負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬の背筋も凍るちゃぶ台返し・・じゃなかった・・どんでん返し!「悪魔のような女」

ラストに待ち受ける衝撃!誰もが大好き、負け犬も三度の飯よりも大大大好きなどんでん返し!たとえ結末を知っていてもサプライズが味わえる、どんでん返しの正統派ともいうべき傑作サスペンス

(評価 77点)

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どんでん返しの解剖学

 人は何故、どんでん返しに驚いてしまうのか?そして、どんでん返しのサプライズに見舞われた時、人はどうして、一瞬、我を忘れて、性的リビドーにも似た陶酔を覚えてしまうのか?きっと、それは、実に常識的なタイムラインで突き進んでいた自分の意識というものが、予期せぬインパクトで粉々に破壊されたのに、ふと思い返せば、粉々になったはずのその断片が、理屈というもので実はきっちりとつながっている、という内面世界に、しばし入り込んでしまうからではなかろうか。とどのつまりは、それが、どんでん返しにおける伏線の回収というやつに違いない。

 映画、とりわけサスペンスものに類するジャンルの映画において、このどんでん返しにしてやられる、という体験ほど、願ったり叶ったりのものはない。中には、どんでん返しがただの客寄せパンダのような謳い文句だけで、見た途端、ちゃぶ台返ししたくなるような、噴飯ものの、どんでん返しが、あるけれど、本作のどんでん返しは、正真正銘の正統派、誰もが安心してサプライズの妙味に浸れる映画史上のどんでん返しオールタイム・ベストには必ず名を連ねるどんでん返しのクラシックな良作だ。

 

どんでん返しのパラダイム

 そんな本作は、今なお、サスペンス映画の金字塔として燦然とその名を映画史に轟かせている大傑作「恐怖の報酬」のアンリ・ジョルジュ・クルーゾーが、知性派、ボアローナルスジャックの原作を得て監督した、サスペンス・スリラーの逸品だ、

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 そもそも、その映画におけるどんでん返しが、良質だと、認知し得る条件は厳格だ。まずは何よりもそのプロットがシンプルであること。ただ、やみくもに見ている人間を驚かせたくて、無理やりプロットを複雑に、こんがらかせている映画は、もうそれだけで失格だ。

 次に、そのプロットに呼応して、登場する人物の人数が限定されていること。登場人物がやたらと多いというだけで、たとえその映画にどんでん返しなるものが用意されていたとしても、それがすなわち、良質のどんでん返しだとは言い難い。

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 その点、本作の場合、登場人物は、小学校の校長ミシェル(ポール・ムーリス)とその妻クリスティーナ(ヴェラ・クルーゾー)、そしてミシェルの愛人ニコール(シモーヌ・シニョレ)のたったの三人だけ。

 クリスティーナを差し置いて、ミシェルとニコールは、資産家のクリスティーナが病弱なのをいいことに、半ば公然と不倫を続けている。しかし、ニコールも横暴なミシェルに嫌気が差していて、ニコールはクリスティーナと共謀し、ミシェルの殺害を持ち掛ける。

 女同士が結託しての夫殺しという、きわめてシンプルなプロット構造とこのキャラクターからどんな化学反応が起きるかは、後のお楽しみ。

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どんでん返しの作法

 しかしながら、どんでん返しを正しくたしなむためには、それなりの作法がある。まず、どんでん返しに過度な期待をしないこと。それこそ、襟を正し、その映画にどんでん返しなぞ存在しないような無心の境地で、映画と対峙する。

 映画についてのたまうものは、やたらとその映画を褒めたがるもの。それを真に受けて、どんなどんでん返しが待ち受けているかとワクワク期待しながらその時を迎え、落胆しては、天を仰いだ人も多いはず。たとえ、その映画が傑作だとブログなどで褒めちぎられていても、信じてはならない。ひとえに、どんでん返しをめぐっては、その映画を語るものと、そのコメントを聞いて、くだんの映画に興味を持ち、手に取って見ようとする鑑賞者の間で、一種の丁々発止の騙し合いともいえる関係があることをお忘れなく。

