負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう崖っぷちの映画録。また、たまに<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>と題して、映画の実際のスクリプトを原文と翻訳でご紹介。英語学習気分もちょっぴりどうぞ!

負け犬のヒッチハイカーは猫と旅するノマドな老人「ハリーとトント」

老いても尚、ポジティブに生きることが出来るか?オン・ザ・ロード!ハリーと猫のトントの旅に終わりはない!(評価 80点)

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路上に暮らすノマドたち、それが老人であっても何もオカしくはない。ニュー・シネマが到達したそのノマドの相棒は一匹の猫だった。

 若者の専売特許のようなアメリカン・ニュー・シネマ。そこでは必ずと言っていいほど旅があった。更に、大抵は男たちの旅でもあった。しかし、ニュー・シネマもやがて避けられない老いの問題と向き合った時、その相棒は一匹の猫となり、ジイさんがヒッチハイクで旅するハートウォーミングな名作となった。

 本作公開当時の70年代半ば、パニック映画の良作が興行を賑わしていたさ中に、一匹の猫を抱く老人の本作のポスターが、ニュー・シネマのテイストを存分に漂わせつつ、きわめて異色でもあり、新鮮でもあったのを覚えている。

 初見はあのサヨナラおじさんこと淀川長治さんの「日曜洋画劇場」だったはず。しかし、以降、本作はなかなかソフト化されることもなく、近年、ようやくDVD化されて再見を果たすことが出来た。誰もが避けることが出来ない老いをテーマとしつつも、本作にウェットな湿っぽさはまったくない。あくまでもベースのテイストはニュー・シネマなのだ。ドライな感覚で老いを描いているところが如何にもアメリカンで、今では欠かせない一本になっている。

 内容はといえば、ご存知の方もたくさんいるはず。マンハッタンで猫のトントと暮らす72才のハリー(アート・カーニー)。しかし、長年住み慣れたアパートが撤去されることになり、一旦は、長男家族のもとに身を寄せるが、いつもベンチで会話を交わしていたユダヤ人の友人の死をきっかけに、各地で暮らす子供に会うため、旅に出る。

 旅と言っても、まずはその目的地は、娘シャーリー(エレン・バースティン)のいるシカゴだから、小旅行程度のつもりで長男も送り出したはずだった。しかし、空港で、猫のトントを咎められ、空路をあきらめ乗った長距離バスでは、バスの中のトイレでトントにグズられ、その用を足そうと降り立ったのが災いし、そのまま置いてきぼりをくらってしまう。本作は、そこから晴れてノマドな老人となったハリーの旅の軌跡を描いていく。

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 旅とくれば欠かすことが出来ないものが、人との出会い。ハリーが最初に出会うのが、自称10代半ばのティンエイジャーの女の子。車を買ったはいいが、免許が失効していることに気付き、無免許でドライブする途上、拾ったヒッチハイカーだった。年は離れてはいるが気の合う旅を続けるうち、ハリーは若き日の恋人だったジェシーのことを打ち明ける。ジェシーを捜そうというヒッチハイカーの女の子の誘いにのって、その行方を尋ねるが、そのジェシーは老人ホームで暮らしていた。ここで、認知症を患い忘我の状態のジェシーとハリーがたどたどしくダンスを踊る姿を、ヒッチハイカーの女の子が黙って見つめるシーンには胸を打たれる。

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 やがて着いたシカゴには、娘のシャーリーが待っている。ニュー・シネマ世代を代表するような名女優エレン・バースティンがシャーリーを演ずるが、登場シーンは10分にも満たない。しかし、ハリーとシャーリーが会話を交わすシーンは、その節々から、この親子が、シャーリーが若く多感な時期に、壮絶な修羅場のような関係にあったことをにじませる本編中もっともしみじみとさせてくれる名シーンとなっている。親子というのは、それ自体、一つの生き物で、それぞれが年を取っていくとともに変容していくものなのだ。

 その後も、旅を続けるハリーはやがて、自らがヒッチハイカーとなる。たまたま拾ってくれたのがコールガールで、そのコールガールにドライブ中に誘われ、事に及んでしまうシーンでは、昇天のメタファーとして、ロマンチックな音楽とともに、車が小高い丘に駆け上がるギャグを交えて笑わせてくれる。

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 たどり着いたベガスでは、調子に乗って酔っぱらった挙句、警察に捕まり、留置されるが、そこではインディアンのサム(チーフ・ダン・ジョージ)との出会いが待っている。エピソードの数々に、殊更、ドラマチックなものがあるわけではない。それ自体、旅の途上、通り過ぎる風景の一つなのだ。しかし、そのどれもが見ているものの記憶に着実に刷り込まれていく。本作の、そうした自然体なところが素晴らしいところなのだ。

 最後に立ち寄った息子のエディは、芸能界のビジネスでかつては羽振りが良かったが、今はすっかり落ちぶれている。父親のハリーと肩を並べて座るや、安心したかのように子供のようにメソメソと泣きじゃくる。このエディをベテランのラリー・ハグマンが演じている。たとえ出来が悪くても、逆にこうして素直に泣いてくれる息子こそがハリーにとってはかけがえのない存在なのだ。

 そして、旅の最後にやって来る、愛猫のトントとの悲しい別れ。トントを看取り、浜辺にいる時、トントと似た野良猫を見つけ、フラフラと誘われるように追いかけていくハリーの姿が実に切ない。その時、砂遊びをしている女の子を見かけ、その傍に座り、ハリーは一緒に女の子と砂の城を作り始める。

 作中のハリーの年令は72才。製作当時の70年代半ばなら、立派な老人と言ってもいいはずだけど、現在の72才というのは、少々、微妙なところでしょう。わずかな年金だけで、満足に暮らしていけるか?体は健康で働く意欲も十分にある。本作のハリーのように、最初からリタイヤと決め込むには、まだまだ早いというところでしょうか。何にせよ、アフター・リタイヤの定年問題が、目前に迫りつつあるこの負け犬にとっても切実な問題なのです。

 それは、さておいて本作、特筆すべきは音楽。この後、あの「ロッキー」でブレイクするビル・コンティが全編にわたって提供してくれるスコアの数々が、何とも素晴らしい。ドライでありながら、この音楽によって、センチメンタルな郷愁のような感動すら味わえる傑作であることは間違いないでしょう。