負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう崖っぷちの映画録。また、たまに<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>と題して、映画の実際のスクリプトを原文と翻訳でご紹介。英語学習気分もちょっぴりどうぞ!

負け犬さんのカチンコチンに凍ったスープはマイアミの太陽で溶けるのか?「真夜中のカーボーイ」

一人では凍え死ぬような寒さでも、二人で寄り添えば少しはしのげるのかもしれない。たとえその二人がどうしようもない負け犬みたいな連中でも

(評価 89点)

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テンガロンハットを被った滑稽な男と足を引き摺るみじめな小男が身を切るようなニューヨークの風にさらされて遠くの方を歩いて行く。チケットを買う金など無論ないが二人が目指そうとする場所はグレイハウンドバスの停留所。そのバスに乗りさえすれば今の生活から抜け出せる。何故ならそのバスの目的地は太陽が降り注ぐ二人だけのドリームランド、マイアミなのだから。

 誰の心にも永遠に刻まれているキャラクターというものがいるのではなかろうか。自分の場合、それが本作のジョー(ジョン・ヴォイト)とラッツォ(ダスティン・ホフマン)のシルエットのような気がする。思えばニューシネマの代表作には男二人の映画が多い、「イージーライダー」、「スケアクロウ」、「明日に向かって撃て」、どの映画でも男二人がさすらい旅をする。そして、あるものは尽き果て、あるものはさらなる旅に出る。

 カントリーボーイのジョーは片田舎から長い旅を経てあこがれのニューヨークへとやって来る。しかし、そこで目にしたものは”拒絶”という厳しい現実だった。文明社会の一つの到達点ともいえる大都会でジョーを受け入れる余地のある唯一の人間は、これもまた社会のシステムから廃棄されたようなラッツォしかいなかった。

 解体寸前のアパートの一室に居座り、スープすらカチンコチンに凍り付くようなその空間で小動物のように震えながら時を過ごす二人。42丁目のゲイの溜まり場で、何とか日銭を稼いだジョーがスープをラッツォに与えるが、もうラッツォはそのスープをまともにすする事すら出来ない。

 日本の映倫にあたるコードで成人指定されながらアカデミー賞を受賞した唯一の作品として未だに名高い本作。初めて見たのはTVの深夜劇場だった。以降、トゥーツ・シールマンスのハーモニカの音色と共に、ただひたすら寒そうに震えながら連れ立って歩くこの二人が自分の脳裏のどこかにいつも巣食っている。最初はカウボーイのいでたちという虚飾を身に纏っていたジョーが最後に何かが吹っ切れたように、テンガロンハットを投げ捨て、カジュアルな服装になって、バスの席でラッツォが汚してしまった下着を変えてやるところに一番、胸をつき動かされた。

 そして、何の自己主張をすることもなくバスの窓に額をつけてそのまま息絶えるラッツォ。そんなラッツォの肩をしっかりと抱いてやるジョーで映画は終わるが、明らかに冒頭のジョーとは何かが格段に違うその表情に、見るたびにいつもかすかな希望を感じるのだ。

 最近になって、最初のニューヨークへと向かうバスのくだりで、最終的にはカットされたが、あのアル・パチーノが端役で出演していたことを知って驚いた、その後、パチーノは成功したが、ひょっとしてこの当時は、ジョーやラッツォが住んでいたようなアパートで凍ったスープをコンロで沸かしてすすっていたのかもしれない。「卒業」でブレイクした後、本作に出演したダスティン・ホフマンにしても、この当時は役を貰うのに必死の状態だったという。

 人間の夢というものを食い尽くして巨大化してきたハリウッドという怪物の名の下に一体、どれほどの人間が死に絶えていったのだろう。誰もがそれなりに努力をするのは皆同じだ。でも、その努力が実る確率はほぼゼロに近い。それでも人間という生き物は性懲りもなく夢を育ませ都会という怪物に食われるためにやって来る。

 負け犬には、この映画がそんな人々に対する鎮魂歌に思える時があるのです