのクンフー・アクションの合間に、いちいち「イヤー!」と三人が決めポーズを決めてくれるのがシビレるほどにカッコいい。

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 内容なんか何も無い、空っぽの映画。アカデミー賞は勿論、真面目な批評の対象にすらならない、取るに足らないプログラム・ピクチャー。しかし、「寅さん」や「釣りバカ日誌」のようなプログラム・ピクチャーがなくてはならないのと同様に、映画の世界には、こういうノーテンキな映画もまたなくてはならない、とこの負け犬はつくづくそう思う。

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 ところが、今だから白状するけど、「地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル」のタイトルで、リアル・タイムに放送されていたこの本放送を、負け犬が見たのは、ほんの2,3回程度。実はその時、面白くもなく見向きもしなかった。それというのも、この前番組として放送されていた「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」の大ファンだったのだ。

 毎回、欠かさず見ていた「バイオニック・ジェミー」。エンディングで流れるバイオニック・ジェミーことリンゼイ・ワグナーが唄う「フィーリング」の曲をカセット・テープに録音するほど。その思い入れがひとしおだっただけに、TV版の「チャーリーズ・エンジェル」にはイマイチ乗れなかったというのが正直なところ。

 でも、映画版は心配ない。キャメロン・ディアスをはじめ三人組のはちきれんばかりの笑顔が何もかも吹き飛ばしてくれる。

結局、世界を救うのはノーテンキなのだから。

負け犬のゼロからはじめる異世界ホラー「ファンタズム」

ひたひたと迫りくるトールマンに、謎の球体キラー・スフィア!少年期ならではの、不条理と不安渦巻く異次元ティーンエイジ・ホラー

(評価 65点)

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この世のありとあらゆる魑魅魍魎が飛び交う異次元の世界。でもそこは見慣れた日常とほんの隣り合わせの非日常。

 何の変哲もない日常の一寸先にある非日常きわまりない不条理な世界。そんな世界を描かせたら誰も敵わない一人の作家がいる。この負け犬が敬愛してやまないマンガ家の諸星大二郎氏だ。

 通い慣れた通勤電車の窓外の線路上に、いつのまにか立っている黒い影。学校の帰り道、何気なく通った裏道から出た町に現れる漆黒の巨人。そして、気まぐれに途中下車し、歩いた地下街が、いつの間にか、どれだけ歩いても決して出られない迷路へと変容する。いくら書いても書ききれないほどの異次元の不条理を、諸星氏は長年にわたって書き続け、この負け犬のみならず万人を今も魅了してくれている。

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 13歳のティーン・エイジャー、マイク(マイケル・ボールドウィン)が葬儀屋で不思議な男トールマンを見かけたことに端を発する青春ホラーの本作。監督のドン・コスカレリがこの作品を作ったのは、驚くことに若干23才の時。たった30万ドルの低予算の本作は、全米だけでも何と1千万ドルもの興収を記録し、コスカレリの今に至るフィルモグラフィでも唯一と言っていい代表作となる。

 ギューイーン!と空中を飛び、しっかりと掴んだ人間の額にドリルで穴を開ける殺人球がつとに有名な本作は、その不条理なテイストと、異次元世界と日常との密接な距離感から、この負け犬が真っ先に想起したのが諸星大二郎氏のマンガだった。特に、冒頭、バイクに乗るマイクが墓石の陰に一瞬見る、黒い影は、諸星大二郎の秀逸な短編「不安の立像」の線路上にゆらぐようにして立つ黒い影そのものだ。

 マイクが葬儀屋に赴いたのも、どうやら両親を亡くしたばかりで、そのセレモニーをとりしきるたった一人の兄を、遠巻きに見つめていたからだ。13才の少年が親を失くす、そのトラウマが途方もなく大きいことは、誰でも予想がつく。マイクの胸にポッカリと開いた穴は、とてつもなく大きく深い。本作がユニークなのは、それを下敷きにした怪異現象を脈絡なく描いているところ。

 だから本作は、特に序盤など、まるでアヴァンギャルドで前衛的な実験映画を思わせるようなテイストすらあり、それが、あからさまなB級的こけおどしと混然一体とすることで、独特な世界観を産み出している。

 たった一人の肉親となった兄ジョディはイケメンで、バーでいとも簡単に女の子を引っかけ、墓地でよろしくやっている。それを墓石の陰に隠れて見ていたマイクは、ウルフェンのようなクリーチャーに襲われかけ、それから見るようになった悪夢と、正面切って対決するため、果敢にもマイクは、トールマンがいる葬儀社に乗り込んでいく。

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 ここからの感覚は、もうお化け屋敷さながら。この時、登場するのが、語り継がれることになる謎の球体、キラー・スフィア。人間の額をドリルで穿ちながら、吹き出る血を、球体の背面に開いた穴からメカニックにピューピューと排出するグロテスクかつユーモラスなその球体は、成長期のティーン・エイジャー特有の不安感の秀逸なメタファーといっていい。

