負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬がトランプさんに見せたい映画「大統領の陰謀」

まるでわけが分からないのに面白い映画など有り得るのだろうか?

(評価 82点)

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やっぱり電話しているお二人さん

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最後まですっとこんな調子。それなのに面白い

今やすっかり負け犬となった元大統領のトランプさん。しばらく吠えていたのに、最近、鳴りを潜めているようで。古今東西、権力者というのは腹黒いと決まっている。晴れて大統領となった民主党のバイデンさんとてその点、分かったもんじゃないですよね。とはいえ、あれ程、あらゆる疑惑で訴追寸前まで取沙汰されていたトランプも、今後の動向は不明にせよ、任期は全うした。でも、歴代のアメリカの大統領でただ一人だけ、任期中に解任された人物がいる。ニクソンだ。本作はそのニクソンを解任まで追い込んだ二人の新聞記者の姿を史実にほぼ忠実に描いている。

 全編、ほぼ全くわけが分からないのに面白い、なんてことが映画で存在するなど先ずあり得ないでしょう。ところがこの映画では、その有り得ないようなことが起こってしまっているのです。

 本作製作当時の70年代中期のアメリカ映画といえば、「狼たちの午後」に代表される世相に切りこむ切り口の鋭さ、アクチュアリティ、エンタメ性の三拍子揃った映画のいわば黄金期とでもあった。本作はそんな映画群の極北的存在ともいえる。

 本作で描かれる世にも有名なウォーターゲート事件とは、再選を目論む共和党ニクソン陣営が民主党の選挙本部に盗聴を仕掛けたことでホワイトハウスそのものが弾劾されることになった有名な事件である。本作は、冒頭の民主党での深夜の盗聴をめぐる捕り物から幕を開ける。緊迫感のあるスリリングな出だしだが、本作で何かが明確に起こっていると見る側が明瞭に把握できるのはある意味、この部分だけともいえる。

以降、この映画は、盗聴事件の裁判の傍聴で登場するボブ・ウッドワードロバート・レッドフォード)を始め、同僚のカール・バーンスタインダスティン・ホフマン)の二人のワシントン・ポストの新聞記者が、内通者ディープ・スロートハル・ホルブルック)の情報提供を元に、ただひたすら事件の関与者に電話をかけまくるだけに終始する。そこには、たとえば負け犬的な弱小の記者が強大な権力を追い詰め、陥落させるといったドラマ性は全くの皆無なのだ。しかし、これほどまでに面白いのは一体、どういうわけだろう?

おそらく本作の面白さに最大の貢献を成し得ているのが撮影のゴードン・ウィリスのような気がする。当時のアメリカ映画で負け犬的にいちばん印象に残っているのが、撮影された画面の空気感というか、そのリアリスティックでドライなテイストなのです。

本作もその例に漏れず、冒頭の深夜の黒、ワシントン・ポストのオフィスの白、といったメリハリを利かせたキャメラの圧倒的なリアリティが見る者を二人の行動に釘付けさせるような効果を見事に生んでいる。中でもワシントン・ポストのオフィスを走り抜けていくダスティン・ホフマンを延々とトラッキング・ショットで追いかけるシーン、ほぼ全編がフィックスの固定的なショットの中で唯一の動的なショットともいえるこのシーンは圧巻。

そもそもドラマ性を徹底的に排除してやろうという作り手の強固なスタンスが紛れもなく明示されているのが本作のエンディング。普通なら、ニクソン政権が陥落して、してやったりという所で終わるはず、ところがこの映画、ニクソンが見事、再選を果たすテレビ中継で終わる(実際には、再選後まもなく本作に描かれた疑惑を以って解任された)。正確にはワシントン・ポストのオフィスで皆がその中継を見ているのを尻目に、地味にボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの二人がタイプを叩いているところで何の余韻もなく終わる。カタルシスの欠片もない。でも、しかし、ここには面白くなんかさせなくても、有りのままを描けば、それだけで面白いんだよ、というすがすがしいまでのアメリカ映画の意地がある。その意地のようなものが70年代の黄金時代のアメリカ映画群にはあった。

今も、そのエネルギッシュな意地に触れるだけでも鼓舞されるような、そんな映画なのです。

トランプさんもこの映画、見てるはずだと思うんだけど、その胸中はいかなるものだったのでしょうね~