負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

木枯し紋次郎 第十五話「背を陽に向けた房州路」 初回放送日1972年5月6日

その正体は小仏の新三郎!

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<紋次郎が、たまたま助けた庄左衛門の娘お町は、かつて行き倒れた自分を助けてくれた酌女の深雪という女にそっくりだった。そして、そのお町から、庄左衛門の村の寺を占拠して居座るならず者たちに捕えられている女の名が深雪であることを知らされる。庄左衛門とお町に懇願され、紋次郎は単身、寺に乗り込み、死闘の末、全員を倒すが、捕らわれていた女はお銀という全くの別人だった。村に隠された大量の隠し米を守るためのお町の嘘に怒ることもなく、紋次郎は夕陽を背に村を去る>

 

 深雪という女とのたった一度の義理を果す、その己の流儀を貫く紋次郎が描かれたエピソード。自分のアウトローの身分をわきまえて、村ぐるみで隠し米の秘密を守るため平気で女たちやならず者まで利用する農民たちのしたたかさにはあえて目をつぶり、エンディングで夕陽を背にして去る紋次郎のシルエットがひたすらカッコいい本作。

 ハイクォリテイーを常に保ちながらも、常に本シリーズの悩みの種だったのが、原作本位のシリーズであったこと。そのため原作のやりくりには常に苦労を強いられた。そこで良く使われたのが笹沢左保の別原作の主人公を紋次郎にすげ替えるというもの。

 本作も原作では小仏の新三郎という全くの別人が主人公だった。

 また、劇中、紋次郎が行き倒れ二両の借りを作る場面の女は、原作ではお染という名で、二両と合わせて平打ちの銀の箸をもらうという設定になっている。ユニークなのは、くだんの小仏の新三郎が原作のクライマックスではその箸を武器にして戦うこと。

 小道具といえば、紋次郎の言わずと知れたトレードマークのあの楊枝。本シリーズを通じてある鉄則が一途に貫かれているのをお気づきでしょうか?

 原作でははっきりと紋次郎が楊枝を武器にするシーンが描かれているのに本シリーズでは一切、そんなシーンは無い。これは本シリーズのクリエイターである市川崑の流儀だった。市川崑にすればあの楊枝は紋次郎の生きざまの一つのスタイルの表れと捉えていたのです。その流儀は、本作のラスト、農民たちの悪行に口を閉ざすのも自らが背を陽に向けて歩くアウトローだからだと明言して静かに去っていく紋次郎の姿に良く現れている。

負け犬さんの先進国の上から目線がウザイけど映像が圧巻だからまあいいやの件「アバター」

物語はナウシカを始めとする既成の物語の完全なパクリだけど、ここまでの映像の熱量を見せられたらまずはひれ伏すしかない

(評価 86点)

f:id:dogbarking:20210109115559j:plainその時、その男は初めての監督となる作品のロケーションに旅立つべく、仲間が開いてくれたお別れパーティの席上にいた。山ほどのB級C級映画で、段ボールの高層ビル群を作り、背景となる書き割りの絵を描く、そんな特殊効果係という完全な裏方から、吹けば飛ぶようなB級映画にせよ堂々監督の座にまでのぼりつめたその男は、勝ち誇ったような笑みを隠そうともせず揚々と初監督作のロケーションに旅立った。そのB級映画の名は、「ピラニア」の続編「殺人魚フライングキラー」。だが、男はすぐにその映画のプロデューサーと対立し初監督のクレジットの夢は消え果てる。

その男の名はジェームズ・キャメロン

かくして初監督という野望は挫折に終わったものの、「ターミネーター」以降、「タイタニック」でハリウッドの頂点を極めるまでのジェームズ・キャメロンの活躍は誰もが知るところ。そんなキャメロンでもその出発点は、文字通りの下積みよりもさらに下級の下働きに過ぎなかったのだ。

そしてキャメロンが更なる頂きを目指し、現時点での頂点となる「アバター」を負け犬が見たのは、恥ずかしい話、つい最近。ということは公開当時から10年近くの月日が経ってから・・しかし、それでもその映像には冒頭から最後までことごとく圧倒された。

