負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のサイコな愛情「危険な情事」

男と女、家族とシングル。もっともシンプルで、もっともありふれた題材から生まれた超絶ホラーの大傑作!

(評価 84点)

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世間で話題になりながらも何の因果か見ないまま、何十年も過ぎてしまっている。そんな映画がありませんか?この負け犬にとっては、本作がそんな映画だったのです。ある日ふと、そういえば、昔、話題になったあんな映画があったよな・・と思い出し、気まぐれにレンタルで見てみたら、これが超絶的な大傑作で、うれしい誤算にときめいた、というお話し。

 もう何十年も前の本作の公開当時のことは憶えている。時代はバブル真っ盛り、不倫が一つのトレンドともなっていた、そんな時代に公開された本作。新聞にデカデカと載っていた映画の全面広告や、TVで流れていた、街頭のカップルに不倫絡みのこの映画の感想をインタビューで問いかける映像なども、未だに記憶に新しい。

 しかし、元来、天邪鬼な負け犬根性で、トレンドには見向きもしない我が性格と、何よりも本作にネガティブな印象を持ってしまったのが、大々的に言われていた、この映画は、そもそもイーストウッドの「恐怖のメロディ」のパクリに過ぎないという世評を鵜呑みにしてしまったからなのだ。

恐怖のメロディ」はTVで断片的にだが、見ていて、佳作という印象があった。それにしても、元々、シンプルな話でネタも割れている。それに監督のエイドリアン・ラインについても当時は単にフォトジェニックな監督ぐらいしか印象はなかった。それ以来、数十年を経てから初めて見て、今回、喜びに震えることになったのです。

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 何よりも素晴らしかったのが他でもないエイドリアン・ラインの超絶的なまでに素晴らしい演出。元々、ビジュアリストのエイドリアン・ラインのその映像は、他のビジュアル志向の監督たちとは一線を画している。ラインの独特なセンスによって切り取られる映像は、他の誰にもない美的センスとリアリティがある。

 とりわけいつも感心させられるのは、何の変哲もない日常の小物のカット、たとえば沸き立つケトルといったもののクローズアップ・ショットの独特な魅力。そのクローズアップ・ショットを巧みにインサートしてカットのコンティニュティを作り上げていくテクニックは見事としか言いようがない。ただし、本作ではそうした技巧に加えて、実にナチュラルなシーンの造型に抜群の冴えを見せている。

 たとえば、冒頭のヒッチコックを思わせるビル群のシルエットのパン・ショットの後、ダン(マイケル・ダグラス)が幼い娘と無邪気に遊ぶシーンのその実にナチュラルな自然さ。随所に見られるリアリティある日常のそうした描写が本作を通じて抜群の効果を発揮している。

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 だから、ダンが妻のベス(アン・アーチャー)の留守中に、さきにパーティで知り合ったアレックス(グレン・クローズ)と、つい魔が差して、浮気に走ってしまうという流れに何の抵抗もなく感情移入して没入させられてしまうのだ。

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 そして、セックスの後、去ろうとするダンにアレックスがいきなり激高し、本性を見せた時、ゾっとさせられて、その瞬間からジェットコースターに乗せられたようなライドに見事に連れて行かれてしまう。

 本来、持っているファッショナブルな映像感覚は勿論、ドリー・ショットやパン・ショット、それにトラッキング・ショットに巧みな光と影、ラインはそうしたあらゆる映像テクニックをまるで画家が、絵具や筆や絵肌のマチエールまでを自在に使いこなすように使い分け、見るものを作品世界に引きずり込んでいく。いやはやこんな見事な傑作だったとは、もう恐れ入るばかり。

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 一つだけ言えるのは、本作が「恐怖のメロディ」のパクリなどではない事。浮気をした相手がサイコだったという大筋だけは一緒にせよ、決定的に違うのは、「恐怖のメロディ」の主人公が独身のモテ男だったのに比べ、本作のマイケル・ダグラスのダンが家族持ちであること。それによってテーマ性が別物のように明確になっている。更に本作では、家族という人間の集団のもっとも基本的な単位とシングルの女性との対比を浮き彫りにすることで、「恐怖のメロディ」とは比べ物にならないほどの共感性を帯びることに成功している。

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 だからまるでシングルの女性の代表のようなアレックスがサイコなモンスターのように描かれていても、見る側はダンの妻のベスに感情移入して、フェミニストの反発を受けずに済んだのかもしれない。

男と女が婚姻関係になって、夫婦になる。夫婦関係も円満で何の不満もない。でも、人間は時にイタズラをしたくなる生き物で、ついアバンチュールにうつつを抜かせば、手痛いツケが回って来る、それが女性の妊娠というやつで、なんていう事は、取り立てて取り上げるべきできもない。それこそ人間が何世紀にもわたって繰り返しているつまらない事で、映画のネタにも到底ならないはずのもの。それを本作は、あえてそれに焦点を当てて見つめることで比類のないエンタメに仕立ててしまった、大袈裟にいえばそこには一つの革新性がある。

 演技陣についても文句もつけようがない。アレックス役のグレン・クローズの超絶的な演技メソッドたるやほぼ神がかっているレベルではないでしょうか。

 ちょっとした浮気、不倫、そのツケの大きさが分かりつつも、それを悔い改めもせず未だにそれを繰り返す人間たち。でも、もしも変な世評に吊られて本作に負け犬のような偏見を抱いたまま、この映画を未だに見るに至っていない、なんて人がいるとしたら、その偏見は悔い改めるに十分ですよ!

(ちなみにDVDには、完全に編集済のもう一つのエンディングのボーナスもあった。アレクスというキャラクターの末路を別の切り口で描く、逆にこちらの方が無理はないエンディングで感心した。ただし、カタルシスは本編のエンディングの方が数段上なので、チョイスは正しかったということなのでしょうね)