 とりわけ、本作はクラシックゆえに、それなりに割り引いてご鑑賞のほどを(笑)

 

どんでん返しのヒストリア

 誰もが大好きどんでん返し。映画好きなら、必然的にどんでん返しのマイベストなるものを胸に秘めているもの。かくいう負け犬もと言いたいところだけど、思い返せば、意外と少ないことに思い当たる。

 たとえばもっとも有名なのはあのコン・ゲーム映画の傑作「スティング」、更にはヒチコックのあの「サイコ」。少し新しいところで、「ユージュアル・サスペクツ」、それにフィンチャー出世作「セブン」といったところか。最近ではロビイストにスポットを当てた政治サスペンス「女神の見えざる手」が、なかなか見事などんでん返しの粋を味合わせてくれた。

 各人各様、こだわりがあるはずのどんでん返しマイベスト。あなたのマイベストは如何なものでしょう~

負け犬の大スター同士の本番ファック!?一大巨匠の猥褻なるエロき遺書「アイズ・ワイド・シャット」

至る所にヌード!あらゆる場所でFUCK!おまけに人生最後の言葉もファック!宇宙の啓示を描いた一大巨匠の猥褻きわまりない人生の遺書

(評価 84点)

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猥褻な遺書

 人生最大のタブー。B級フィルム・ノワールの時間軸を換骨奪胎し、核による世界の終末を笑い飛ばし、宇宙を旅する人類の幼年期の終わりを壮大に描き上げ、ホラー映画というジャンル映画を自分の美意識の別世界に根底から塗り替えてみせた、映画史上に刻印のように刻まれた巨匠スタンリー・キューブリック。そのキューブリックの図らずも遺作となってしまった本作は、実はキューブリック本人にとっての人生最大のタブーを破った作品でもあった。

 本作の原作は、シュニッツラーの中編小説「夢語り」。キューブリックにとってまさにライフワークともいうべきこの小説の映画化の最大の壁となったのが、キューブリックの長年連れ添った奥さんクリスティアーネだった。実はクリスティアーネはキューブリックに対し、「夢語り」の映画化を、自分たちの夫婦生命を賭けてまで禁じていた。一体、それは何故?おそらく、それはキューブリックの完璧主義が伝染したかのような、ある種の、夫婦間の潔癖主義だったような気がするのだ。

 映画というメディアは、その客商売としての宿命上、暴力とセックスと相場が決まっている。だが、キューブリック映画の最大の特徴は、暴力はともかく、セックスが欠落していること。まるで禁じ手のように封印してきたセックスという題材を、キューブリックが夫婦関係の亀裂すら厭わず果敢に映画化したのが本作だった。かくして、人生最大のタブーを自ら打ち破ってみせただけの凄味に満ちた作品が出来上がった。人間のセックスというものへの本能的な欲望にまでメスを入れてみせた巨匠、最後の遺作とは・・

 

狂い咲きの乱交の館

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 人生のタブーを破ると開巻から宣言するかのような、ファースト・カットの、いきなりのキッドマンの全裸の背面美ボディに仰天した直後、冒頭からの、キューブリックならではの、フレームの隅々までにテンションが張り詰めたその映像の冴えに、まずは驚かされる。ニューヨークの開業医ビル(トム・クルーズ)とアリス(ニコール・キッドマン)の夫婦は、友人に招かれたパーティに出向こうとしている。そして、向かったパーティ会場は、さながら「シャイニング」のオーバールック・ホテルのボール・ルームのような、まばゆい光に満ちた幻惑の世界。

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 キューブリックならではのシンメトリーの構図がふんだんに多用される、幻覚を催すほどの本作における映像の数々は、それまでのキューブリックの集大成であるかのように、とにかく際立っている。そして。ここでもまた画面に表出されるのがヘア丸出しの全裸のヌード。別室でドラッグの副作用で危篤状態となった全裸のままの女性を介抱した後、ビルは、医学校時代の同窓生ニックと出会う。

 数日後、急逝した患者を見舞ったある夜の帰り道、ビルはニックがステージを務めるバーに立ち寄り、そこでニックから、とある秘密クラブのことを知らされる。そして、良識人のはずのビルはいかがわしい興味から、危険な世界に足を踏み入れていく。