だが、しかし、これも世評通り、そのお話しのフォーマットが既製品の良くいえばエピゴーネン、悪く言えばパクリでしかないことも痛感した。

この映画におけるネガティブの意見の代表は、反米主義ということらしいけど、負け犬が何度も見て思うのは(やっぱりエンタメ度と映像の圧巻さが好きで何度も見ちゃいますよね)、パンドラにおけるナヴィ他の部族の描き方が、何だかあまりにも先進国からのおそろしいほどの高さの上から目線で描かれているところ。明らかにナヴィたちをパンドラならぬアフリカ大陸の部族に位置づけられるような人たちとして、カリカチュアされて描かれ過ぎなのが、ものすごくウザく感じられてしまうのだ。

しかしながら、いつもながらのキャメロンのメカやギアに関するヴィジュアルのこだわり、当時も今も革新的なレベルのCGはとにかく楽しい。そして、本編さながら見るたびに驚くのがエンドクレジットに名を連ねるその膨大なスタッフの数。キャメロンの下にこれほどの人間が集って一つのものを作り上げたという事実には感動を覚える。

思えば、そもそもキャメロンがこの業界に入るきっかけとなったのは1978年にDIY感覚でほぼ手作りで作った「Xenogenesis」というアマチュア映画だった。その「Xenogenesis」は有難いことにYOUTUBEで見ることが出来る。何とも驚くのはアマチュアの自主映画丸出しの素朴さだ。あのキャメロンも出発点は、こんなチャーミングな映画であることが何だかうれしくなる。

そのアマチュアの素人映像と30年後のCG映像を見比べると、誰もが一人の人間がその人生で辿った進化の軌跡を実感するに違いない。キャメロンは人がボンヤリヒマを潰していたり遊んでいる時も片時も休むことなく働いてきた人なのだろう。

気になるのはすっかり都市伝説と化し、未だに陽の目を見ていない「アバター」の続編のプロジェクト。何はなくともとにかく不安なのは一作目のストーリーのオリジナリティの無さ、この内容であと何作も作ることが出来るのか?それがただの杞憂で終わってくれればいいのだが

 

 

負け犬さんの妻と娘をレイプされたから自警主義を始めたはずなのに何かが根本的にオカシイ件「狼よさらば」

あの「タイタニック」のジェームズ・キャメロンが最も嫌いな監督だと激白したマイケル・ウィナーの問題作とは、如何なるものだったのか?

(評価 66点)

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凌辱、強姦、残虐無比!目を背けたくなる暴力的なレイプシーンの、あまりにも即物的で非人間的な描写にただ戦慄する!

 かつて、あの「タイタニック」で有名なジェームズ・キャメロンが何かのシンポジウムで観客とのセッションを交えて講演する映像を見ていたことがある(おそらく「アビス」を公開したばかりの頃だったから大昔の話だが)。その時、観客の一人が最も嫌いな監督は誰か?という意表をつく質問をキャメロンに問いかけたのだ。その時のキャメロンのリアクションのことは、今でもまざまざと覚えている。キャメロンは、まるで吐き捨てるかのようにこう答えた「あいつだよ・・名前を口にすることすらイヤだけど・・マイケル・ウィナーだ」とハッキリ言った。その件については、それ以上言及されることもなく、今に至っても、ジェームズ・キャメロンがどうしてマイケル・ウィナーのことをそれ程嫌いなのか未だに謎なのだ。

 でも、この負け犬は大体の察しがつく。それほど嫌いなのは当然、その監督が作った作品が原因に違いない、そして、ジェームズ・キャメロンがほのめかしていた作品こそマイケル・ウィナーの代表作たるこの「狼よさらば」に違いないと。

 建築家として順風満帆の生活を送っていたポール・カージーチャールズ・ブロンソン)の妻と娘が凶悪なチンピラにレイプされたことから復讐の鬼と化したブロンソンが、自分が司法だとばかりに悪党たちを自ら始末していくというのが内容の、今でいう自警主義映画の先駆けとなった本作。

 とにかく特筆すべきは、ブロンソンの行動のきっかけとなるそのレイプシーンの凄まじさだ。本作の製作年度は何と1974年、今から半世紀近くも前になろうとする・・しかし、そのシーン、時間にしてはほんの1~2分にせよ、その凄絶さ、殺伐さ、俗悪さにかけては今のレイプもののAVが束になってかかっても足元にも及ばないほどの神も仏も微塵もよりつかないような恐ろしさなのだ。

