負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬は衝突すれば分かり合えるのだろうか「クラッシュ」

人生は人と人とが絶え間なくスクランブルする交差点。だから、車のように衝突することもある。しかし、事故で負った傷も少しの思いやりと優しさがあれば癒されることをこの映画は教えてくれる

(評価 88点)

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総勢十数人に及ぶ、人種が違う人々のクラッシュがシャッフルし、錯綜する。そして、その果てに光が差す希望に、何度見ても涙する。

 文句なしの名作「ブロークバック・マウンテン」を制し、第78回のアカデミー作品賞を受賞した作品、ということもあって、ゲイという尖ったテーマが嫌われて、差障りの無い作品にオスカーが与えられたという偏見をこの「クラッシュ」に抱いてしまい、長らくみていなかった。ようやく見てその素晴らしさに驚いた。やはり本作のテーマ同様、偏見というのはいけないものです。何よりも驚いたのは、実に気持ち良く泣かされたこと。

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 多人種間のクラッシュを描く本作で、ジーン(サンドラ・ブロック)が電話でこう話す、「私は、朝起きた時からいつでも何かに苛立っている。でも、それが何故だか分からない」

 人種間の軋轢だけではない、普通の日常で、ジーンのように何故だか分からないけど、いつも苛立ちを抱えている人は多いのではないでしょうか。苛立ちといっても、怒りというほどのものではなく、いわばさざ波のようなもの、しかし、その小さな波でも、ぶつかり合えば荒ぶる波にもなってしまう。

 イントロのとある交通事故の現場の様子を描く幕開けから、本作は一転、時間軸が36時間前の前日に遡る。それを起点として始まる緊密な群像劇のパッチワークの口火を切るのが、銃砲店で護身用に銃を買い求めるペルシャ系のファハドと娘のドリだ。店主のイスラムを揶揄する扱いに激怒するファハドをなだめ、娘のドリは銃を手にして店を出る。まず圧倒されるのが、それを皮切りに、目まぐるしくシャッフルされる多人種間のクラッシュを緻密に織り上げていくポール・ハギスによる本作の脚本。ただ緻密なだけではない。十数人にも及ぶキャラクターたち一人ひとりを、決して一面的ではなく、多面的に描いてみせる筆力にはただただ舌を巻く。

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 そう、誰でもいい面もあれば、悪になる側面も持ちあわせている。それはまるで、エンディングで、空から舞い落ちてくる雪の結晶が、光の屈折のプリズムで、刻一刻と違った姿に見えるのにも似ている。本作で泣かされたのはまさにそのプリズムだ。

 どのキャラクターに共感するかで、見る人によって感銘のプリズム自体、変わってくる本作だけど、この負け犬が最も泣いたのは、LAのしがないコップのライアン(マット・ディロン)にまつわるエピソード。ライアンは、膀胱に障害を抱える病身の父親との二人暮らし。尿が満足に出来ない父親にいつも夜中に起こされる。父親は、昔、工場経営をしていたが、今は全てを失った。黒人のケア・ワーカーに父親の症状を訴えても聞き入れてもらえない。ライアンは心のどこかで、有色人種が白人よりも優遇されているという偏見を持っているのだ。そんなライアンが、パトロール中、たまたま目に止まった黒人夫婦に職質まがいの悪質なハラスメントをする。ライアンとは、まるでクラスが違うハイソなルックスの夫婦にイラついた上での所業であることは察するが、現実に白人警官による過剰防衛を臭わす、黒人への暴行致死事件が頻発している世相もあいまって、このハラスメントのシーンのイヤな感じが半端なく、ここでいっきにライアンへのネガティブな感情が植え付けられる。

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 しかし、このライアンが翌日警ら中に交通事故に遭遇する。その時、ライアンは使命感から、車の中にいる女性を助けようとするが、その女性は何と、昨夜、自分がハラスメントをはたらいた黒人女性クリスティンだった。ハラスメントを受けたクリスティンのトラウマも半端なく、クリスティンは、漏れ出したガソリンが迫っていて、数秒後には爆発する一刻の猶予もない絶対的な状況の中で、ライアンの顔を見るやパニックに陥り激しく拒絶する。しかし、ここでライアンはあくまでも警官としての使命を果たそうと自らの命もかえりみずクリスティンを助け出そうとする。

 死への恐怖、しかし、自分の全人格をハラスメントで凌辱したようなライアンへの拒絶感、そしてライアンの人命への使命感、直前のライアンのハラスメントのシーンでのライアンに対する印象の反動もあって、あらゆる、感情、エモーションがヒートアップするこのシーンには、何度見ても泣かされる。

 それだけではない、感動は、つるべ打ちにやって来る。冒頭で、護身用にピストルを買ったファハドの店が荒らされ、直前に口論をしていたメキシカンのダニエル(マイケル・ペーニャ)を犯人と思い込んだファハドはダニエルの自宅に押し掛け、駆け寄って来たダニエルの娘を誤って撃ってしまう。そこでの、全身から振り絞るようなダニエルの慟哭の後に訪れる奇跡にも、熱い涙が溢れ出るのを禁じ得ない。

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 この映画は教えてくれる、人と人、そして人種間での軋轢による、小波がぶつかって、大きな波となり海が荒れても、少しの思いやりと優しさがあれば、穏やかに収まる時は必ずやって来るのだ。とは言え、人種問題なんて、そんなに単純なものじゃない、この映画で描いているのは綺麗ごとに過ぎないと思う人もいるはず。

 はっきり言ってその意見は正しいと思う、そんなに単純なものではないこともまた確か。それでも、人と人とが激しくクラッシュし、傷ついたその後には希望があっていいと思うのです。今のこんな時代だからこそ、厚く立ち込めた雲の間から差し込むような希望の光があってほしいと切に思うのです。

 人は誰でも、自分の家に帰る家路を探して彷徨っているのではないでしょうか、それでもエンディングで流れるステキな曲「MAYBE」で唄われるように、明日になればきっと、自分の家に帰るその道が見つかるのかもしれないのだから。

 そんな一抹の優しさをもたらしてくれる、実にステキな映画だと思うのです