負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のフランスからやって来たミュータント「ディーバ」

歌姫ディーバの艶やかな歌声に包まれ、雨に煙るパリの街が夢の国に変容する。ノワールとファンタジーが融合する夢のワンダーランド

(評価 82点) 

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水槽の中で真青な海が波打ち、郵便配達員ジュールの赤いモビレットがメトロを駆け抜ける!その瞬間、パリの街がファンタスティックな空間に変身する。ポップなフレンチ・コミックのような、唯一無二のファンタスティック・ノワール

 山と積まれたピースを一つ一つはめ込んで、キュートな一人のベトナム人の少女が作るのは、無限大のジグゾー・パズル。その終わりなきジグゾー・パズルを創り出すパズルのピースは夢の欠片。そして、パズルが完成した時、そこに浮かび上がるのは、誰も見たこともないワンダーランドに違いない。

 1982年頃、本作「ディーバ」の紹介記事が初めて日本の映画雑誌に載った時、その内容を語る文面のどれもが、まさに躍っていた。謳っていたのは、ノワールにアクション、オペラにファンタジー、マルチなジャンルが融合した全く新しいスタイルの映画ということだった。なによりも特筆されていたのは、その映画が、フランス映画というインフラから、ミュータントのように現れたということだった。

 フランス映画といえば、地味な映画というのが一般的な印象だが、エアブラシによるポップなポスターも鮮やかな、その映画の印象はまるで違っていた。やがて、続々と、その映画についての情報があちこちに載りはじめる。当然のように、その躍る文面とともにこちらの心も踊り、とにかく何よりも早く見たいと思ったものだった。

 ところが、諸般の事情がたあったらしく、公開は遅れに遅れ、ようやく見ることが出来たのは、それから何と一年後、フランス映画社配給の下、当時のミニシアターで、ひっそりと公開され、やっと見ることが相かなった本作は、確かに、フランス映画のみならず、それまでに見た映画のどれとも異なるようなミュータント的な魅力に満ちた映画だった。

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 ポップなインテリアもお洒落なロフトで暮らす、郵便配達員のジュール(フレデリックアンドレイ)には女神のような存在がいる。オペラ歌手のシンシアだ。ある日、とうとう思いが余って、シンシアの公演中、その歌声をひっそりと持ち込んだ愛用の録音機ナグラで録音してしまう。実はシンシアには、自らの肉声を媒体には、晒さないという断固たるポリシーがあって、ただの一枚たりともそのCDがこの世には存在しなかったのだ。

 しかし、ジュールが盗聴する様子を、アジア系の音楽業界のエージェントたちが目撃し、そのテープを狙ってジュールは追われることに。ところが時を同じくして、売春組織から逃げ出し、組織から追われていた娼婦が、瀕死の間際に、その証拠の録音テープを、郵便配達中のジュールのカバンに忍ばせてしまい、ジュールは、三つ巴の追跡劇に巻き込まれていく。

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 公開当時の日本には、今では一般的にも認知されているBD(バンド・デシネ)という言葉はなかった。モノトーンの日本のコミックスとは、まるで違うオールカラーの欧米のコミックス。中でも、ひときわ鮮やかな色彩と才能豊かなアーティストがひしめくフレンチ・コミックス。まさに「ディーバ」は、ポップでカラフルなフレンチ・コミックスの世界そのもの。

 歌姫ディーバの艶やかな歌声。のっぽとチビの殺し屋コンビ。ロフトの壁のエアブラシのイラスト。ローラースケートで路面をすべるように走るベトナム人の少女。魔女の城ならぬ灯台が、朝焼けに空高くそびえ立ち、そこから走り出す真っ白なシトロエン。映画の中でひしめき合う、そんなディテールの数々は、40年近くが経とうとする今でも、プチプチと弾けるサイダーの泡のようにその新鮮さを微塵も失っていない。

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 特に、夢の歌姫ディーバことシンシアと知り合いになることが出来たジュールが、小雨が降る夜明けのパリの街をそぞろ歩きするシーンの素晴らしいこと。青みがかった映像に、雨に濡れる凱旋門、美しいピアノ・ソロをバックに肩を並べ二人が歩くこのシーンを見るたびに、小さな劇場で初めて本作を見た時の興奮が昨日のことのように蘇って来る。

 また本作ですっかり気に入った監督のジャン・ジャック・ベネックスは、やはり従来のフランス映画とはまったく異なるビジュアル・センスを発揮し、その後も、「ベティ・ブルー」や「ロザリンとライオン」、「IP5」といった作品にいたるまで、この負け犬の映画遍歴の一時期で大きなステータスを示してくれることになったのだった(今は、すっかり新作が途絶えてしまったようですが)。

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 因みに、本作にはデラコルタなる作者の原作がちゃんとあって、その原作が、ジュールがピンチになった時、必ず何処からともなく現れてレスキューしてくれるお助けマンのゴロディシュ(リシャール・ボーランジェ)が主人公のシリーズものの小説であることを、どこかの雑誌で目にして知ったのは、ちょっとした驚きだった。

 ゴロディシュ役のシャール・ボーランジェといえば、同時期のフランス映画のネオ・ヌーベルバーグとでもいうべき、リュック・ベッソンの「サヴウェイ」でも実に印象的なキャラクターを演じていた。

 本作「ディーバ」はフランス映画ではきわめてレアなケースとして米国でもヒットした。後に、「グランブルー」で世界的なメジャー監督にのし上がったリュック・ベッソンをはじめ、今思えば、この時期のフランス映画は、新しい息吹とハリウッド流の大衆性とのバランスが巧みにとれた実に魅力的な作品が多かった。

 こう言っている間にも、モビレットで地下鉄の構内を駆け抜けるジュールがまた見たくなってウズウズしてくるのが悩ましい・・かつての衝撃的なミュータントは今もミュータントそのままで、とびきりの魅力に溢れた作品には違いない。