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 まるで女優を家畜以下としかみなしていないような、その扱いの手荒さ、本気で強姦し、乱暴を加え、犯しているかのような超リアリティーには、見てはいけないものを見てしまったかのようなバツの悪さすら感じるほどなのだ。

 ひょっとして、まずはキャメロンの逆鱗に触れることになったのはこのシーンの露骨ぶりではないかと想像する。

 ところが、それを発端としてこの映画はこの後、どんどん捻じれた方向へと進んでいく。何の変哲もない小市民に過ぎなかったブロンソン(どこから見てもタフガイなブロンソンが小市民というのもちょっと・・)がまず最初に悪党を倒すのに使う武器は袋に詰めたコイン。それをブラックジャック替わりに通りすがりの強盗のチンピラに一撃をくらわし、すぐさま逃げて自宅で興奮もあらわに勝利の余韻に浸る(ここのシーンは素直に感情移入できて実に素晴らしい)。そして、その後、親しいクライアントからたまたま譲り受けていたピストルで次々とチンピラを殺し始めるのだ。

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 普通のドラマツルギーに則れば、殺す対象のチンピラと妻と娘をレイプした実行犯との接点がせばまって、最後にその実行犯を倒して復讐を果たせば、ドラマとしてのカタルシスは生み出せる。しかし、本作があくまで異様なのは、途中から妻と娘がレイプされたことなど、ほったらかして、ブロンソンが次々とチンピラを嬉々として殺し始めるのだ。また、そのチンピラの描き方自体も、薄っぺら極まりなく、まるで夜店の射的の標的のように次々、ご都合主義を絵に描いたように出ては撃たれていく。

 しかし、何よりも唖然とするしかないのが、警察は最後に悪の処刑人を気取る犯人のブロンソンを現行犯で確保することに成功する。それなのに何と世論を配慮するとして、ブロンソンを片田舎の州外に逃がすのだ。

 本作は公開当時、ニューヨーク最悪レベルの治安の悪化を受け、社会現象となり大ヒットした。今から思えば、おぼろげに想像はつくけど、どうしてあのキャメロンが唾棄するほどの嫌悪感を示してマイケル・ウィナーを嫌ったのか、その真意は想像の域を出ない。本作よりもっとヒドイ映画はこの世にいくらでもある。キャメロンの敵意の意図を各人で解釈するのも楽しいかも。

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 エンディングは本作で最も有名なシーン。警部のフランク(ヴインセント・ガーディニア)に見送られ州外に旅立つ空港で、ブロンソンが通りすがりのチンピラにニヤリと笑いかけ、人差し指を向けて銃を撃つ仕草をしてみせる。この不敵な笑みで映画は終わる。日曜洋画劇場で放送された時、あのサヨナラおじさんの淀川長治さんが、空港のブロンソンジェスチャーは、これに懲りずにまたブロンソンが悪党退治をやり続けるということをシンボリックに表現しているんですよ~♪と得意満面に語っていた。その言葉通り、本作はあの悪名高いデス・ウィッシュシリーズとして5作を数えるシリーズともなった。

負け犬さんが解離性同一性障害に悩んでいたことを知ってビックリした件「バウンド」

マトリックス4」も楽しみだけど、そもそもウォシャウスキー兄弟がウォシャウスキー姉妹に豹変するなんて誰が想像出来ただろう

(評価 72点)

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たまたまあのシルベスター・スタローンアントニオ・バンデラスの顔合わせが珍しくて「暗殺者」という作品を借りてみたことがあった。感心したのは実にタイトなその脚本。その時、脚本家の名前を確認したのがウォシャウスキー兄弟の名前を最初に知ったきっかけとなった。

 おそらくこの「バウンド」を見たのも、まだあの「マトリックス」でその名が一躍、世界に知れ渡る前のことだったような気がする。それを見たのも「暗殺者」の脚本の印象が記憶に残っていたからに違いない。その時も、前作よりもさらに磨きがかかった脚本と監督までそつなく手掛けたその腕前にちょっと驚いた記憶がある。だが、その時、もっと気づいてもいいはずのことに十数年後に気づかされることになるとは・・・

 本作をTSUTAYAの棚に見つけてオヤッと思い、再見したのはつい先頃。本作の特徴は、マフィアを手玉に取って大金をせしめるのが女二人のコンビであるところだ。初見時には、そのことを何とも思わなかった。しかし、今回見てみて、これほどまでに監督自らの性的コンプレックスをあからさまに吐露した作品だったとは、と改めて驚いた。

