負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のガールズは無敵!「デス・プルーフ」

ガールズがトークし、そして、痛快にやり返す!内容はただそれだけ!映画の杓子定規なドラマの常識を根底から破壊した怪童タランティーノの最高傑作!

(評価 90点)

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映画はドラマとストーリー。そんなつまらない常識を軽快にぶっ飛ばす、タランティーノの才能が燦然と輝く傑作ホラー・アクション!

 その昔、自分も映画のシナリオなるものを書きたくなって、題名もずばりの「シナリオ入門」なる本を買って読んだことがあった。その本曰く、良き映画のシナリオとは、すべからくストーリー、ひいてはその構造を成すプロットに尽きると書かれてあった。確かにそのことに何の異論もない。古今東西、別に映画に限らず、小説やマンガといったフィクションで面白いと言われるものはまずプロットが面白い。そして、それによって構成されるストーリーというものが言うに及ばず面白い。シナリオが映画の命とすれば、面白い映画になる鉄壁の条件は、そのプロットが面白いといえる。そして、そのシナリオの入門書には、最初の1ページ目から、何らかの事件なり、展開の無い映画は、そもそもシナリオとして失格だ、とも書かれていた。

 しかし、ここに一本の映画が存在する。その映画とは、冒頭から女の子が出てきて、何のプロット展開もないまま、ただダラダラと40分近くもお喋りするというトンデモナイほどルーズな映画。そんな映画が面白い映画になり得ることなど常識からいえば絶対に有り得ない。

 だが、どんなジャンルでも、天才といわれる存在は、既成のセオリーなど軽々と破壊してみせる。そして、本作「デス・プルーフ」こそ、その常識破壊の紛れもない証跡であり、この映画を作ったタランティーノは、いわば揺るぎない映画の常識というやつの破壊神なのだ。

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 地元の町の人気DJジャングル・ジュリア(シドニー・ポワチエ)とバタフライことアーリーン(ヴァネッサ・フェルリト)他の四人組は、いつもの酒場に陣取って、とめどもなくも、くだらないガールズ・トークに今日も余念が無い。

 タランティーノのトレード・マークといえば、登場人物たちの無意味なトーク。ここでもあの「レザボア・ドッグス」のイントロを髣髴とさせるお喋りが、同様の回転するキャメラのトラッキング・ショットを交えて、その何倍もの長さで延々と続く。だが、初めて見た時、このシークェンスで奇妙な違和感を覚えたことを今でも憶えている。普通の映画のセオリーでいえば、何のプロット展開もないまま、ただ、ガールズがダラダラとお喋りを続けるだけのシークェンスが面白いわけなどない。だが、しかし、何故かこれが不思議に面白い。最初に憶えた違和感とはまさにこの感覚だった。

 更にこのシークェンスにタランティーノは、自分がもっとも敬愛する映画の一本にいつも挙げるデ・パルマの「ミッドナイト・クロス」のテーマをジャングル・ジュリアの携帯の着メロとして、インサートし、オマージュまで捧げる余裕まで披露し、ニヤリとさせてくれる。

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 そして、登場するのがマッチョ剥き出しのスタントマン・マイクこと、マッケイ(カート・ラッセル)。本作を牽引するメイン・キャラクターが、ガールズたちに割って入っても、映画のテンポ自体は変わらない。そのリズムはあくまでガールズたちのトークなのだ。

 タランティーノのスタンスは変わらない。更には、ガールズとマイクとの会話に熱が入り、アーリーンがジュークボックスの音楽にノリノリになってマイクに迫る、セクシー・ショットの絶頂で、いきなりジャンプ・カットでフィルムを寸断して、タランティーノはここでもちゃんと笑わせてくれる。

 そして、いよいよこのスタントマン・マイクデス・プルーフたる本性を発揮し、ガールズたちの肉体を、その屈強なスタント・カーで破壊してみせた時、このサイコ野郎への異様な嫌悪感の爆発と、それまで愚にもつかないお喋りを聞かされ続けていた、チャラチャラした若い女たちを、スタントマン・マイクが爽快にぶっ殺してくれたことへの奇妙なカタルシスの爆発とが、混ざり合って、既成のどんな映画でも感じたことのない衝撃を味合わせてくれることになる。

 ジャングル・ジュリアの足が吹っ飛び、アーリーンの顔面がタイヤで抉り取られる、このくだりでのガールズの肉体破壊の描写は実に凄まじい。

 映画のセオリー破壊は、この程度で収まらない。この衝撃の余韻も収まらないまま、実に淡々と次のチャプターが始まるところが面白い。

 その常識破壊とは、前半のチャプターがコピーのようにそっくり繰り返されるところ。前半パーツと全く同じ顔ぶれのような四人組の女の子がまた出てきて、そっくり同じペースでまたガールズ・トークを始めるや、誰もが唖然とするに違いない。また繰り返す気なの?この負け犬も最初、見た時は、思わずそう口にしていた。ところがタランティーノは動じない。ちゃんと、四人の女の子の中に秘密兵器ともいうべき、陰の主役をここで交えている。

 その主役とは、役名も本人そのままのゾーイ・ベル。この逞しき主役のゾーイが出てくるのが、映画開始後、1時間以上も経ってから。一体、主役が出てくるのが、映画が始まって1時間などと、そんな映画が今まであったのだろうか?ある訳がない、こんなスタンド・プレイなど、怪童タランティーノ以外に出来るわけがないのだから。

 そして、ここでまたしても繰り返されるトークで、タランティーノがガールズに吐露させるのがセブンティーズのエンブレムともいうべき映画「バニシング・ポイント」への熱烈な愛情だ。しかし、これがただのマニアックなアクセントで終わる訳はない。この映画のキー・イメージたる名車、ダッジ・チャレンジャーがクライマックスの伏線にちゃんとなっているところなど、やっぱり実に抜け目がないのだ。

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 かくして、前半パーツの二の舞で、たやすく料理できるものとナメてかかるスタントマン・マイクにガールズたちが逆襲する世紀のクライマックスが幕を開ける。ゾーイがダッジ・チャレンジャーのボンネットの上に乗り、キム(トレイシー・トムズ)が猛スピードで突っ走るという、夢のアクロバット・ライドを満喫している最中、スタントマン・マイクが追突を仕掛けてくる。自身、スタントマンであるゾーイ・ベル本人が吹き替えなしで、やってのける、男の意地でアナログにこだわりぬくタランティーノのカー・アクションへの熱情が爆発したようなこのシーンのエキサイティングなこと。強烈なスリルと興奮とは、まさにこれ。

 そして、今度はスタントマン・マイクを追う側に転じたガールズたちのあおりを受け、マッケイのスタント・カーが看板に激突する絶妙なタイミングでセブンティーズのTVドラマのメイン・テーマが鳴り響く瞬間となるや、もうエクスタシー以外の何物でもない。その余韻も冷めやらず、ガールズがマッケイをボコボコにぶん殴り復讐の雄叫びを放ち、快哉を上げるエンディングのノリは、完全に香港のカンフー映画のエンディングだ。

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 映画作り、ひいてはモノ作りに、そもそも、決まりきったセオリーなんてものは存在しない。自分の感性のままに素直に表現したものこそが面白い。そんなことを教えてくれる、この負け犬にとっては貴重な映画。そして、何かスカッとしたい、と思っときに、必ず手が伸びてしまう映画でもあるのです。

 ずば抜けた才能というのは、いつの時代でもやっぱり偉大なものなのですよね~や~羨ましい限りです