 トールマンの魔手をからくも逃れたマイクは、奇怪な葬儀パーラーのことを兄のジョディに打ち明け、兄弟は銃で武装し、再び謎の葬儀社に乗り込んでいくことになる。親しい仲のアイスクリームマンのレジーも加わった三人組が見たものは、人間を小人化して樽詰めにしている白一色の異空間のような部屋。そして、その部屋の中にある見えない壁は、更なる異世界へとつながっていて、という展開は、同時代の「グーニーズ」やスティーブン・キングの「IT」のような、ジュブナイルホラーのファンタジー世界とそのままリンクしているような感覚がある。

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 トールマンが、意のままに女の姿にメタモルフォゼするのは、マイクのある意味、悶々とした性欲のメタファーかもしれない。最後はそのトールマンを深い穴に突き落とし、ハッピーエンドと思いきや、やっぱりB級ホラーならではの「エルム街の悪夢」のような二重のヒネリでニヤリとさせてくれる。

 様々な奇怪なイメージが交錯する、コスカレリの脳内世界をそのまま素直にスクリーンに吐露したような本作は、かえすがえすも諸星大二郎のマンガそのままのテイストで、諸星氏のマンガが好きな人ならきっと楽しめるはず。あのジョン・カーペンターの「ハロウィン」を思わせるテーマ曲もあいまって、エイティーズ・ホラーの懐かしさすらどこか感じさてくれるチャーミングな作品。

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 それにしても諸星大二郎氏の作品群が放つ輝きは今でも燦然としている、もしも本作を見て、そのテイストが気に入り、諸星氏のマンガをまだご覧になっていない方がいたら、そちらも是非どうぞ!日常にいながらにして異世界が堪能できる、まさに転生するが如くのゼロからはじめる異世界生活をどうぞこの機会に。

負け犬の爽快なる口当たり「バッド・テイスト」

サクセスへの道は、やっぱり小さなことをコツコツと。DIYスピリッツ満載のドロドロスプラッターは、口当たりもグロッとさわやかな手作り感覚爆発の情熱作

(評価 70点) 

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ここは田舎のゾンビランド。ゾンビたちをただひたすらに踏み潰す。相手は屍同然のエイリアン、脳みそも、飛び出る目玉も内臓も、細かい事は気にするな!若きエネルギー爆発のグシャドロ爽快スプラッター

 1980~90年代にかけてのビデオ全盛期のレンタル・ビデオ屋は、それこそB級C級映画フリークどもの天国のような場所だった。TSUTAYAのような大手チェーンなど存在もしなかったそのフィールドは、それぞれが個人経営の、吹けば飛ぶような小さな店が群雄割拠する世界で、並ぶ品揃えのタイトル一つとっても、事業主である店長の趣味が露骨に反映されていた。

 たとえば、まだ日本ではビデオ・リリースすらされていなかったあのクロサワの「隠し砦の三悪人」の米国版のビデオや、日本では発売禁止だった三島由紀夫の半自伝映画の「MISHIMA」などが、商品として堂々と並べられていたりした、とんでもない時代だったのだ(勿論、違法なのでしょうが)。そして、そんな店の奥に、大量に、時には無造作に平積みにされ、決まったように置かれていた作品群こそ、スプラッター系のB級、いやC級のホラーまがいの作品だった。ところが、店の奥に埋もれているそんなクズ同然の作品にも思わぬ拾い物というのがあって、ガレージキットならぬ、そんな一品との出会いを求め、若くして既にアウトローな人生を歩んでいたこの負け犬は、そんな町のレンタル・ビデオ屋に日夜、入り浸ってはプレミアムな作品群の発掘に余念がなかったのだ。

 この「バッド・テイスト」を見たのも、そんな時代。とはいえ本作については、予備知識らしきものは一応、既にあった。当時の映画雑誌のページの片隅に、本作が、まったくのド素人が四年の歳月をかけ、完全な手作りで作ったスプラッター・ホラーと紹介されていたのだ。その上、その映画は、厚かましくもカンヌにまで持ち込まれ、世界配給まで成し遂げる快挙を果たしてしまったとも。

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 こんなイントロダクションに、この負け犬が、興味をそそられないわけがない。かくして、マタタビに飛びつくネコの如く、レンタル・ビデオのクズの山に分け入り、早々、目ざとく見つけ、鑑賞したスプラッターは、晴れやかに血と内臓が飛び散る、手作り弁当の味がする佳作だった。

 そして、その時、この負け犬の脳裏にしっかりと刻印された名前こそ、本作を四年もの歳月をかけてコツコツとほぼ手作り同然に作り上げたピーター・ジャクソンだった。しかし、この後、ジャクソンは、「ブレインデッド」などの同系列のスプラッター系の作品を放ち、ハリウッドデビューを果たすも、比較的、目立たないステータスに落ち着いたかのように、とんと名前を聞くことがなくなった。その名前との再会を果たしたのは、それから十数年も経ってから、それも意外きわまりない再会だった。