 女二人コンビの一人、5年の刑期を終えたコーキー(ジーナ・ガーション)が、あるマンションの一室に配管工として作業をするところから始まる本作。そこで隣室のマフィア、シーザー(ジョー・パントリアーノ)の囲い者ヴァイオレット(ジェニファー・テイリー)と知り合い、レズビアンの関係となったことからシーザーの200万ドルをせしめる計画を企てる。

 冒頭、コーキーが酒場に入る。そこは女だけの酒場。最初見た時は何とも思わなかったが、今回、そこがまさにムンムンとしたハードゲイのいわゆる“ハッテン場”の女性版の溜まり場であることを実感させられた。そう、この映画、何から何までハードゲイジェンダーが逆転した世界なのだ。

 人間の変化という意味では、この兄弟ほど変化した人間はいない。何せ、兄弟から姉妹に変化したのだから。コーキーとヴァイオレットの激しい性交シーン。そこには当時、兄弟だったウォシャウスキーたちのトランスジェンダーとしての苦悶や激しい肉体的な性的葛藤がそのまま表れている。おそらく本作製作当時に、観客はおろか本作のスタッフにいたるまで兄弟のこうした葛藤に気づいていた人間は一人もいなかったのではないか。

 シーザーに虐げられていたヴァイオレットを半ば、見かねるかたちで大金強奪計画に協力するようになったコーキーは、窮地に立たされるが、ヴァイオレットに気があるマフィアの親玉ミッキー(ジョン・P・ライアン)を巧みに手玉に取って、まんまと200万ドルを手にラスト二人は揚々と去っていく。

 そこには葛藤の苦悶の傷を作品によって和らげた人間への救いがあった。

かくして現在、姉妹の一人ラナ・ウォシャウスキーは、世界の映画ファンの期待を一身に受けて「マトリックス4」を鋭意、制作している。前作「マトリックス」で肉体の足枷から解放され、新人類として再生を果たしたネオのように、性的トラウマからの救済を果し身も心も女性になったラナが女性としてのジェンダーを発揮しどんな世界を見せてくれるか期待したいものです。

負け犬さんの緑と赤の板ガムは爆発しちゃって超危険でやっぱり「スパイ大作戦」だよネの件「ミッションインポッシブル」

赤と緑のガムをくっつけたらドッカ~ン!のカタルシスこそスパイ大作戦だ!ミッションインポッシブルとスターウォーズの因縁の関係をひもとく

(評価 84点)

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猛スピードで突っ走る列車もろともトンネルに突っ込むヘリコプター。イーサン・ハント(トム・クルーズ)がエイヤ!とばかりにそのヘリに飛び移り、そこであのラロ・シフリンスパイ大作戦のテーマ曲が・・!ジャンジャンジャンジャン~♪すかさず殺られた仲間のエミリオ・エステベスの敵討ちにとばかりに取り出したのが緑と赤のガム!ハントが仇敵ジム(ジョン・ヴォイト)に向かって叫ぶ「レッドライト!グリーンライト!」そして二つのガムをヘリのシールドにぺったんこ!ドッカーン!この瞬間、年甲斐もなく見るたびに大喝采を上げてしまうのはこの負け犬だけなのでしょうか?

 あくまでも「ミッションインポッシブル」ではないんです。「スパイ大作戦」なんだヨ~2~以降も見たけど2~以降はテーマ曲だけを借りたトム様主演のただのアクション映画じゃねえか、という文句言いの人たちには、やっぱりこの第一作目じゃないでしょうか。

 この一作目のテイストに最大の貢献を果たしたのはやっぱり大好きな監督でもあるブライアン・デ・パルマだと断言できる!しかし、実はその大成功の陰にはあの「スターウォーズ」との因縁があったのです・・

 1977年、苦心惨憺の末、「スターウォーズ」を完成させたルーカスは、まず親しい仲間だけを集めて自宅でラフ・プリントの試写を行う。ところが、友人たちは全員が完全なドン引き状態、水を打ったように静まり返った。当たり前だ。当時は「狼たちの午後」や「タクシードライバー」といった社会性とメッセージ性を持った映画が歓迎されていた。大学の映画科を出てフイルムメーカーを目指すものが作る映画も自ずとそうしたカラーのものだった。それなのに、いきなり目の前に突き出されたお子様向けの映画を見て、噴飯ものだとあからさまに言うものもいた。

