負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬たちの夢の競演「エイリアン」

奇跡の賜物としかいえない映画はあるものです

(評価 88点)

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その昔、70年代のこと、フランスのユマノイド・アソシエという小さな出版社からとある雑誌が創刊された。その雑誌の名は「メタル・ユルラン」。そして「ヘヴィメタル」の誌名でその後、知られることになるその雑誌は、瞬く間に世界中のアートシーンに衝撃を与えることになる。さらに、その衝撃はアートシーンにとどまらず映画界にまで波及。やがて、この余波からとてつもない傑作SF映画が誕生することになる。

 自分がこの雑誌の実物を見たのは80年代の後半に差し掛かる頃だった。そもそも当時愛読していたSF誌「スターログ」でフランスのBD(バンドデシネ)の神様メビウスの存在を知ったことがきっかけだった。洋書売り場で最初にそれを見つけ、手に取ったその時の衝撃は凄まじさたるや。メビウスを筆頭に、とにかくとんでもない程絵が上手い作家たちの作品がズラリと居並び、その誰もに強烈な個性があった。勿論、薄っぺらな雑誌にも関わらず当然、高価だったので、毎号買うわけにもいかず、洋書売り場で見かける度にためつすがめつ眺めては感嘆するだけだった。

 「ヘヴィメタル」の作家たちは、日本のコミックシーンにも多大な衝撃を与え、その時代、ニューウェーブと称された作家達を沢山輩出もした。その代表格が「アキラ」の大友克洋

だ。だが、それ以前にも、そのインパクトに心酔していた人物がいる、それこそが「エイリアン」の監督リドリー・スコットである。

 そのリドリー・スコットの「ヘヴィメタル」への傾倒が、映画史に刻まれるようなスタッフたちの人脈のコネクションを後に築き上げることになる。リドリー・スコットはエイリアンのプロダクション・デザインを業界のプロダクション・デザイナーではなく、ヘヴィメタルの作家たちに依頼する。当然、筆頭格のメビウスにも声がかかり、「エイリアン」の宇宙服その他の様々な印象的なデザインを提供することになるのだが、とにかく今見ても驚かされるのがそのプロダクション・デザインの数々だ。

 とりわけノストロモ号内部のセットデザインのスゴさたるや今見てもブチのめされるほどの強烈なインパクトがある。そこにはのっぺりとした単調な平面な壁などどこにもない、数センチ単位で細部までびっしりと隙間なく作り込まれた造型の数々、カットやシーンが変わるごとに背景に映し出されるそれを見ているだけで陶酔感に見舞われる。映画におけるプロダクションデザインのインパクトのスゴさをこれほど思い知らされる作品は他にはない。

 それに加えて、今さら言うまでもないだろうが、あの天才画家、H・R・ギーガーのこの映画におけるポジションの巨大さ。そのH・R・ギーガをただのデザイナーとしての位置付けではなく、作品自体のコンセプトに関わる存在たらしめたのもリドリー・スコットのデザイナーたちに対する敬意を込めたスタンスが影響していたに違いないと今になれば思えて来る。

 それというのも本作のDVDの特典には、映画会社の重役たちを納得させ満足な製作資金を取り付けるためにリドリー・スコット自身が、映画のほぼ全てのカットを描き上げたストーリーボードが収録されている。さすがに元アーティスト志望で美術学校出身者のキャリアを持つだけに、これが実に素晴らしい。(スコットはある書籍のインタビューで当時のクラスの同級生に何とあの現代美術の巨匠デビッド・ホックニーがいたと語っている。素晴らしい筆致を持っていたスコットでさえ、クラスでホックニーが描いていた超絶的な絵には舌を巻いたという)

 こうしたエピソードが物語るように、この「エイリアン」は今見ても(当たり前だがシガニー・ウィーバーの実に若くて初々しいこと)、まるでずっしりとした分厚いアートブックのページを1ページずつめくるような楽しさがある。これほどまでに才能あふれたアーティストたちが、最高の敬意を持って迎えられ、遺憾なくその実力を発揮した作品は過去にも、そして今後も現れないのではなかろうか。

 「エイリアン」はその後、すっかりフランチャイズ化され、その作品ごとに個性が垣間見られるシリーズにはなったが、本作のビジュアルなインパクトを凌ぐものはないし、これはある意味奇跡の結晶なのだな~としみじみ思う今日この頃なのです。