 時に世間では、映画化された、あのファンタジーの金字塔的作品として有名な「指輪物語」の第一部が大ヒットし、話題をさらっていた。そもそもファンタジーには、さしたる食指をそそられることのない負け犬の目に、その時、たまたま留まったのが、「指輪物語」の監督のピーター・ジャクソンという名前だった。

 はっきり言ってその時は、そのピーター・ジャクソンが、あの「バッド・テイスト」のジャクソンと同一人物だとは、夢にも思わなかった。あのチープなスプラッターニュージーランドの田舎で細々と作っていた男が、いくらあれから十数年を経たにせよ、さしたる目立った活躍も聞かないまま、いきなりファンタジーの三部作の超大作の監督を務めるなど、夢にも思わなかったのだ。

 ところが、それが、同一人物であることが判明し、しばらくして見たその「指輪物語」の堂々たる出来映えにも感嘆し、つくづく、十数年前のニュージーランドの一人の映画オタクが辿った道のりと隔世の感に思いを馳せているうち、ふと、急にくだんの「バッド・テイスト」がまた見たくなり、アナログのビデオ・テープならぬYOUTUBEで今回、再会を果たしてしまったという次第。

 レスキュー要請を受けたエージェント風の男がどうやらエイリアン・ハンターのボーイズたちを派遣する何故かスパイ風のイントロで始まる本作。そこから閑静な海辺の村に舞台が一転するが、映画自体のルックスは、はっきり言って自主映画丸出しの画調だ。

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 しかし、それを見て凹んでも、直後から始まるゾンビたちとのチェイスと虐殺シーンには、たちまち目を見張るはず。数十年前にもなる初見の時にも驚かされたが、とにかく、コンテや編集、シーンの構成の技術が実にきめ細かく、並外れているのだ。スピーディなキャメラのトラッキングや、クレーンを使ったとおぼしきダイナミックな動き。そして、カット割りに至るまで実に巧み。

 本作の内容はといえば、ストーリーなど無きに等しく、前半部分は、ただ次々、襲ってくるゾンビをハンター・ボーイズ(役者たちが自主映画丸出しで実にショボイのがいい)たちが、返り討ちにしていくシーンが続くだけだ(その時、いちいち、ご丁寧に必ず、脳みそグシャドロのサービスがあるのがご愛敬)。

 とりわけ、今もその髭面は同じ、若きジャクソン本人がゾンビに扮した、崖っぷちでの攻防のシーンの細かなカットの構成が実に秀逸。こうした技術的なテクニックの確かさが、凡百の自主映画的ゾンビ映画とは、一線を画していることが、本作は、出だしからして良く分かる。そして集結したハンター・ボーイズたちが、エイリアン・ゾンビどもが巣食う、一軒家に乗り込んでからは、グロいシーンのオンパレード。床一面の血糊に内臓。実にあっけらからんとしたそれは、何だか晴れやかなほど。

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 やがて打倒されたゾンビたちが、本来のエイリアンの姿へと変身し、後半はクリーチャーたちとのバトルになっていく。最後には、エイリアンたちのアジトの一軒家が、スペースシップさながら飛び立つ、半分、大掛かりなスペクタクル・シーンまであるから、そのサービス精神もあっぱれなもの。

 勿論、ここには内容などと言う高尚なものは微塵もない。ただあるのは下劣で過激なほどにグロテスクな、B級なジャンク映画への愛情だけだ。YOUTUBEに、別途、UPされていた本作のメイキング映像には、クリーチャーのマスクは勿論、クレーン撮影に用いた器具までDIYで自作した様子が映っている。嬉々として、そうしたプロップをイントロダクションするジャクソンの生き生きとした瞳の輝きが素晴らしい。

 人間、夢を成し遂げるキーは、やはり情熱なのだ。この一見みすぼらしいデビュー作とは、予算も見た目も何もかもがまるで違う「指輪物語」にしても、その作品が、フランチャイズに至るまで大成功した原動力となったのは、若きジャクソンの瞳の輝きと情熱だった。まさにバッドなジャンク映画の、この「バッド・テイスト」だけど、そんなメッセージだけは力強く発信してくれているのです。

負け犬の良い子のための殺戮ショー「スターシップ・トゥルーパーズ」

襲い来るバグを殲滅せよ!その肉片に血しぶき、何もかも所構わずド派手に飛び交う肉弾戦。人間も昆虫も、ただ殺すのみ!これこそは良い子に見せたい殺戮ショー。

(評価 72点)

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人体も昆虫も、その肉体が容赦なく破壊される情け無用の殺戮ショー。ナパーム弾の匂いが全編にたちこめ爆発する、超絶SFバイオレンス巨編。

 本作を劇場で初めて見た時の、胸にわだかまるような、異様な感覚は忘れられない。本作の原作の、ロバート・A・ハインラインによる「宇宙の戦士」が、パワードスーツの先駆であることは聞いていた。だとすれば、誰もが当然、ガジェット重視の娯楽SFを期待するはず。ところが本作は、そんなものとは、まるで異なる代物だった。

