負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬たちのオールナイトロング「パージ:アナーキー」

貧困だからって殺されてたら負け犬だってたまらないよね

(評価 72点)

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一夜限りの犯罪祭りを一家族の巣ごもりなステイホームの出来事として描いて楽しませてくれた「パージ」の第二弾。予算も前作よりもグンと増えてスケールアップと聞けば、おおよそ誰もが前作同様の設定を踏襲してアクションだけが派手に・・と思いがち、実は自分もそうだった。

 ところが実物を見ると、オオ、こうきたか、とこちらを唸らせてくれるほど、鮮やかに切り口を変えて来たので少々ビックリしつつ感嘆した。

 本作の良いところは、一年に一度の犯罪オールフリーの狂騒の夜「パージ」で必然的に派生するはずのサブプロットを巧みに散りばめ、全作の閉鎖空間のドラマから一転して、オープンな群像劇として描いているところ。そしてパージの意味する“粛正”という概念を政治的な視点からも、あくまで浅くはあるがちょっぴり掘り下げたところ。

 必然的に派生するはずのファクターとは何か?一年に一度のお祭り、そのお祭りでは誰を殺しても罪には問われない。だとすれば何らかの犯罪で肉親の命を奪われた家族がいるとして、その怨みを忘れない被害者の家族は一年後、その祭りに乗じて復讐しようとするだろう。そして一夜限りの犯罪祭り、誰もが誰をも自由に殺していいとなれば、狙われるのは必然的に弱者、貧困層に違いない。さらにはそこで富裕と貧困の二分化が極限化するならば、それをレジャーとして楽しもうとする金持ち連中がいるはずだ。果ては「パージ」が犯罪抑制の政策だとすれば、政治に与党と野党がいるように、それに政治的に反発するレジスタンスたちが立ち上がるに違いない。

 ザッと駆け足であげたこれだけものファクターがこの103分足らずの映画で描かれる。それでも言葉足らずも消化不良も起こさず抜群にエンターティメントとしても面白い、そもそもこの監督ジェームズ・デモナコはパージを当初からこう描きたかったはず、しかし、予算の都合で一作目の切り口は限定空間に留めたんじゃねえか、とも思えてくる。

 時は、2023年3月21日のLA。今年もまた数時間後に始まるパージに備え、めいめいが家に帰り、一夜のステイホームに備える中、警官のレオ(フランク・グリロ)は武装して町に繰り出そうとしている。実はレオはパージに乗じて飲酒運転の犠牲になった息子の復讐を果そうとしていた。その頃、ウェイトレスのエヴァカーメン・イジョゴ)が立て籠もる家にパージャーの一人が乱入、その窮地を通りがかったレオが救ったことから夜明けまでの決死の逃走劇が始まる。

 このプロットの骨子にシャッフルし、余命まもないエヴァの父親が金のために自ら進んで富裕層たちの生贄となるセルフ・パージ。エヴァが逃げ込んだウェイトレス仲間の家で鬱積していた家庭内不和が、パージに乗じて爆発しての殺し合い。そして、車が故障し逃げ惑っていたカップルもレオたちに合流、数々のトラップを乗り越え、何とか逃げ切れるかと思っていた矢先、捕らえられ、連れていかれた場所が、富裕層たちのマンハンティングのパーティ。と矢継ぎ早にサブプロットが繰り出される。

 レオたちの運命、冒頭、出て来るレジスタンスたちが如何に関わって来るかは、もしも本作をご覧になっていない方がいれば是非ともご自分でお確かめ頂きたいのです。テーマ性を持ちながらも抜群のバランス感覚でエンターティメントに仕立て上げるジェームズ・デモナコのクレバーな手腕に誰もが驚かされるはず。

 かくして、そのテーマは一貫しつつも、一作目とは打って変わった切り口で、中身もうんと充実してパワーアップした本作、当然ながら大ヒット。いよいよシリーズ化され第三作目も作られましたが、さてどうなのか?

それにしてもエヴァが命からがら身を寄せた友人のターニャの家で、最初は仲がいかにも良さそうな一家のそのターニャの妹に実は鬱積していた不満があって、一挙にそれが暴発したところはシュールというか、逆に如何にもありそうで怖かった。だって人間、やっぱり一番憎らしくなるのは他人よりも毎日、顔を突き合わせている家族ということになりますもんね・・そういうところをちゃんとワンシーンで掬い取っているところがこの映画、実に鋭いんだよなあ・・