負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の箱詰めセット「ヘルレイザー」

究極の快楽と引き換えにセットで魔導士がオマケについてくる・・って損なのか得なのか、どっちだろう?

(評価 70点)

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80年代~90年代前半といえば、それはもうレンタルビデオの全盛期。まだTSUTAYAもない時代、ビデオ屋は完全に個人事業で店ごとに露骨に店主の趣味が反映されていた。まだ黒澤明の諸作品がビデオソフト化されていないのに、明らかに店主が個人で持ち帰ったと思われる「隠し砦の三悪人」の輸入版のビデオかなんかがレンタル品としてデンっと置かれていたりした時代だった。

 その頃、店の奥の怪しげな一画に踏み入ると決まって、山ほどB級ホラーの諸作品が平積みにして置かれていた。その積み上がったB級C級ホラーやSFモノの山から将棋崩しのように面白そうなものを引き抜いて、ためつすがめつしつつ借りては見ていたものだった。大抵は、愚にもつかない代物なのだが、たまには面白いものにも出くわすもので、案外、掘り出し物の発掘気分にもさせてくれたものだった。

 この作品を見たのはその百花繚乱のホラー花盛りの頃だった。ただ、そんな具合にたまたま出くわしたというわけではなく、クライブ・パーカーが初監督したとあって興味津々で見たのだった。そもそも出くわしたのは作家としてのパーカーの方。世はスティーヴン・キング全盛期で出版界もホラー熱が盛んだった。

 そんな折、本屋でたまたま見かけたのがパーカーのデビュー作の「血の本」シリーズの第一作「ミッドナイトミートトレイン」だった。グロテスクなカバーイラストにも惹かれ読み始めるとたちまち魅了された。映画顔負けのスプラッター描写としっかりとしたプロット構成が見事で安物のホラー作家とは一線を画す確かな才能が感じられた。

 その作家がマルチタレントぶりを発揮して映画まで自ら手掛けたとなれぼ自ずと手が伸びる。そして、やっぱりその時もパーカーの才能を見事に再確認させられたのだった。その後、本作もシリーズ化されたが、それ以来長らく見ていなかった。たまたま思い出し、またしてもン十年ぶりに見たがやっぱり面白かった。

 パーカーの特徴というか同世代のホラー作家に総じていえるのが、ホラーというジャンル分けはされつつもまるで怖くはないところ。とりわけパーカーに顕著なのがゴヤの幻想絵画を想起させる視覚的イメージが豊かなところだろう。本作でもその個性は遺憾なく発揮されている。

 快楽主義者のフランクが古道具屋で手に入れた箱。それは究極の快楽が得られるというパズルボックスだった、という出だしからストーリーテラーのパーカーの片鱗が伺える。また古道具屋で始まり、古道具屋で終わるというキッチリとした円環手法が取られているのも実にパーカーらしい。

 結局、パズルを解いて究極の快楽を得たフランクだったが、そうはうまくはいかないのが世の常で、快楽と表裏一体の究極の苦痛がオマケについてくる。その苦痛をもたらすのがご存知、ピンヘッドを始めとする、(フィギュアが思わずほしくなるような)いずれも個性豊かなルックスを持つ魔導士たち。

 というわけで魔導士たちに地獄のしもべとして送られたフランク。その空き家にフランクの弟のラリー一家がやって来るところから本編が始まるわけだが。実はラリーの妻はフランクと不義密通の関係にあって、引越作業の途中にケガをして床に垂らしたラリーの血から、そのフランクがドロドロの肉塊として蘇生する。

 このドロドロのフランクのルックスのグロさたるや、気味悪いのなんの。しかし、一番パーカーらしいのは、今もフランクにぞっこんのラリーの妻がフランクにそそのかされ、生贄となる男たちを家に誘い込みフランクにそれを与えるのだが、その度に人間らしくなっていくフランクが遂にはラリーを殺し、その生皮を被って平然とラリーになりすますところ。

 これなぞ、まさにグロテスクなグリム童話を地で行くようなパーカーの面目躍如たるところだろう。結局、賢明な赤ずきんちゃんならぬラリーの娘カースティちゃんに見破られ、例のパズルボックスを手にしたカースティちゃんによって再びアラジンの魔法のランプの魔物ならぬ魔導士たちがいそいそと現われフランクに引導をわたす。

 本作、誰が見ても低予算だと分るのだが、感心するのは、初監督にありがちな気負いなど微塵もなく、実に明快に分かりやすく演出されているところ。実に数十年来の職人監督による演出だと言われても誰も気付かないだろう。この点、あの「地獄のデビル・トラック」一作だけで消し飛んだ、映画監督としては可哀想なくらい才能が無かったスティーヴン・キングとはまるで違うところ(著作自体も既成の作品のパクリばかりだったのにどうしてあんなに売れて評価が高かったのでしょうね?)。

 一味違うクライブ・パーカーはその後も「キャンディ・マン」や「ミディアン」といった個性的な作品を発表してくれた。パーカー並みの小説と映画の両刀使いの逸材って今後もそうは出ないのではなかろうか。