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 まずはその気勢を削がれるに十分な、冒頭にインサートされる、戦意高揚のプロパガンダも露骨なメディア映像に面食らう。それからも容赦ない。溌溂とした青春ドラマに出て来るような美形のティーンエイジャーの女の子が、学校の理科の授業で、敵側のバグの研究を兼ねた解剖の途中、いきなりゲロを吐く。パワードスーツなど、そもそも何処にも出てこない。あるのは、重火器程度の武器を携え、無尽蔵に湧き出て来るバグに、人間たちが、いともたやすく粉砕される描写だけだ。

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 そんな絶望的な状況でも、主人公のジョニー・リコ(キャスパー・ヴァン・ディーン)やヒロインのカルメンデニス・リチャーズ)にも悲壮感などまるでなく。ただ学園祭のイベントを楽しむが如く嬉々として入隊する。その軍隊は完全な、男女平等社会で、男も女もガテン系のごつい体の男女が、昆虫顔負けにガチで交尾に励んでいる。まさに、ただお互いを破壊し合う、悪夢のような世界なのだ。

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 ただ一つだけ驚愕したのは、精緻な数々のスペースシップをはじめ、今見ても、そのリアリティに微塵も遜色ないCGのポテンシャル。更に今もって衝撃的なのは、そのフォルムがまったく判別不能のバグたちの奇怪なデザイン。

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 元々、本作は、ベトナム戦争時に、出版された原作のカラーそのままに、本作の監督の「ロボ・コップ」のポール・バーホーベンが、幼少の頃に目の当たりにした第二次大戦の記憶のトラウマを無理矢理、再現しようとしたことで、とにかく、何もかもがどこかいびつになっている。

 ところが、こうしたカタルシス・ゼロの世界観に投じられている製作費は、至る所で出て来る巨大スケールのセットを見ても、見るからに半端なく(実際、1億ドルもの費用が投じられた)、それも相まって、見ているこちらがおののくほどに、一層クレージー感が増している。しかし、そのクレージー感というのは厄介なもので、ひとたび魅了されたら中毒になりかねない。現にこの負け犬も、それ以来、何かと本作に手を伸ばしているのもまた事実。

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 親玉のような巨体のバグが、グロテスクにその腹を膨らませ、パンパンに膨らんだ腹から吐き出された、吐瀉物のような物体で、宇宙船団がいともたやすく撃沈される幻想的ともいえる光景は、バーホーベン自らコンセプト・スケッチにしたためている。

 かくしてバーホーベンが、巨大予算の大作にパーソナルなトラウマを、そのまま投影し、作品世界そのものをいびつに捻じ曲げ、なるべくして豪華絢爛な一大殺戮ショーとなった本作。おそらく、ディズニーのエンタメSFだと思って、自分の子供に見せてしまった親は後悔することでしょう。

 エンディングも戦意高揚モード丸出しで洗脳効果も抜群の一作。今も昔も本作は、これを見た純粋無垢な良い子が、すっかり洗脳されてしまい、殺戮が病みつきになること間違いなし。そんな危険度レベルもMAXの危ない映画、それでも良ければ、最愛の御子息への、誕生日のプレゼントに如何でしょう。

負け犬は何もしない「ビッグ・リボウスキ」

人生はグダグダで人間もグダグダ、勿論、生活もグダグダで、だから、ありえないほどにグダグダな映画なのに、どういうわけか、例えようもないほど素晴らしい

(評価 82点) 

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見れば元気になれる、見れば癒される、ダメ人間たちのオンパレード!ダメ人間でも許される。ここは地上唯一のダメ人間たちのパラダイス!

 「今度は、何もしない探偵の映画を作る」。あの犯罪映画の傑作、「ファーゴ」で、見事、オスカーを受賞し、再び注目を集めていたコーエン兄弟が、次回作について聞かれた時、そう答えた記事が映画雑誌に載っていたことを今でも憶えている。

 とりわけ印象的だったのが、コーエン兄弟が、そうジャーナリストたちに語る記事に何の意気込みも感じられなかったこと(笑)。そもそも、「ファーゴ」の前作にあたる「未来は今」の製作発表の時は、「バートンフィンク」で、前人未踏のカンヌ映画祭での二冠を成し遂げた兄弟が、その勢いもあらわに、記者たちを前に意気揚々と作品のビジョンを語っていたその姿が記憶に残っていたからなのか、その時とはまるで異なるテンションの低さに、別人のようにも思えたものだ。

 それもそのはず、巨額の予算を投じ、4,50年代のハリウッドのスクリューボール・コメディの再来を謳った「未来は今」は、ハリウッドの映画史に刻まれるほどの大コケをする。そのあまりのコケぶりに、誰もがコーエン兄弟の終焉を予想してから、さして時も経たずして、実にひっそりと作った実録犯罪映画という堂々たる似非の触れ込みのフィクションの犯罪映画「ファーゴ」で、飄々とカムバックしてしまうコーエン兄弟の、しぶとさに、思わずニンマリしたことも憶えている。