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 ステディカムキャメラによって対象物を捉える、滑らかなその動き、そしてむせかえるほどの色彩と、溢れかえるまばゆい光、その超絶的なほどの映像に幻惑されるうちに覚えるのが言い知れない恐怖感。本作には、美しさとともに、そんな底なしの恐怖感に満ちている。それはきっと、人間のもっとも根源的な関係であるはずの夫婦というものに絶対不可欠の、秩序や調和といったものが脅かされ、破壊されることへの人間の本能的な怯えにほかならない。

 しかし、それを破壊してしまいたいという、衝動にかられるのもまた事実。かくして、ビルは誘惑に抗しきれず、ニックからフェデリオというパスワードを聞き出し、秘密クラブの会合が開かれている館へと向かう。

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 そして、その館こそ、色々なセレブたちが、自由に快楽を謳歌する乱交の館だった、というわけで、このくだりでは、まさにキューブリックが狂い咲いたかのように、いたるところで人間が乱交する様子が描かれる。まるで誰もがペントハウスの雑誌から抜け出てきたような女たちの美ボディに目が釘付けにもなるこのシーン。キューブリックが、長年の連れ合いの尻に敷かれ、抑圧されてきた欲望を存分に開放し、復讐がてら愛妻に、のたまわっているようなキューブリックの得意気な顔が目に浮かぶのは、この負け犬だけだろうか。

 

本番ファックと人生の墓碑銘

 本作公開時、映画館は一杯。満員の客席で負け犬は本作を固唾をのんで見ていた。実は当時、実生活でも夫婦だったトム・クルーズとキッドマンが本編中、本番セックスをするとか、しないとか、そんな風のうわさが流布していた。映画館の客席を埋めた客の大半もその下心に釣られて詰めかけたものではないかと、薄々思っていたのを憶えている。

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 確かにふんだんに登場するヌードとセックス・シーンに、乱交シーンが繰り出される前半と中盤(特に姿見の前で、全裸でメガネをかけて立つキッドマンは生唾もののエロさ)に、そうした嗜好が満たされた客の多くが、夫婦関係にスポットを当てる後半部分には、さすがに困惑しはじめ、ラストのキッドマンの「FUCK!」の一言で暗転する本作のエンディングには、誰もが目を丸くして、劇場を後にしていたと記憶する。

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 それにしても、人生最後の遺作のラストのセリフが「FUCK!」とは。キューブリックという人は、今思えば、巨匠には違いないが、神話に出てくる、あらぬいたずらを繰り返して人々を驚かせるトリックスターのような存在だったような気がする。そのヴァラエティに満ちた作品群そのものが、いたずらの数々だったと言えなくもない。

 厳粛なはずの墓碑銘が「FUCK!」。この挑戦的で攻撃的な姿勢、どこか見習いたいものですよね~

負け犬も歓喜!オタク魂炸裂の渾身のデビュー作「デスマシーン」

ポンコツもなんのその、パクリのバッシングなんて気にしない!とにかくがむしゃらに好きなものをぶち込んで突っ走る、その精神こそが大事!

(評価 72点)

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オタクの流儀

 まったく新たな才能が、とにかくやみくもに自分の好きなものをすべてぶち込んで無我夢中に作り上げたデビュー作を見ることは、映画フリークの無上の喜びの一つと言っていい。本作は、あの大傑作「ブレイド」の超絶的アクション演出で、負け犬のみならず、世の全ての映画フリークを腹の底から唸らせてくれた、スティーヴン・ノリントンのデビュー作。そして、その俊英ノリントンが、自らのオタク魂の全てを注ぎ込んだような、すがすがしいまでの気概を感じさせてくれる一作だ。

 最初にことわっておくと、本作の出来自体、少なくとも上出来とは言い難い、それに、ストーリーからルックス、ディテールにいたるまで、あらゆるものが、本作は、パクリパーツのスクラッチ・アンド・ビルドと言ってもいい。でも、パクリだ、モノマネだ、といったバッシングなぞどこ吹く風で、やみくもに突っ走るそのスタンスに、とにもかくにも、ひとまず嬉しくなってくる作品なのだ。