 中でも「スターウォーズ」のことを最もバカにしたのが若きブライアン・デ・パルマだった。おそらくデ・パルマには当時、ライバルに先んじて既に劇場映画を何本もモノにしていたプライドもあったのでしょう。

 ところが、ご存知の通り、「スターウォーズ」は映画史を塗り替えるほどの大ヒット。そしてブライアン・デ・パルマはそれ以降、その映画人生を通じてずっと「スターウォーズ」コンプレックスに悩まされることになる。自分には「スターウォーズ」に肉薄し、越えるほどヒットする映画が撮れるのか?デ・パルマはその苦悶に終生、悩まされる。

以降のキャリアはご存知の通り、興行的には良くてトントンの映画しか生み出せず完全なスランプに、その時、デ・パルマに舞い込んだ企画が1960年代に一世を風靡したTVシリーズ「アンタッチャブル」だった。完全にそのTVシリーズと世代も被るデ・パルマはその映画で見事に大ヒットを飛ばし、第一線に返り咲く。

当時、自らプロダクションを立ち上げたばかりのトム・クルーズがそれを見逃すわけはなかった。トム・クルーズがその時、映画化を熱望していた企画こそ、自らも子供時代にかじりつくようにして熱狂したこれもやはり60年代の人気TVシリーズ「スパイ大作戦」だった。

TVシリーズのテイストをそのまま長編映画に生かせる実力、それでいて技巧派、映像派としての自分のテイストも失わないデ・パルマの才能にトム・クルーズは賭けた。

オープニングからハントの芝居で幕を開ける本作には心憎いほどのオリジナルのTVシリーズへのオマージュとテイストが溢れている。さらにあまりにも有名なCIA本部でディスクを盗み出すあの宙づりショー。「アンタッチャブル」でも予算を倹約するためクライマックスを駅での銃撃戦に咄嗟に変えてみせたそうした機転が本作でも最大限に生かせている。

かくして、ブロックバスター的な興行面での成功が皆無に等しく「スターウォーズ」コンプレックスに苦しんだデ・パルマも本作で立て続けの大ヒットをとばし、留飲を下げることができた。

そんなデ・パルマが最近、すっかりリタイアのスタンスに収まっているのは何だかさびしい。デ・パルマファンとしては、あの超危険な赤と緑のガムガム爆発大作戦ならぬカムバック大作戦となってほしいのを日々、切に願っているのです。

負け犬たちの吸血酒場「フロム・ダスク・ティル・ドーン」

ヴァンパイアたちが夜な夜な集う吸血酒場。そこにとんでもない悪党がやって来ちゃったら、そりゃもう大騒ぎにもなるよね

(評価 76点)

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タランティーノといえば、巨匠になった今でも初期のグラインドハウス的なB級ムービー臭が魅力の人。そんなタランティーノが「パルプフィクション」で最も乗りに乗っていた時期に脚本を手掛け、悪党の一人にも扮した快作。

 当時、タランティーノに心酔していた自分は、公開前から本作のシナリオ本を買っては読んでいたものです。まあ、まるでパルプなアメコミを地で行くようなシナリオだったのを今も覚えている。何というか実にアクティブ、改めてタランティーノの書くという能力のポテンシャルの高さに驚いたものです。同時にやはりB級的な資質がもっとも似合う人だな、ということも

 本作のキモは前半の悪党ムービーから後半のヴァンパイアホラーに一気に転調するところなのだけど、そういうなりふり構わぬカップリングって思えばB級ムービーにしか出来ないやんちゃぶりなんですよね。

 たとえばカンフー映画と西部劇をカップリングさせた「荒野のドラゴン」とか、そのカンフーとモロヴァンパイアをカップリングさせた「ドラゴンvs七人の吸血鬼」(昔。土曜映画劇場でやってたな~)とか。西部劇とSFのカップリング「カウボーイvsエイリアン」とか(一応、あれはA級なんですかね?まあ感覚はB級ですよね)。とにかく面白けりゃ、何でもいいやでエイヤでカップルにしちやう。まあ、映画そのものを二本立て、三本立てにするグラインドハウス・スピリッツというやつなのでしょう。