 かくして、見た「ビッグ・リボウスキ」は、人生なんて、なるようにしかならないよ、という、そんな、テンション低めのコーエン兄弟のつぶやきがそのまま聞こえてきそうな、愛すべきダメ人間たちが、右往左往してくれる完全無欠なダメ人間バンザイ映画だった。

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 冒頭、ナイトガウンをだらしなく、まとっただけの姿で、スーパー・マーケットの中をうろつき、棚に並んだ牛乳に手を伸ばし、パックを開けてはその匂いをクンクン嗅ぐグダグダなキャラクター、ジェフリー・リボウスキ(ジェフ・ブリッジス)を見た途端、目が釘付けになった。大袈裟にいえば、その時、自分の中で「こんなキャラが見たかった」そんな風につぶやいて、胸をときめかせていた、もう一人の自分がいた。

 思えば日本の70~80年代初頭にかけてのTVドラマに出て来た探偵キャラは皆、いい加減な奴らだった。そんないい加減なやつらが、いい加減に生き、いい加減に死んでいく。そんなドラマたちに感化されて育った自分の、意識下の何かとシンクロするものがあったのかもしれない。

 家に帰ると、リボウスキは、どうやら別人の同名のリボウスキと間違えた奴らに因縁をつけられた挙句、居間のカーペットにションベンまで引っかけられる。そして、トイレット・シートに力なくリボウスキが腰かけた絶妙なタイミングで、ラララ~のテーマ曲が流れ始めた瞬間から、もう負け犬は、ダメ人間たちの世界にどっぷり浸かり、本作に完全にハートを奪われていた。

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 リボウスキの仲間は、揃いも揃ってダメでアホな奴らばかり。そして、どいつもこいつもやることといえば、リタイアしたシニアみたいにボウリングだけなのだ。リボウスキが、さしずめ探偵なら、退役軍人のウォルター(ジョン・グッドマン)は、探偵をアシストするサイドキックだろうか。しかし、このウォルターが危ないこと、この上もない奴で、他人のボウリングのマナーにすぐにキレて、銃を突きつける。もう一人のドナルド(スティーブ・ブシェミ)は引っ込み思案の痩せ男で、そのダメぶりの特長はおそろしく存在感が欠落していること。

 こんなダメな奴らが巻き込まれるのが、本物の富豪のリボウスキの、妾みたいな若妻の誘拐事件。とはいえ、リボウスキたちが事件に絡んでも、全く何の役にも立たず、事件だけが独り歩きしていく始末。

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 とにかくダメ男たちのアクセントには事欠かない。特に、リボウスキのライバルのジーザス(ジョン・タトゥーロ)が、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のラテン・ヴァージョンのBGMとともにパフォーマンスするシーンには、涙が出るほど笑わせられた。リボウスキに、アングラ芝居を見に来てくれと懇願し、アングラどころか、救いがたいほド下手な芝居を大真面目に演ずるダメ男マーティにも屈託なく、笑わされた。

 確かに、大筋のルックスだけは、チャンドラーのハードボイルドよろしく、意味深な奴らが入れ替わり立ち代わり現れはするが、その実、ハードどころか、思いきりソフトにボイルしたタマゴみたいなグジャグジャな展開の末に、全身タイツ姿の奇妙なチンピラに驚いたドナルドが呆気なく心臓麻痺で死ぬ。この70年代テイスト満載のみじめな末路には、これまたハートが奪われた。

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 結局、事件は、狂言誘拐らしき結末で、目当ての金も一銭ももらえなかったリボウスキとウォルターはドナルドの遺灰を海に巻いては、咳き込んでむせるしかないのだ。

 とにもかくにも全てがネット化され、整然としてしまった現代は、ダメ人間という種族が生きる余地すら与えられないような窮屈さがあるような気がする、そんな時、この映画を見るとホッとしてしまうのは、この負け犬が真正のダメ人間だからだろうか。それでもいい、ここが唯一のダメ人間の聖地だとすれば、たまにここに帰って来て思いきり息抜きしたい。

 本作は、そんな不思議な気にさせてくれるイケてる、グダグダ探偵ハーフ・ボイルド。

 因みに、マニアと言ってもいいほどボウリングに通いつめているリボウスキだけあって、本作には何度もボウリングのシーンが出て来る。しかし、肝心のリボウスキがプレイをするシーンはただの一度も出てこない。ここまで完璧に何もしないリボウスキは、劇中、自分のことをそう呼ぶように、本当にデュードな奴なのです。

負け犬のフランスからやって来たミュータント「ディーバ」

歌姫ディーバの艶やかな歌声に包まれ、雨に煙るパリの街が夢の国に変容する。ノワールとファンタジーが融合する夢のワンダーランド

(評価 82点) 

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水槽の中で真青な海が波打ち、郵便配達員ジュールの赤いモビレットがメトロを駆け抜ける!その瞬間、パリの街がファンタスティックな空間に変身する。ポップなフレンチ・コミックのような、唯一無二のファンタスティック・ノワール