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パクリ天国

 本作はそもそも劇場未公開。でも、ビデオスルーでリリースされた当時、とにかくイキのいい作品として、怒涛のように垂れ流される玉石混交のB級作品群の中でもひときわ目立っていた。そんな本作は、冒頭から、どこかで見たようなポンコツそのもののコンバット・ギアを装着したセミ・サイボーグが登場するパクリ御免の世界だ、

 制御不能でいきなり殺処分されるそのセミ・サイボーグは、兵器メーカーのチャンク・コーポレーションのプロト・タイプで、チャンクは人道主義の左派や世論から、人間を殺人マシーンに変える、その製造計画の阻止を迫られている。チャンクのCEOケイルは、世論を受けて開発担当者のジャック・ダンテ(ブラッド・ドゥーリフ)を解雇しようとするが、ダンテは自らプライベートに開発していたアルティメット・モデルのデスマシーンを放ち、ケイルを殺害しようとする。

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 しかし、その頃、ハッカーのグループがチャンク本社に忍び込み、機密情報を奪うためビルの内部を荒らしていた。かくして、巨大な密室と化したビルディングで、サイコパスのダンテの性格が乗り移ったような殺人マシーンとケイル、そしてハッカーたちの一夜の攻防が幕を開ける。

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 一夜だけの攻防戦、閉鎖空間での籠城モノ、モビルスーツにプロテクター、そしてハードな重火器に暴走する自足歩行ロボと、本作は、オタク印の映画フリークが涎を垂らしそうなスクラッチ・パーツをぎっしりと詰め込んで、これでもかとばかりに繰り出して来る、そのスタンスがとにかく心地よい。

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 見てくれのルックスは、誰が見ても、もう「エイリアン2」そのもの、華奢なケイルが、重火器をデスマシーン目掛けてぶっ放し、防戦一方だったハッカー一味が、プロテクト・アーマーを装着するや、俄然、心身ともにサイボーグと化してデスマシーンに立ち向かうくだりの、「エイリアン2」そのままのパクリには、唖然とするよりも微笑ましく、逆に愛しくなってくる。おまけにジャック・ダンテ(ジョー・ダンテ?)、リドリー・スコットサム・ライミと、出てくるキャラクターたちの役名に、オタク・カラーの有名監督たちのネーミングをずらりと列挙してくれれば、もうそれだけで拍手したくもなる。

 

ブレイド」への系譜

 本作には、ノリントンが「ブレイド」で見せた洗練ぶりは無い。それよりも本作にあるのは、とにかく無鉄砲な不器用さだ。それでも、イントロや、随所にその片鱗を見せる編集のセンスには、後の「ブレイド」の超絶的な技巧につながる萌芽が、たしかに垣間見える。

 映像作家の、個性のタッチが芽の吹くような瞬間と、その変遷ぶりに立ち会える、それもまた映画フリークの無上の喜びなのです。そんな楽しみをフル・スペックで味わえる、本作はまさに通好みの作品というべきか。

 

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負け犬の空飛ぶカメは夢を見ない「ガメラ大怪獣空中決戦」

見たいものを過不足なく見せてくれる良作怪獣映画のお手本はカメもジェット噴射ですっ飛ぶ面白さだった

(評価 76点)

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激烈礼賛!良作怪獣映画

 本作公開当時のキネマ旬報紙上に載った映画評が、どれもこれも熱狂的な礼賛ぶりだったのは今でも覚えている。曰く、その面白さを称して「インディ・ジョーンズを超えた!」との評まで飛び出す激賛ぶりだった。而して、本作は怪獣映画史上初めてリベラルとして名高かったキネマ旬報ベストテンにもランクインした。

 ところが、それだけのネームヴァリューの本作をそれ以来、何故か見ることもなく。公開から二十数年もの時を経てようやく見たという次第。レジェンダリーのモンスターヴァースによって新たに蘇ったゴジラというキャラクター、そして、怪獣がすっかり巨大なフランチャイズと化し隅々まで浸透したこの令和の時代。そうして、ようやく対面かなった映画は、なるほど、評価に会い違わぬ面白さだった。

