負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬はリタイアするのか「ジャッキーブラウン」

ふと見渡すと、広い映画館の中、客が5人しかいなかった。そして、その全員が爆睡していた

(評価 82点)

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1990年代初頭、あちこちの映画雑誌に見慣れない男の名前が載り始める。サンダンスにデビュー作を引っ下げグランプリを獲得した話題の男との触れ込みだった、

どこかのスタジオで経験を積んだスタッフでもなく、大学の映画科をでたわけでもない。その男は何と数年前までただのビデオ屋の店員だったズブのド素人だった。その男の名はクエンティン・タランティーノ

 デビュー作で華々しく注目を浴びたタランティーノはたちまち業界の寵児となり、続いて放ったパルプ・フィクションでカンヌを制圧、ハリウッドの頂点にまで登りつめる。それから早や30年近くが経った。

 その問題のデビュー作、レザボア・ドッグスを見たのは心斎橋あたりのミニシアターだったと思う。初日だったが客は数人しかいなかった。メディアで取り上げられていたとはいえ一般的な知名度からいえばさすがに、その程度だったのだ。

 銀行強盗を画策するスポンサーによってかき集められた裏社会から落ちこぼれたような負け犬同然の奴ら。そんな男たちがとある倉庫で繰り広げる、疑心暗鬼と裏切りが渦巻く確執劇。

 感服したのは何よりもその脚本の見事さだった。その後、Faber&Faber社から出版されたトゥルーロマンスを始めとするタランティーノ作品のシナリオ本はすぐに全部買った。原書だったが気にもならなかった。とにかく、どれもこれも読ませる、抜群のセンスと筆力だと感じた。

 続いて日本で公開されたパルプ・フィクションを見たのはデカいスクリーンの梅田東映パレス。堂々たるロードショーだった。カンヌでグランプリを獲った話題の先行もあって初日の上映は満員だった。映画はもちろん、最高だった。あのラストのポーンショップのエピソード。ブルース・ウィルスが棚から武器になりそうなアイテムを物色し、飾られていた質草の日本刀をガッシと掴んだ時に胸が熱くなったことは今でも忘れられない。

 映画のことやそのトリビアを話し出したら止まらない、根っからの映画オタク、それなのにこの上無く人なつこいタレント性もあって、一時期のタランティーノはまさにポップスターそのものだった。

 そして、待ちに待った(実際、5年近いかなりのブランクだった。この時、既にもう引退したんじゃないか、ともささやかれていた)第三作目ジャッキーブラウンが公開される。初日に見たのはパルプフィクションと同じ大劇場。

 客は自分を除いて5人しかいなかった。そしてその全員が寝ていた。映画が終わりロビーに出ると客のカップルが、起きたらまだやってた~と言っていたのをまだ覚えている。そんな鑑賞意欲ゼロの客席で自分だけただ一人、タランティーノはまさしく本物だと胸を震わせていた。

 もっとも感銘したのは、ジャッキーがまんまとオデールの金をくすねデパートの試着室で着替えるシーン。その時、鏡に映った自分の姿にじっと見入る。その描写だけで手に取るようにジャッキーの感情、すっかり中年の域の峠すら越えた自分に今後、何が残っているのだろうといった漠然とした不安感のエモーションがストレートに伝わってくるのだ。

 そして屈指の名シーン。保釈されたジャッキーがオデールの報復を察知し、自分に付き添うベイルボンズマンのマックスの車に置いていたピストルをこっそり護身用に持ち帰る。

 それに気付いたマックスが翌朝、ジャッキーの家にそのピストルを取りに行く。そこでテーブルをはさみ、差し向いで語るのが“老い”についてなのだ。

ジャッキーがかけたレコード(あくまでもCDではない)から流れるデルフォニックスの"Didn't I Blow Your Mind This Time"をバックに、ジャッキーがふっと、「齢を取るってどう思う?」と切り出す。そしてマックスはカツラを初めて装着した時のことを、ジャッキーは自分がスチュワーデスとして勤める零細航空会社の退職金の少なさを嘆く。だが、最後にはしみじみと概して齢を取るのも悪くないよな、とコーヒーをすすりながら落ち着く。

このシーンを見た時は驚嘆した。いったい、数年前までただの素人で、たったの二本しか映画を撮っていない男が、老練のベテラン監督でも撮れないようなこんなシーンをこれほどまで豊かなエモーションで撮れるものか!以来、ジャッキーブラウンはタランティーノ作品のマイベストの地位に燦然と輝く作品となっている、

それから30年近くが過ぎた。ジャッキーブラウンの酷評もあって(この時、タランティーノは完全に終わった、という人が多数いた)さらに長いブランクの後、あのぶっ飛んだ快作キル・ビルを放った後はコンスタントに作品を発表し、いい意味でも(デス・プルーフという超傑作)、悪い意味でも(イングロリアスバスターズという超愚作)、ハリウッドの中で怪童、悪童として生き抜いてきた。

今手元に26年前の11月に発行された雑誌SWITCHがある。この号に「犬は吠える」と題したタランティーノの特集記事が掲載されている。

そこにはパルプフィクションを編集中のタランティーノの自宅を、何とあのデニス・ホッパーが突撃訪問したインタビュー記事が、黒皮のジャケットというラフないでたちのタランティーノのシックな写真と共に載っている。

ホッパーはその時のタランティーノをして、こう言っている「旺盛に書きまくっていた若き頃のコッポラみたいだ」

60を目の前にして子供も出来たタランティーノは近頃、引退もほのめかしている。でも、タランティーノにはいつまでもクリエイティブなFEELYOUNGをこちらにも感じさせてくれる悪童でいてほしい。

デビュー作から多かれ少なかれ見守って来た怪童には、まだまだ何かやらかしてハリウッドを掻きまわす存在であってほしいのだ。