負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。また、日々のトピックや時事問題に関する雑感を、生き物たちが繰り広げる動物コミックのスタイルでご紹介!どうぞお楽しみください

負け犬女が半魚人と恋をしてエッチして水棲人間になった件「シェイプオブウォーター」

異形のクリーチャーに愛情を注ぎ続けてきた怪童がその集大成として描くのは、アマゾンの半魚人と女性とのラブストーリーのフィルターを通して描く究極の異端者の悲しみだった!

(評価 80点)

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ヘルボーイも巨大ロボも出てこない、登場するのはアマゾンの半魚人ただ一体。それだけにデル・トロのテイストが100%際立つ怪童の集大成的作品。

 自らクリーチャー的なその風貌で未だに映画小僧としての魅力を発散してやまないギレルモ・デル・トロ。デル・トロのトレード・マークといえばそのデビュー作から、吸血鬼に昆虫のモンスター、それに悪魔小僧と仲間たち。つまりはノーマルになりたくてもなれない悲しみを背負った異形のモンスターたちの数々だった。本作はそんなデル・トロが、自らのフィルモグラフィの集大成として、一つのピリオドを打ちたいがために創り上げた作品のように思える。そして、その集大成のシンボルたるクリーチャーとしてチョイスしたのが、大アマゾンの半魚人だったというのが如何にもデル・トロらしいところ。

 時代設定は1960年代の米ソ冷戦真っただ中、政府の極秘研究所で清掃員として働くイライザがそこで出会ったのは、アマゾンから連れて来られた半魚人だった。イライザは不気味なそのクリーチャーのことが何故か気になり、人目を避けて接しているうちその感情が愛情へと変わっていく。

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 プロットの骨組みそのものは、古今東西、一世紀も前から、星の数ほど作られて来た怪獣、クリーチャーものと何ら変わらない。しかし、そこから一歩たりとも真摯なまでに逸脱しないことで、逆にデル・トロの作家性と個性が際立っているところが実に面白い所。現に見ている間感じたのは、洋画を見ているというより、半魚人のクリーチャーがあくまでCGではなく、デル・トロが執着する着ぐるみなのもあいまって、かつて子供の頃にどっぷりはまって見ていた円谷プロの作品群を見ている感覚だった。

 そもそもこの半魚人自体、デル・トロがライフワークだとも称し、興行面でイマイチふるわず三部作として完結させることが出来なかった「ヘルボーイ」のその相棒、半魚人のエイブと、ルックスから仕草からエフェクトから何から何まで完全コピーといっていいほどそっくりなのだ。それもそのはず、着ぐるみ役者はエイブと同じダグ・ジョーンズ。一時期のスコセッシの作品群で、スコセッシの世界観をスクリーン上に具現化するメンター的な存在としてロバート・デ・ニーロがいたように、優雅でありながら、その仕草とパフォーマンスの節々に異端者の哀しみを繊細に通わせるダグ・ジョーンズが、ここでは、デル・トロその人に成り替わって異端者の悲しみを存分にまで表現しきっている。

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 そもそも、半魚人は言うに及ばず、主役のイライザが言葉を発することが出来ない障碍者の女性であるという設定からして異端者のメタファーであることは明らか。半魚人に恋をし、何と性行為にまで自ら進んで及んでしまうという理由というのが、障碍者ゆえの究極の孤独からという、センチメンタルきわまりないモチベーションであるところに、あえてオーソドックスに徹するというデル・トロが本作に課した鉄則のようなものすら感じさせる。

 クリーチャーが半魚人のみ、凝ったセットデザインも半魚人が収監される研究室のみということで、いつも嬉々としてペンを走らせるはずのデル・トロ・ノートの出番も案外少なかったような気もする本作だが、その分、デル・トロが長年培ってきたテクニックの粋を本作では存分に発揮している。

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 オープニングの、たゆとうような水面世界、巧みにCGを使いこなすその手腕。メルヘンチックな色彩も鮮やかなその映像。巧みな編集と決して飽きさせないそのテンポ。夜間のシーンが圧倒的に多いのにまばゆい光を感じさせるキャメラ。設定面でも、イライザが住むアパートの階下が映画館で、如何にもクラシックな映画の数々がスクリーンには映写されている。さらには、イライザと半魚人とが最初にコンタクトを取るきっかけとなる食べ物がゆでたまご。つまるところ、何から何までデル・トロという人間の感性と世界観が、煮詰められ、純粋ろ過したような液体が注ぎ込まれたグラスの中を覗き込んでいるのが、本作だといっていい。そして、その液体の中を泳ぐのは、最後に結ばれ、その純愛を成就するイライザと半魚人なのだ。

 子供の頃、モノクロTVで見た「大アマゾンの半魚人」のクリーチャーが、ただのモンスターとして終始し、人間とは相容れない存在として終わる世界観が気になったというデル・トロ。それを創作のモチベーションとしてきたデル・トロが、デビューから数十年の時を経て、途中、ヘルボーイでのエイブというドレスリハーサルを経ながら、ようやく自分が描きたいことを本作で描き切ったわけだけど、次に向かうフェーズは何なのだろう?

 そして、本作で忘れてはならないといえば、ヴィラン役のマイケル・シャノンの存在。異端のクリーチャーがいれば、その対極にある体制側の人間が必ずいる、というわけで、研究所を統括する大佐のストリックランドを演じたこのマイケル・シャノンが実に秀逸。子供向けのキャンディを常に口の中で頬張り、ガリガリと噛み砕いているストリックランドのこのキャラクターの圧倒的な威圧感。だからこそ、ラストで、このストリックランドに半魚人が鉄槌を下すところで、カタルシスを覚え、イライザが半魚人の力で水棲人間となって海底で結ばれるエンディングに圧倒的な美しさがあるのでしょう。

 二作のみで終わったデル・トロ版のヘルボーイのエンディングはバリー・マニロウのポップスだったが、本作のエンディングはスタンダードなミュージカルナンバーなのが粋なところ。本編でもイライザと半魚人がミュージカルそのままに踊るシーンが出て来る。ヘルボーイ・ゴールデンアーミーのメイキングでは、撮影の打上げの際、デル・トロとスタッフたちが、そのマニロウのポップスを皆で大合唱する和やかなシーンが出て来る。

 ただのオタクではない、巨大なスケールのハリウッドの映画業界で、無数のスタッフたちを率先するリーダー的な資質も兼ね備え、精力的に映画のメイキングを続けるデル・トロの動向は、このコロナで若干、失速気味とはいえ、今後も絶対に目が離せないところですよね~