負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の耐え難き不快感「ありふれた事件」

不快指数100パーセント!不愉快至極、決してこんな映画は見てはいけない。吐き気をもよおしてもかまわない方だけにお勧めします

(評価 60点) 

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まあ長年、映画を見ていると、絶対に他人にはお勧めできない映画というものがあるもので。この「ありふれた事件」はまさにそんな映画。しかし、実はこの映画と世界的なベストセラー小説の間に何とも意外な血縁関係があったのです。

 1994年。ちょうど当時、一世を風靡した存在だったクェンティン・タランティーノ絶賛とポスターに書かれた惹句を信じ込んで(実際、その当時はどの映画にもウソかホントかタランティーノ絶賛と書かれていたような気がする)、梅田にあったミニ・シアターにノコノコと出かけて行ったバカがいた。その映画の名は「ありふれた事件」。

 しかし、その鑑賞体験たるや、到底、ありふれたどころのおだやかな話では済まなかった。もう30年近くにもなるというのに、未だに映画館を出た時のどんよりと粘っこい胸につかえるような不快感は忘れられない。

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 映画は、殺しを仕事で請け負う、とある男の日常をドキュメンタリー形式で描く、今でいうモキュメンタリー映画だ。本作の主人公ベンはとにかく良く喋る。モキュメンタリーだから、こちらに向かって気さくに喋りかけてくる。そんな男が、まるで家畜を締めて市場にでも卸すかのように人間を次々に殺していく。キャメラはベンのそんな行動を冷徹に捉えていく。

 差し向かいで喋る男が平然と人間を殺す様子を、まったく無感情なキャメラでノー・ディレクションで、ただ起こっていることを撮っているかのようにこの映画は撮っていく。キャメラでベンを撮影するのはテレビのクルーという設定なのだ。スキャンダラスを求める大衆のニーズに則って撮っているだけなのだ。だから、モキュメンタリーのシチュエーションにも何の違和感もない。だから余計にたちが悪いのだ。

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 レストランのテーブルに座ったベンが「ションベンに言ったら、指が臭うだろ?」そんな事をこちらに向かって話しかけて来る。はたまた、貝料理を食い過ぎてテーブルにゲロを嘔吐するベンをキャメラがそのまま撮る、その薄汚いザラついたモノクロ映像の不愉快さ。

 あまりにも不愉快な映画だったので、その体験はそのまま、あえて記憶の澱にしまい込むように忘れていた。

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 それから、すっかり年月が経ったある日のこと。日本でもベストセラーとなった、あのアドルフ・ヒトラーが2011年のドイツにタイム・スリップするという曰く付きの小説「帰ってきたヒトラー」をなにげに読んでいた。

 小説自体はなるほど、サタイアとしてすこぶる面白い。ヒトラーが一人称で機械的に語る報告調の独白形式が完全にテーマとマッチして抜群の効果を上げている。しかし、読んでいる間中、ずっと心の中で引っ掛り、こんな思いがめぐっていた。「このテイストは昔、何処かで体験したことがあるような・・・」

 そして、読み終えてあとがきを見たら、ニューヨークタイムズの書評のコラムがあった。その中にはこの小説の作者のティムール・ヴェルメシュ氏の言葉がのっていた。それを見て思わずヒザを打った。ヴェルメシュ氏は「帰ってきたヒトラー」のスタイルの着想を、何と「ありふれた事件」そのものに言及し、その映画にインスパイアされたと明言していた。すなはち、アンチモラルに共感しかねないレベルまで読者を引っ張っていくことだったという。

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 この「ありふれた事件」という映画を見た人なら誰でも不快感を禁じ得ないはず、しかし、同時に誰もが首をひねるはず。何故なら本作には直接的にグロテスクなカットがほぼ無きに等しいからだ。

 そこには生々しいスタイルで撮られた映像のみが持つ、一つのマジックがある。長い間、今も口の中にザラついて残るような不快感の正体が良く分からなかった。しかし、「帰ってきたヒトラー」の解説によってその不快感の実体が何となく分ったような気がした。

 ただ、表面的な残虐さに覚えた不快感ではない、おそらくその実体は共感つまりシンパシーのようなものではなかろうか、徹底的に殺伐とした、ドキュメンタリーそのもののような映像の有無を言わさぬパワーによって、自分にもアンチモラルな因子が備わっているとベンに語り掛けられシンパシーを強要されている。それこそが不快感の源であるような気が今はする。

 しかし、ま~何にせよ本作の不快感のパワーが並ではないことは事実。よほどの覚悟がない限り見ない方が身のため。見たら最後「とんでもない事件」になっちゃいますから