 山と積まれたピースを一つ一つはめ込んで、キュートな一人のベトナム人の少女が作るのは、無限大のジグゾー・パズル。その終わりなきジグゾー・パズルを創り出すパズルのピースは夢の欠片。そして、パズルが完成した時、そこに浮かび上がるのは、誰も見たこともないワンダーランドに違いない。

 1982年頃、本作「ディーバ」の紹介記事が初めて日本の映画雑誌に載った時、その内容を語る文面のどれもが、まさに躍っていた。謳っていたのは、ノワールにアクション、オペラにファンタジー、マルチなジャンルが融合した全く新しいスタイルの映画ということだった。なによりも特筆されていたのは、その映画が、フランス映画というインフラから、ミュータントのように現れたということだった。

 フランス映画といえば、地味な映画というのが一般的な印象だが、エアブラシによるポップなポスターも鮮やかな、その映画の印象はまるで違っていた。やがて、続々と、その映画についての情報があちこちに載りはじめる。当然のように、その躍る文面とともにこちらの心も踊り、とにかく何よりも早く見たいと思ったものだった。

 ところが、諸般の事情がたあったらしく、公開は遅れに遅れ、ようやく見ることが出来たのは、それから何と一年後、フランス映画社配給の下、当時のミニシアターで、ひっそりと公開され、やっと見ることが相かなった本作は、確かに、フランス映画のみならず、それまでに見た映画のどれとも異なるようなミュータント的な魅力に満ちた映画だった。

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 ポップなインテリアもお洒落なロフトで暮らす、郵便配達員のジュール(フレデリックアンドレイ)には女神のような存在がいる。オペラ歌手のシンシアだ。ある日、とうとう思いが余って、シンシアの公演中、その歌声をひっそりと持ち込んだ愛用の録音機ナグラで録音してしまう。実はシンシアには、自らの肉声を媒体には、晒さないという断固たるポリシーがあって、ただの一枚たりともそのCDがこの世には存在しなかったのだ。

 しかし、ジュールが盗聴する様子を、アジア系の音楽業界のエージェントたちが目撃し、そのテープを狙ってジュールは追われることに。ところが時を同じくして、売春組織から逃げ出し、組織から追われていた娼婦が、瀕死の間際に、その証拠の録音テープを、郵便配達中のジュールのカバンに忍ばせてしまい、ジュールは、三つ巴の追跡劇に巻き込まれていく。

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 公開当時の日本には、今では一般的にも認知されているBD(バンド・デシネ)という言葉はなかった。モノトーンの日本のコミックスとは、まるで違うオールカラーの欧米のコミックス。中でも、ひときわ鮮やかな色彩と才能豊かなアーティストがひしめくフレンチ・コミックス。まさに「ディーバ」は、ポップでカラフルなフレンチ・コミックスの世界そのもの。

 歌姫ディーバの艶やかな歌声。のっぽとチビの殺し屋コンビ。ロフトの壁のエアブラシのイラスト。ローラースケートで路面をすべるように走るベトナム人の少女。魔女の城ならぬ灯台が、朝焼けに空高くそびえ立ち、そこから走り出す真っ白なシトロエン。映画の中でひしめき合う、そんなディテールの数々は、40年近くが経とうとする今でも、プチプチと弾けるサイダーの泡のようにその新鮮さを微塵も失っていない。

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 特に、夢の歌姫ディーバことシンシアと知り合いになることが出来たジュールが、小雨が降る夜明けのパリの街をそぞろ歩きするシーンの素晴らしいこと。青みがかった映像に、雨に濡れる凱旋門、美しいピアノ・ソロをバックに肩を並べ二人が歩くこのシーンを見るたびに、小さな劇場で初めて本作を見た時の興奮が昨日のことのように蘇って来る。

 また本作ですっかり気に入った監督のジャン・ジャック・ベネックスは、やはり従来のフランス映画とはまったく異なるビジュアル・センスを発揮し、その後も、「ベティ・ブルー」や「ロザリンとライオン」、「IP5」といった作品にいたるまで、この負け犬の映画遍歴の一時期で大きなステータスを示してくれることになったのだった(今は、すっかり新作が途絶えてしまったようですが)。

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 因みに、本作にはデラコルタなる作者の原作がちゃんとあって、その原作が、ジュールがピンチになった時、必ず何処からともなく現れてレスキューしてくれるお助けマンのゴロディシュ(リシャール・ボーランジェ)が主人公のシリーズものの小説であることを、どこかの雑誌で目にして知ったのは、ちょっとした驚きだった。

 ゴロディシュ役のシャール・ボーランジェといえば、同時期のフランス映画のネオ・ヌーベルバーグとでもいうべき、リュック・ベッソンの「サヴウェイ」でも実に印象的なキャラクターを演じていた。

 本作「ディーバ」はフランス映画ではきわめてレアなケースとして米国でもヒットした。後に、「グランブルー」で世界的なメジャー監督にのし上がったリュック・ベッソンをはじめ、今思えば、この時期のフランス映画は、新しい息吹とハリウッド流の大衆性とのバランスが巧みにとれた実に魅力的な作品が多かった。

 こう言っている間にも、モビレットで地下鉄の構内を駆け抜けるジュールがまた見たくなってウズウズしてくるのが悩ましい・・かつての衝撃的なミュータントは今もミュータントそのままで、とびきりの魅力に溢れた作品には違いない。

負け犬のスモールタウンは江戸川乱歩の猟奇の世界「ブルーベルベット」

アングラからビッグへの成功の青写真は、一度見たら忘れられない、猟奇と耽美、さらには世にも奇妙なオズの魔法使いの世界だった!

