負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬さんの新年明けまして「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」

新年早々とくれば、やっぱりゾンビ抜きには語れないよね

(評価 72点)

 

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お正月とくれば、誰でもご陽気に、にぎにぎしくいきたいところ、でも、ちょっと待て。今はまだコロナ過。ウィルスの変異も騒がれている。まだまだ気を抜いている場合などではないぞ。ここは心を鬼にしてその存在そのものが世紀末の閉塞感のメタファーたるゾンビだぜ。ということで、偉大なる先達ジョージ・ロメロ師匠のビギン・ザ・ゾンビ「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」で決まり!

 今やすっかり一つのサブカルチャーとなったゾンビだが、そもそもどうしてここまで根深く我々の社会に浸透し得たのか。今のようなコロナの時代になる前から、負け犬がうすうす思っていたのは、内と外の問題じゃないか、ということ。人間も動物だ。一番、安全だと意識に刷り込まれているのは衣食住を全うしている自分のテリトリーの住処に違いない。となれば人間、本能的に何もなくとも外界というものに怖れを抱くのではなかろうか。ましてや現実その外に、空気感染するウィルスや、そのウィルスに脳髄を侵されて人肉を喰らうようになった自分と同じ同胞たちがいるとなれば尚更だ。

 人間が抱えている意識下の根源的な恐怖心の琴線に触れるなどといえば、大袈裟だと苦笑されるかもしれないが、今のコロナ過の世相を見ればあながち、穿っただけの見方ともいえないのではないか。

 本作もかなり早い時期から、レンタルビデオは出ていた。当時、既にロメロの代表作「ゾンビ」を見て心酔していたから、そのルーツたる本作には興味津々だった。そして見た本作で真っ先に覚えたのは、如何にも低予算なアングラ白黒映像への不快感にも似た不穏な感情だった。さらに、全くもって唐突に、墓参りにやってきた兄妹カップルを、徘徊するゾンビが何気に襲ってくる。まあ、この段取りもドラマツルギーもへったくれもないアバウトな展開に驚かされるが、ここで襲ってくるのがただの頭のオカしいおっさんにしか見えないのが何だかやけに怖い。

 後は兄さんを殺られた妹が、一軒の農家に逃げ込み、他の人間たちとそこに籠城し一夜の攻防を繰り広げる、すなはち内と外とのくだんの展開となるのだが、やはりというべきか救いもクソもない絶望的なラストには、してやられた。ザラつき乾ききった完全なドキュメンタリー・スタイルのその映像。何の余韻も残さない幕切れの異様さ。まだまだ駆け出しの映画小僧だった自分の胸に突き刺さるには十分だった。

 何よりもB級ホラーそのものといったフォーマットをラストに至って米国に根差す人種差別問題を鋭く揶揄するスタンスに鮮やかに切り換えて見せる知的なアプローチが新鮮だった。

 ハイコントラストのモノクロ映像なのでグロさはセーブされても、むしゃむしゃと内臓を貪るシーンは、白黒である分、余計に殺伐で見れば見るほど陰鬱になってくる。それにゾンビたちが皆、普段着を着て徘徊しているというだけで何故だかやたら怖いということを改めて思い知る(これこそ意識下の根源的な恐怖に触れられるということなんでしょうかね)。

 それにしても、ただ人間が徘徊するところを撮って、それに怯えて立て籠もるという図式の映画が、「ウォーキングデッド」のようなTVシリーズも含めると一体、何本作られたことか・・星の数ほどありそうな勢いだ。しかし、予算もかけずにある意味誰でも、人間の不安を掻き立てるフィクションが生み出せるとなれば、これはジョージ・ロメロが生み出したコロンブスの卵的な一つの発明じゃなかろうか、とも思えて来る。

 今は巣ごもりなステイホームの世の中だからこそ、このグルーミーで陰鬱なモノクロ映像が我々の深層心理に食い込んで来るレベルもきっと深いはず。とはいえ、とてもお屠蘇気分で気楽に一杯やりながらくつろげる代物でも到底、ありませんけどね~いやはや