負け犬さんのオランダからやって来た四番目の男は見た目押し出しがいかにも強そうなのに恐妻家だった件「ロボコップ」
ロボットヒーローもののはずなのに負け犬もドン引きする過激なバイオレンス描写、善良な市民を守るために行うその行為の凄まじさは到底、子供には見せられない・・この映画の客層の対象年令は一体、何歳なのか
(評価 78点)
二足歩行の治安維持ロボ、ED-209が放った機銃掃射をオムニ社の社員が全身に浴びるシーン。最初見た時、違和感を覚えたが、それが何かまでは分からない。それ以降もその異様な違和感は増幅するばかり。でも本作、エンタメとしては一応、申し分ないほど面白いし、で、その違和感のことはひとまず忘れてしまう、というパターンで何度か見てはいるのだが。その違和感の正体に気付いたのは、日本版のDVDが発売される前から入手したクライテリオン版となる本作の完全版DVDだった。
「四番目の男」というオランダ製のサスペンスを見たのは、ちょうどレンタルビデオの全盛期、当時ロボコップの存在を知りつつ見たのか知らずに見たのかもハッキリとはしない。ただ、鮮明に覚えているのは面白かったということ。
同性愛の小説家がエロい実業家の女と関係を持つが、その女が実は魔性の女でという典型的なヒッチコックスタイルのエロチックサスペンスのその作品。露骨な同性愛描写を除けば、展開自体はいたってありきたりなはずなのに、とにかく精力的なパワフルさを感じさせる演出もあいまって、見せる作品にはなっていた。一目瞭然でスタミナ旺盛と分かるその「四番目の男」の監督を、季節労働者をかき集めるのに余念がないハリウッドが見逃すはずはない。とりあえず今、大して期待も出来ない企画があるから、オランダ人のこいつにやらせてやろうということで、監督候補が何人いたかは知らないけど、その何人目かに白羽の矢が立ったのが最終的に本作を監督したポール・バーホーベンだった。
「ロボコップ」という如何にもB級臭プンプンの安っぽいタイトル。そもそも目新しいのか古臭いのかすら分からないロボット警官というアイデア。負け犬が最初にそのタイトルを見た時はズバリ後者の”古臭い”だった。だって、当時既に日本には石ノ森章太郎のロボット刑事をはじめ、その手の類似作品があった。それに肝心のロボコップのビジュアルもお世辞にもカッコいいとはいえないものだった。
しかし、本国アメリカでは大ヒットということもあって最初に見たのも映画館ではなくレンタルでだったと記憶する。確かにエンタメのツボを押さえた作りにはなっている、でも本作には何か手放しでは楽しめないものがあったのも事実。
かくしてクライテリオン版のDVDでたびたび再見して気付いたのが、監督の少し異常なテイスト。この完全版には現在、日本で見られる通常版とほんの少しだが、異なるところがある。その一つが冒頭のED-209の機銃掃射のシーン。長さにしてほんの1~2秒だけだが完全版の方が、撃たれたオムニ社の社員がハチの巣になって血だるまになる状態のカットが1カット多い。そして主人公のマーフィが悪党のクラレンス一味を廃屋と化した工場に追い込み、逆に捕まってショットガンで右手を吹っ飛ばされるシーン。ここも吹き飛び肉塊と化した右手がハッキリ映るシーンが1カットほど多い。
感じるのはたった数カットでけでも映像から生理的に受ける感覚がまるで違うこと。ディレクターズカット版の方が明らかに嫌悪感を覚えるテイストになっている。おそらくこれこそ間違いなくポール・バーホーベンの体質なのだろう。しかし、もしもバーホーベンのこのテイストがなかったら「ロボコップ」はその他凡百のB級エクスプロイテーション映画と何ら変わるところがなかったような気がしてしょうがない。
面白いのは、当初バーホーベンはアメリカから送られて来たこの「ロボコップ」のシナリオを安っぽいB級映画として最初はまったく取り合わなかった。ところがバーホーベンの奥さんに、これって意外と深い話じゃね、と諭され初めてやる気を示したという。思えばバーホーベンのSFジャンルのもう一つの代表作「トータル・リコール」でも、そもそもロナルド・シュゼットが書いた脚本を読んだバーホーベンの奥さんが、こんなスゲエ話読んだことね~ヨ映画化しよ~よと旦那のバーホーベンに訴えたことが発端だった。
メイキング映像などからうかがい知れるスタミナ溢れる男のルックスとは裏腹にバーホーベンは意外と気の小さい恐妻家だったのだ。その二面性がどの作品にもどことなく現れていると感じるのはこの負け犬だけでしょうかね~