負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の神様も虎にはなれず「トラ・トラ・トラ!」

神様も虎にはなれなかった!夢で終わった映画の神様、黒澤明ハリウッド・デビューの真相を暴く!

(評価 70点) 

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誰もが待ち望んでいたであろう、黒澤明のハリウッド・デビュー。しかし、その夢は突然の降板劇によって、遂に実現しなかった。今も尚、謎とされるその降板劇の真相に迫る。

 真相を暴く、とか真相に迫る!などとブチかましましたが、負け犬にそんな大それたことが出来るわけがない。暴いたのは、あくまでもノンフィクション作家の田草川弘氏。田草川氏の著作には、「トラ・トラ・トラ!」での黒澤明の降板劇の顛末を綿密な取材に基づき書き上げた「黒澤明vsハリウッド」という名著がある。

 最近、この負け犬はその「黒澤明vsハリウッド」を読み、ようやく、そのいきおいでこの「トラ・トラ・トラ!」を見るに至った。実のところ映画本編よりもその「黒澤明vsハリウッド」の方に思うところが大きかった。

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 誰でも思いますよね、映画史にも刻まれるようなあの事件。あの時、一体、何が起こったのか?その一部始終をこの「黒澤明vsハリウッド」は明かしてくれる。そして今まで知らなかった天皇とも呼ばれた黒澤明の知られざる人間性をも知らしめてくれる実に興奮もののノンフィクションだった。

 1967年にその製作発表が行われたこの「トラ・トラ・トラ!」。その顛末を語る上で欠かすことができない人物がいる。本作のプロデューサー、エルモ・ウィリアムズだ。当時、ヒット作に恵まれず、屋台骨が傾きかけていた二十世紀フォックスを救ったといわれる大ヒット作「史上最大の作戦」に、続けとばかりに、当時の二十世紀フォックスの社長ダリル・ザナックが発案した「トラ・トラ・トラ!」の企画に、その立案時から全面的に関わったのがエルモその人だったのだ。

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 そして、そのエルモがクロサワ作品に心酔していたことから、黒澤を「トラ・トラ・トラ!」の監督に指名したことで、映画史に残ると言ってもいい、運命的な両雄の邂逅が実現する。しかし、当初は希望に満ちていたその出会いが、やがて泥試合のような混乱をきたし、苦い末路を辿る、その一部始終が「黒澤明vsハリウッド」には記されている。

 映画好きなら、夢中になること間違いなしの、興味深いディテールに満ちたこの著書の中でも、わずか1ページで言及されているにも関わらず、とりわけこの負け犬が驚かされたことがある。

 それは他でもない、黒澤の財政事情である。当時、黒澤は監督だけではなく、黒澤プロダクションの実質的な経営者も兼ねていた。東宝からの資金供給が実質的に絶たれた中、著書には、黒澤家の家計が、かなりの火の車の状態であった一文が記されていた。そして、その家計にひとまず一息つける潤いをもたらしたのが、「トラ・トラ・トラ!」の監督に抜擢された際、二十世紀フォックス側から支払われたアドバンス、すなはち、拘束料の、(当時の換算レートにおける)千八百万円のお金だったという。

 黒澤といえば、勿論、当時すでに世界に名立たる巨匠。その巨匠にしても、やはり、モノ作りの世界における経済事情はかくも厳しいものだったのだ。

 通読して意外な発見でもあったのは、結局、黒澤明という人が世間で思うほど剛健質実な人ではなく、常に自分の見た目を気にする、以外に気の小さな人物であったこと。そして、結局、そのナイーブさこそが、全てにおいて自身のハリウッド・デビュー崩壊の元凶となったことが、紙面から実に良くわかる。

 監督降板に至る、直接的な原因ともなったトラブルの震源ともいう場所、京都太秦で、黒澤は奇行を繰り返す、それも東宝時代とは。場違いな京都太秦のスタッフとの軋轢から生じた、不安神経症的なところが大きい。

 こんな本を読んでしまったら、誰でもその曰く付きの映画を見たくなるのが人情というもの。かくして、今の今まで未見(大昔のTV放送時の断片的なかすかな記憶はあるが)の本作を改めて見てみた。

 印象はといえば、率直にいって黒澤が監督してもそのフィルモグラフィを飾るものに成り得たかどうか、甚だ、判断が困難な作品だった。

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 実際、黒澤の後を引き継いで、日本側のパーツの監督をいきなり任された舛田、深作の両監督の仕事ぶりにはそつがない。米国側のキャスト、日本側のキャスト、交互のシーンの描き方やシャッフルに何の違和感がないのにも驚かされた。全体的には、水準以上のクォリティの高い作品だと思う。しかし、戦争大作としてのエモーショナルなものが乏しいのもまた事実。結局、上映時間の最後の30分の真珠湾攻撃のスペクタクルしか印象に残らないような映画であるといったら言い過ぎだろうか(未明に、空母「赤城」から第一次攻撃隊が発艦するシーンの美しさには息を呑んだ。しかし、著作の中では、このラッシュ試写を見た黒澤監督は、見るに堪えないと吐き捨てるようにコメントしたことが記されている)

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 しかし、それを割り引いても、このスペクタクル・シーンはさすがに圧巻の迫力。驚くことにこのシークェンスではミニチュアが全く使われていない。米軍機は実際に当時、飛んだP40戦闘機他がまだ実在していた。日本側の零式戦闘機は、ノース・アメリカンなどの米国製戦闘機を伊藤忠商事が受注して改造したものが使われた。

 レプリカとはいえ、実機が編隊を組んで真珠湾の洋上を飛び、空母に向って飛び交いながら攻撃する映像は興奮そのもの。P40とドッグファイトを繰り広げるシークェンスなど、航空マニアなら昇天もののプレミアムではないでしょうか。

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 あらためてアメリカ資本の強大さとパワーすら思い知った本作。でも、それ故に、ダイナミックでありながら、常に日本的で繊細なエモーションにこだわる黒澤監督が、この映画で成功したかどうか、ということになるとネガティブな感情を抱かずにはおれないのですよね。

 もしも、黒澤明がこの作品を監督していたら、その想像は、おそらく、ブルース・リーが急死せずにハリウッドで活躍したとしたら、といった映画フリークたちの永遠に尽きることがない『たられば』のようなものなのでしょう。

(「黒澤明vs.ハリウッド」、読みだしたらやめられなくなるほどの実に面白いドキュメント本です。興味があればぜひご一読のほどを)