負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の悲しきハリウッドのスターシステム「夕陽に向って走れ」

人種差別の根深い因果に今も翻弄され続けるアメリカ。赤狩りの弾圧をバネに撮ったはずの作品はなかなかにツライものだった。

(評価 65点) 

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ニュー・シネマ系列のウェスタンとして名を連ねる本作。ロバート・ブレイクにレッドフォードの両ロバートの共演もあってかねてから興味津々だった。しかし、結果は、ニュー・シネマにもウェスタンにも振り切れない中途半端な作品となってしまった。その原因は、皮肉にも本作のテーマ、インディアンそのもののキャスティングにあった。

 かつてアメリカ西部ネバダ、ユタなどの州を拠点に暮らしていたインディアンのパイユート族。1909年にそのパイユート族の青年が起こした実際の事件を基に作られた本作は、赤狩りの弾圧の憂き目に晒されたエイブラハム・ポロンスキーという監督の復帰作でもあったらしい。

 未見のニュー・シネマ、長い追放からカムバックを果たした自分にとって未知の監督ということもあって、それなりの期待をしつつ見たのだけど・・。

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 冒頭、旅に出ていたウィリー(ロバート・ブレイク)が町に帰って来る。催事でにぎわう広場でウィリーは、長年会っていなかった恋人のローラと再会を果たすのだが、そこでいっぺんに気分が萎えた。

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このローラを演ずるのがキャサリン・ロス、ニュー・シネマの申し子と言っていい女優さん。このキャサリン・ロスが、さもワタシはインディアンです、とでも言いたげに、ご丁寧に顔を黒く塗ったメイクで出て来る。

 差別という因子が決して消えないにせよ、曲がりなりにも平等を果したといえる米国。マイノリティの中でもインディアンは特異な存在と言える。現実に今も居留地というものが残っているらしい。しかし、近年、マイノリティの発言権はハリウッドにおいても昔とは比較にならないほど高まっているように感じる。

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 本作の以降の展開は、ある意味、ニュー・シネマにおける類型的なもの。ウィリーがローラと会っているのを見咎めたローラの父親を咄嗟にウィリーが誤って殺してしまったことから、二人の逃避行となる。

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 マン・ハントにいきり立つ町の人々を牽制しながらも、自らウィリーを追う保安官クーパーを演ずるのがロバート・レッドフォード。クーパーには、ウィリーが根っからの犯罪者ではないことが分っている。しかし、町の治安の手前、追跡せざるを得ない。持ち前の追跡術を凝らしてウィリーを追うくだりはそれなりにスリリングでもある。

 しかしながら、ローラが初登場した時のイヤな違和感は本編を通じてエンディングまで拭えない。その理由は明白。お世辞にもインディアンには見えないャサリン・ロスを起用してしまっている事。顔を浅黒く塗っているのが、40~50年代にボードビリアンが顔を黒く塗って黒人を演じていた大道芸をも想起させる。

 同じロバート・レッドフォードでも同時期の、自然とインディアンの厳しい共存関係を中立に描いたネイチャー・ウェスタンの傑作「大いなる勇者」において、レッドフォードの相手役となるインディアンの女性の大役に、無名だが違和感のない女優を起用することで、説得力をちゃんと成立させていたのが、ずっと印象に残っているからかもしれない。

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 しかし、本作のレッドフォードとキャサリン・ロスのコンビネーションには、ニュー・シネマに対する余計な色目しか感じられないのはこの負け犬だけでしょうか?キャサリン・ロスの本来の魅力が全く感じられないのが実際その証拠ともいえる。これじゃ食品ロスならぬアクトレス・ロスじゃねえとでも苦言を言いたくなる。

 近年、同様のケースで印象的だったのが、「ゴーストインザシェル」における草薙素子役へのスカーレット・ヨハンソンの起用。モロに日本人なのに、何故、ヨハンソンなの?ということで物議を醸した。だが、あの時に誰もがある程度、大人の事情というものを認知したはず。

 しかし、本作においては、長い束縛から解放され、この「夕陽に向って走れ」に臨んだ監督のポロンスキーが、ハリウッドのスターシステムにまんまと屈した無念さが露骨に感じられてしまう。

 赤狩りの後にも、やっぱりハリウッドの有無を言わさぬシステムがポロンスキーを待ち受けていたというのはこの負け犬の見方が穿ち過ぎなのでしょうかね~

 映画自体は、決してそんなに悪いものではないだけにやはり残念