これぞネオ・ハードボイルドの金字塔?実に心地よいこの圧倒的なグルーブ感を体感せよ!
(評価 80点)
この負け犬のヘタレな生き方を決定づけたといっていいTVシリーズがある。その名は「探偵物語」。吹き溜まりのような街で探偵稼業を営む工藤が毎回、様々な事件に関わるネオ・ハードボイルドだ。ど~しようもないような落ちこぼれたちが暮らす限界集落のような街で、松田優作演ずる工藤ちゃんが仲間たちに注ぐ眼差しが、この上もなく優しかった。
そして、この工藤ちゃんという、一見捉えどころのないようなキャラクターのいわば原型素材、モールドとなったのが他でもない本作でエリオット・グールドが演ずるフィリップ・マーロウなのだ。
原作は有名過ぎるほどのハードボイルドの金字塔そのものずばりの「ロング・グッドバイ」。一応、ヤングな頃はチャンドラーにはまって、原作の「長いお別れ」も読んではいる。しかし、チャンドラーの持ち味は、スリリングなストーリーでも明快なオチでもなく、複雑な人間関係がモザイクのように描かれ、なんとなく終わるところ。原作自体も正直、曖昧模糊としつつ、それでも面白いという不思議なものだった。
本作も、実のところ面白いというよりは、ある意味、その曖昧とした浮遊感やドライブ感を体感するヴァーチャルムービーとでもいうものなのだ。
そして、とかく猫好きの人たちにこよなく愛されている本作。そのエッセンスが凝縮されているのがオープニングのシークェンス。夜中の3時に、腹を空かした愛猫にせがまれたマーロウが、キャットフードを切らしているのに気づき、コンビニに買いに行く。ところが、いつもの愛猫お気に入りのブランドがない。仕方なく別ブランドのキャットフードを買い求め、わざわざいつものブランドの空き缶に移し替え、見た目でゴマかす作戦で与えてみるが、見向きもされずに沈没する。このシークェンスにこのキャラクター、ひいては映画全体のテイストが見事に集約されていて、ここだけでも本当に何度も見てしまう魅力がある。
やがて唯一無二の親友のテリーの来訪を受けたマーロウがテリーに乞われ、猫の頼みならぬ親友のたっての頼みを引き受けメキシコの国境まで送ってやって別れるが、すぐに踏み込んできた警察にショッぴかれ、テリーがメキシコで自殺したと知らされる。警察はテリーをある事件に関わる容疑で追っていた・・・。
と、まあ、ストーリーが明快に把握できるのは、ここまで。後はといえば、言ってみれば70年代の顔のようなエリオット・グールドのマーロウがあっちをフラフラ、こっちをフラフラするだけの映画と言っていい。そのフワフワな感覚の表現に絶大な効果を上げているのが、浮遊するように片時も止まることなく動いているキャメラ。
とにかくこの映画、最初のカットからラストカットまでキャメラが止まっているフィックス・ショットが全くと言っていいほどない。人物が向かい合って話すミディアムの会話ショットでもキャメラが漂うように動く。こんなユニークな演出をした監督こそ、生涯インディペンデンスのスタンスを貫き続けたロバート・アルトマン。そのアナーキーで独立独歩な、何物にも属さない生き方をアルトマンは、本作で独自のスタイルを取ることで、またマーロウという人物に投影してみせることで見事に表現してみせた。
サナトリウムに入院させられていた作家ロジャー(スターリング・ヘイドン)と関わることで事件は急展開し、マーロウは親友のテリーの裏切りを知る。ただ、飄々としていただけのマーロウが一瞬、男になってテリーに引導を渡した後、去っていくラストシーンは、何とあのサスペンス映画の金字塔「第三の男」のモロのパロディなのだ。
本作のマーロウを見ていると、人生は、いや、人間たるものは、いい加減でいい、いい加減というステータスこそが一番大事なのだと、思えてくる。
それと、あ、そうそう。本作には、マーロウに絡むエキストラ同然のチンピラとして、ボデイビルダーから俳優に転身したばかりの頃と思われる、あのアーノルド・シュワルツネッガーが登場するのです。あのシュワちゃんも駆け出しは、こんな端役に過ぎなかった。人間の人生のパノラマを少し垣間見た気がしてこれもまた楽しい。
とにもかくにも、人生や仕事に疲れた人が、本作のマーロウを見たら、心なしかほっと肩の力が抜けるのではないでしょうか。そう、ハードボイルドなのに、ささやかな癒しに浸される、そんな不思議で最高な映画なのです。
人間よ、いい加減たれ!