 思えば本作自体、タランティーノ脚本(原案ロバート・カーツマン)に監督がロバート・ロドリゲスという夢のグラインドハウスコンビでもあった。

 冒頭のイカすコンビニ強盗シーンから、前半はハーヴェイ・カイテルの神父を巻き込んでのメキシコ国境目指してのクライム・サスペンス。そして後半、ホラー・アクションに豹変するダブル・フォーマットの本作はもうオールカラーのマンガそのもの(本国ではアメコミ化もされている)。B級ながらも一粒で二度おいしい贅沢な気分にも浸れます。

 願わくば、引退すらほのめかしているタラちゃんには、もう一度「キル・ビル」の再来のようなやんちゃなバカ映画を撮ってほしい。日本の侍と鬼ならぬヴァンパイアが対決する「サムライvsヴァンパイア」なんてどうでしょうね?タラちゃん

負け犬は歯医者が嫌い「マラソンマン」

拷問マニアと健康志向のアスリート、どちらの方も楽しめるサスペンスって超お得かも

(評価 84点)

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走るニューヨーカー。一時期、アメリカでジョギングが大ブームになった。それも世界の中心地たるニューヨークで。当時のニューヨーカーたちはとにもかくにもやたら走っていたのだ。走る目的はといえば、勿論、健康のため。でも、健康のためのランニングが生き延びるための役にも立つということを教えてくれもする映画なのです。箱根駅伝もあったことですし、マラソンつながりでマラソン・サスペンスはいかがでしょう。

朝、ユダヤ人の学生のベーブ(ダスティン・ホフマン)がいつものようにジョギング中、たまたま見かけた自動車事故、という実にさりげない出だしから、一挙にパリに飛んで、ベーブの兄ドク(ロイ・シェイダー)のスリリングなスパイ映画的なサスペンスがパラレルに描かれる序盤が実にエキサイティングな本作、サスペンスジャンルでは負け犬的最上位クラスに位置するほど好きな作品でもある。

最も脂が乗り切っていた、70年代の顔ともいうべきダスティン・ホフマンとロイ・シェイダーはもとより、「ローリング・サンダー」の主演も忘れ難いバイプレイヤーのウィリアム・ディヴェインや、ナチの残党ゼルを演じた名優ローレンス・オリビエの存在感にも圧倒される一作。

何よりもマラソンという何でもない日常と国際的な謀略という有り得ないほど対極的な要素が交わることで動き出すドラマ構成が実に面白い。冒頭の交通事故で死亡したのがゼルの兄だったことから、当のゼルが南米を密かに脱出し、アメリカに乗り込んで来る。そしてベーブの兄のドクに接触したことから無関係なはずのその要素が一つに合流する。

ドクがゼルに殺害されベーブはゼルの一味に拉致される。そこからの本編の白眉、ベーブがゼルに歯科医のドリルで拷問されるシーンはあまりにも有名、ウィ~ンという誰もが生理的に嫌悪感を覚えるあの音をうならせながら、ベーブの健康な歯の歯髄にドリルを立てるシーンは何度見ても、こちらまでのけぞってしまう威圧感があるのですヨ。

しかし、一番好きなのは、その後、あっと言わされるちょっとしたひねりがあってからのベーブの逃走シーン。相手はしつこく何処までも追いかけてくる。それも相手は諜報機関に携わるプロ、肉体的な訓練もしているわけだからすぐにベーブに追いつくと思っている。だが、捕まれば殺される、そう確信した途端、それまでヨタヨタ走っていたベーブがマラソンランナーとしての能力を覚醒させて一気に本気走りのスタイルになるところが実に良い。ここからの走り合いは実に見物。結局、普段から鍛えていたベーブの足が勝つ。何とか死の瀬戸際を切り抜けたベーブの逆襲がそこから始まるのだ。

走らなければ現代は生き抜けない!走れなくなったら死ぬしかない!そんなキャッチコピーがピッタリの、何だかメタボで怠惰な日々を送る人々に活でも入れてくれるような、元気が出る映画でもある。必見!

ちなみに劇中、拷問を受けたベーブの歯にひまし油を塗るとたちどころに痛みが消えるのだけど、ひまし油にそんな効果なんてあるのでしょうかね?