(評価 82点) 

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人間の耳の穴の奥深く、そこは誰も見たことのない世界!ただのアングラな映画作家のサクセスの法則は、童話と変態をレシピとする、世にも奇怪なミステリー。

 デヴィッド・リンチという男の名前を初めて目にしたのは、ちょうど1980年になった頃のこと。当時のキネマ旬報に、今野雄二氏によるLAのインディペンデント映画事情のリポート記事が載っていた。その時、ミッドナイト・カルトとして人気を集めている一作として言及されていたのが「イレイザーヘッド」だった。そして、それから直ぐ、地味なモノクロの、実話ものの一本の映画が日本で異例の興行収入を記録する。社会現象ともなったその映画の名は「エレファントマン」。

 かくして、一躍、知名度を上げたアングラ作家のルーチン・コースで、あの大プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスから声がかかり、デヴィッド・リンチはメジャー・スタジオの超大作「デューン」を手掛けることに。しかし、リンチはここで、ものの見事に大失敗する。

 誰もが思ったのが、アングラ上がりの勢いで、メジャーを任され失敗した一人の映画作家が、映画業界の非情なまでの掟に抹殺される末路だった。ところが、もうその名前を聞くこともないと思われた矢先、一本の控えめな低予算の映画が世間をざわつかせ始める。その映画のタイトルに躍っていた名前こそデヴィッド・リンチその人だった。

 その作品たる本作「ブルーベルベット」を初めて見た負け犬が、その時、何よりも驚いたのが、リンチが物語を、ストーリーをちゃんと語っていたことだった。本作が日本で公開されたのは、1987年。ビデオの全盛期ということもあって、カルトな作品が重宝され、リンチのデビュー作の「イレイザーヘッド」も、それに先立つ早い時期から、ビデオ屋の棚には並んでいた。その「イレイザーヘッド」を初めて見た時の感想たるや、作品がどうのこうというより、正真正銘のアングラ作品を目の当たりにしたというか、正直、評価のしようがない作品だな、という印象しかその時は感じなかった。

 だから、雇われ監督として仕事をした「エレファントマン」や「デューン」は、差し置いて、自ら脚本を書いた「ブルーベルベット」には、そもそもストーリーテリングなどというものは期待もしていなかったのだ。

 ところが「ブルーベルベット」は、ある意味、奇怪ながらも、リンチはストーリーを巧みな語り口で語ってみせていた。それは、いわば、スモールタウン・ホラーとでもいおうか。まずは、その事に素直に驚いた。しかし、本作の驚きは、それだけでは到底なかった。

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 まずは、ボビー・ヴィントンが歌う、のどかきわまりない「ブルーベルベット」で幕を開ける、映画の内容とは、まるでミスマッチなイントロのイメージが鮮烈。

 色鮮やかな花が咲き、行きかう人たちはみなにこやかに笑いかけ、快活に暮らしている。リンチがこのイメージを着想したのは、1964年のこと。以来、長い年月を経て、そのイメージがリンチの脳内で、奇怪な生き物のように、さまざまなフォルムにメタモルフォーゼを繰り返していく。

 その典型が、芝生に水をやっていた、主人公ジェフリー(カイル・マクラクラン)の父親が、突然倒れ、地面の芝生に向かってキャメラがトラッキングしていくシーンに如実に表れている。その時、蠢くのは虫たちだ。表向き明るくのどかなものの背後に存在するグロテスクな真実。このイメージから、この映画は本編に突入していく。

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 とにかく本作は、後にリンチ・テイストとして一般に認知されるようになっていく変てこなアイテムに満ちている。その切り口となるのが、人間の耳。リンチは、本作のオリジンを語るメイキングでも、ボビー・ヴィントンの曲の次に浮かんだイメージが人間の耳だったと語っている(この人の脳内世界はかくも変てこなのだ)。

 入院する父親を見舞いに行ったジェフリーは草むらの中に、切り落とされた人間の耳を発見する。本作は、ここから一気に、奇妙なミステリーの体裁を取り始める。

 変てこなアイテムを挙げていけばキリがない。まずは、耳を見つけたジェフリーが、地元の警察の刑事ジョンにそれを届けるシーン。無造作にジェフリーが紙袋に入れたその耳を見て、ジョンがにこやかに「こりゃ~確かに人間の耳だ」というシーンからして、どこか調子が外れている。

