負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の頭は爆発する「フユーリー」

フラストレーションも溜まりすぎると最後は頭もろとも爆発するものなのです

(評価 75点)

f:id:dogbarking:20210101091723j:plain

キャリーをヒットさせ商業作家として一躍注目されるものの、また本来のクセでアングラ臭の強いマニアックな作品を作ってしまい、自ら低迷したデ・パルマが再びエンタメ寄りの作品として世に出した作品。

 デ・パルマの作品としては、あまり取り上げられもしない作品だが、今に至るまで好きな作品である。70~80年代としては、組織ぐるみでサイキックを育成、教育する機関とうのも新鮮で、これにインスパイアされたマンガもいくつかあった(大友克洋の「アキラ」など)。

 でも、この作品で忘れられないのは、公開当時のキネマ旬報に掲載された映画評論家、今野雄二氏の数ページにもわたる本作への傾倒ぶりがひしひしと窺える熱烈な映画評。まさに偏愛の度が過ぎるほど、本作についてテーマ的、技巧的な見地から語り尽くされたその映画評と本作を併せ見ることで自分の記憶にもいっそう強く刷り込まれたのだ。今野氏が業界でも有名なほどデ・パルマ好きのデ・パルマニアとなったのもこれが契機だったはず。

 そんな本作は、中東から幕を開ける。息子ロビン(アンドリュー・スティーブンス)と海水浴を楽しんでいた諜報員のピーター(カーク・ダグラス)は、いきなりテロリストたちの襲撃を受け、息子ロビンを誘拐される。しかし、その誘拐に無二の親友、チルドレス(ジョン・カサベテス)が関わっていることを知り、チルドレスへの復讐も兼ねロビンの捜索を開始する。しかし、ロビンにはサイキックとしての能力があり、誘拐された後、政府が関わる育成機関に送り込まれていた。

 とまあ、ドラマのフォーマットだけでいえば、如何に「アキラ」がこの映画にインスパイアされたかが実に良く分かる体裁であり、いわばB級SFチックなまでにドラマ部分は浅いのだけれど、その浅さ故に、本作はデ・パルマ最大の持ち味のテクニックがくっきりと浮彫りされた作品となった。

 さきの今野雄二氏の評論でも微に入り際にわたって記述もされていた本作、最大の見どころが、ロビンと同じく別のサイキック育成施設で暮らしていたジリアン(エイミー・アービング)がテレキネシスでロビンの存在を察知したことから施設からの脱出をはかる際のデ・パルマのトレードマークたるスローモーションシーン。

 平静を装いテーブルで食事をしていたジリアンがいきなり脱兎の如く走り出し屋外へと駈けていく。それを追う職員たちにピーターが銃を発砲、立ち尽くすジリアンとピーターが初めて面と向かって出会うまでを実に見事なスローモーションで描いている。

 このシークェンスの素晴らしさたるや・・もう何十年も見続けているはずなのに、見るたびにため息が出て、陶酔感に見舞われる。

 この後、ピーターは息子ロビンが育成されている機関の施設で再会を果たすが、まるでギリシアのオイディプース王の悲劇のような結末を迎える。これを暗示するのが黒幕の、チルドレン(子供)をもじった名前チルドレスだと、今野雄二氏の評論に書かれてあったことも覚えている。

 エンディングにはまるで「キャリー」へのアンサー・ソングのようなサービスがある。別にネタばれにもならないはずなので明かすが、ロビンの誘拐とその死にいたるまでに関わっていたのがチルドレスであることを感知したジリアンの怒りでチルドレスの頭が爆発する。

 チルドレス役のカサベテスといえば、俳優とは別にインディペンデント作家として知られる監督としての顔も持つ。当時は自分の作品の製作資金を捻出するために俳優業をしているようなものだった。

 この頭の爆発シーンが、あくまでもインディペンデントのスタンスにこだわり抜いて映画を作り続けていたカサベテス本人のフラストレーションの爆発にも見えるのは、この負け犬だけなのでしょうね~。