負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

木枯し紋次郎 第十五話「背を陽に向けた房州路」 初回放送日1972年5月6日

その正体は小仏の新三郎!

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<紋次郎が、たまたま助けた庄左衛門の娘お町は、かつて行き倒れた自分を助けてくれた酌女の深雪という女にそっくりだった。そして、そのお町から、庄左衛門の村の寺を占拠して居座るならず者たちに捕えられている女の名が深雪であることを知らされる。庄左衛門とお町に懇願され、紋次郎は単身、寺に乗り込み、死闘の末、全員を倒すが、捕らわれていた女はお銀という全くの別人だった。村に隠された大量の隠し米を守るためのお町の嘘に怒ることもなく、紋次郎は夕陽を背に村を去る>

 

 深雪という女とのたった一度の義理を果す、その己の流儀を貫く紋次郎が描かれたエピソード。自分のアウトローの身分をわきまえて、村ぐるみで隠し米の秘密を守るため平気で女たちやならず者まで利用する農民たちのしたたかさにはあえて目をつぶり、エンディングで夕陽を背にして去る紋次郎のシルエットがひたすらカッコいい本作。

 ハイクォリテイーを常に保ちながらも、常に本シリーズの悩みの種だったのが、原作本位のシリーズであったこと。そのため原作のやりくりには常に苦労を強いられた。そこで良く使われたのが笹沢左保の別原作の主人公を紋次郎にすげ替えるというもの。

 本作も原作では小仏の新三郎という全くの別人が主人公だった。

 また、劇中、紋次郎が行き倒れ二両の借りを作る場面の女は、原作ではお染という名で、二両と合わせて平打ちの銀の箸をもらうという設定になっている。ユニークなのは、くだんの小仏の新三郎が原作のクライマックスではその箸を武器にして戦うこと。

 小道具といえば、紋次郎の言わずと知れたトレードマークのあの楊枝。本シリーズを通じてある鉄則が一途に貫かれているのをお気づきでしょうか?

 原作でははっきりと紋次郎が楊枝を武器にするシーンが描かれているのに本シリーズでは一切、そんなシーンは無い。これは本シリーズのクリエイターである市川崑の流儀だった。市川崑にすればあの楊枝は紋次郎の生きざまの一つのスタイルの表れと捉えていたのです。その流儀は、本作のラスト、農民たちの悪行に口を閉ざすのも自らが背を陽に向けて歩くアウトローだからだと明言して静かに去っていく紋次郎の姿に良く現れている。