 鑑識に立ち会い、それがハサミによって切り落とされた耳であることが分かり、後日、ジェフリーはジョンの自宅を訪ねる。夜の散歩がてらに出かけたその道すがら、犬の散歩をしている男は、夜なのにサングラスをかけ、身じろぎもせず突っ立ったままだ。ジェフリーは訪れたジョンの家で本作のヒロイン、サンディ(ローラ・ダーン)と出会うわけだが、その時、自宅にいるのに何故か銃のホルスターを付けたままのジョンもまた、何かがやっぱりオカしい。

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 本作を見て、リンチが語ってみせるストーリーに引き込まれるにつれ、真っ先に頭に浮かんだのが、あの江戸川乱歩の世界だった。ストーリーのフォーマットがミステリーということもある、それに活躍する主人公が一応、ヤングアダルトの男の子と女の子ということもあって、少年探偵が活躍する乱歩の世界とイメージが重複したのだ。

 実際、探偵役のジェフリーは、ナイーブな恐れ知らずで、サンディから事件に、クラブ歌手のドロシー・ヴァレンズ(イザベラ・ロッセリーニ)が関わっていることを聞きつけ、果敢にも、害虫駆除の業者に化けて、そのアパートに乗り込み、部屋のカギを入手する。そして、後日、部屋に忍び込んだ時に目撃するのが、世にも奇怪な出来事なのだ。

 ジェフリーが慌ててクローゼットに隠れ、その隙間から垣間見たのは、マザコンの変質者フランク(デニス・ホッパー)とドロシーの倒錯的な変態行為。何故かフランクは、ブルーベルベットの切れ端を咥えて欲情し、「マミー!」と叫び、ドロシーを殴打しながらセックスする。その一部始終を、ジェフリーが覗き見るそのシーンなど、まさしく乱歩の代表作、屋根裏の節穴から主人公が下界を覗き見る「屋根裏の散歩者」をそのまま想起させる。

 ジェフリーは、フランクがドロシーの息子を人質に取ることで、ドロシーを肉体的精神的支配下に置いていることを知り、ターゲットをフランクに絞る。ここからの独壇場といってもいいフランクのキャラクターのインパクトは今更、語ることなど何も無いほどでしょう。「ブルーベルベット」は、このフランクの暴れっぷりを見るためにあるといっても過言ではない。

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 何よりも素晴らしいシーンは、ジェフリーがフランクに拉致同然に連れて行かれた売春宿らしき場所で、フランクの仲間のベンがロイ・オービソンの「イン・ドリームス」のレコードに合わせて口パクで優雅に歌ってみせるシーン(ここにいる女たちが皆、肥満体なのが実に奇妙!)。

 厚化粧したオカマのベンが唄い、そのそばにフランクが立っている。やがて、感極まったフランクは、全員をファックしてやると叫んで、仲間たちと夜のドライブに繰り出すが、その時、フランクは魔法使いのようにかき消える。本作が「オズの魔法使い」の暗喩であることを如実に物語るシーンでもある。

 やがて、フランクと対決することになるドロシーのマンションの部屋でのクライマックスのシーンも異様そのもの。拷問されたとおぼしき黄色いジャケットを着た屍同然の男が、何故か倒れもせず突っ立っている。この男が、ポケットに入っている警察無線のトランシーバーが鳴りだすや、機械仕掛けの人形のように、突然、片手を跳ね上げる。おそらく、こんな奇怪なシーン、誰も、本作以外で目にすることはないだろう。

 エンディングでは、ジェフリーはどうやら、サンディとも結婚し、幸せな家庭を築いているかのようにして本作は終わる。それは、あたかも、この奇怪きわまりない事件が、まるでジェフリーが大人になるための通過儀礼の青春の一ページだったかのようでもある。

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 確かに、今見ても本作には、リンチ印としかいいようがないアングラちっくなアイテムが満載されている。しかし、それでいてアングラそのもののそうした要素が、誰も脱落しないレベルで程よくコントロールされ、逆に陶酔を覚えるほどに昇華されていることには、とにかく驚くしかない(この後に続く「ロスト・ハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」では、どんどん脱落者が増えていくことになるのだが)。

 そしてリンチ自身も、この江戸川乱歩を思わせる猟奇的で、一見、わけのわからないミステリーというジャンルで金鉱を掘り当ててみせた。リンチは、後に、このテイストを、TVというフレームに持ち込んだ「ツイン・ピークス」で見事にマネー・メイキングのサクセスも獲得した。5年がかりでダーク極まりない「イレイザーヘッド」という異形の作品でデビューしたアングラ作家の、これは、ある意味、冗談のようなサクセス・ストーリーといえないだろうか。

 撮影現場のメイキングでも、撮影中も決してラフなスタイルなどせず、首元までカラーのボタンをきっちりとはめながら、頭の中では、奇怪でグロテスクで異常なイメージが渦巻いているこの人は、きっと今も地球の何処かでほくそ笑んでいることでしょう。