 

怪獣映画の理想のサンプリング

 本作成功のカギは、一種のマーケティングにおけるサンプリングと言ってもいいほどの綿密な構成にあるような気がする。それほどまでに本作は受け手が怪獣映画に求めるファクターをランニングタイムの95分の尺の中に、パズルのピースのように過不足なくすっぽりとはめ込んでいる。やはり、その第一の功績は伊藤和典の綿密な脚本にある。

 まず特筆すべきは、ガメラそのものではなく、仇敵にあたるギャオスを最初に出すことで、ガメラ自体のヴイランとしてのヒール的な凶悪な側面も保ちつつ、人類にとって災厄となっている天敵ギャオスを駆逐するヒーロー的な役割をも自然と担う作劇構成。この構成は、そのまま数十年後に華々しく蘇ったギャレス・エドワーズ版の「ゴジラGODZILLA」にそのまま受け継がれている。また、浅黄(藤谷文子)という女子高生が、手にした勾玉によってガメラと心を通わすという、一見、お子様映画になりがちな設定が、最後の激闘の果ての決着のカタルシスに上手く活用されているところも見所。

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 そして、誰もが称賛するビジュアルもまた見事。制約された予算を逆手にとって、実景の中にスーツアクターを据えることで、それまでの怪獣映画にはなかった新鮮なルックスを生み出している他、日本のお家芸とでもいうべき、そのミニチュア・ワークの精密さには舌を巻く。

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空飛ぶカメのカタルシス

 インディを超えたのかというのは、ともかく、総じて、本作は冒頭からテンポが実に良いことは確か。それに自衛隊全面協力による、陸自、海自、空自総動員の実機がふんだんに見ることが出来て、そのリアリティが作品に厚みを与えているのは、後の「トランスフォーマー」にも少なからず影響を与えたのではないでしょうか。

 いずれにせよお墨付きに偽りなし、とにかくのろまなはずのカメがジェット噴射で空高く飛び上がるカタルシスが堪能できる作品には間違いないですよね~

負け犬のこんなサスペンスは如何でしょう?のどかでシュールなネオ・サスペンス「ゴールキーパーの不安」

何も起こらないから面白い。こんなサスペンスが未だかつてあっただろうか。一向に起こらないサスペンスを待ちわびるサスペンスフルな時間。若きヴェンダースの野心と才気、後の北野武の出現の予兆ともなった不思議サスペンス!

(評価 72点)

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 ズレそうでズレない緩い腰回りのズボンのじれったさ。ズボンの吊り紐のサスペンダーがその語源ともなっているサスペンス。サスペンスといえば、どんなジャンルの映画であれ、映画にとって絶対に欠かせないスパイスだろう、サスペンスなき映画に鑑賞するに値する求心力は期待できないもの。

 でも、ここに開巻からエンディングまでサスペンスなど何も起こらず、ただそのサスペンスを待ちわびて、結局何も起こらない映画があったとしたら、どうだろう。それでも、ちゃんと殺人は起こるし、音楽までそれなりにヒッチコック風なのだ。そんな作品こそ「パリ・テキサス」で一時期、絶頂を極めたキング・オブ・ロード・ムービーの異名を持つ巨匠ヴィム・ヴェンダースの初期作品「ゴールキーパーの不安」だ。

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 本作のイントロは、とある昼下がりのサッカーの試合。さしたる緊迫感も何もない間の抜けたその試合のフィールドの隅っこに置かれたゴールポストで、手持ち無沙汰にしている人物こそ、本作の主役ブロッホ。そもそも、ひたすら90分間、ちょこまかと動き回るプレイヤーとは対極にあるのが、まさにゴールキーパーという存在で、それ自体がシュールな存在のような、このゴールキーパーブロッホが、サッカーボールならぬ自分自身が、ドリフトするだけの映画が本作と言っていい。

 試合が終わり、とある町へと出るブロッホ、そこから本作のたゆむことのないドリフトが始まる。町を徘徊し、ただ、何をするでもなくビールを飲み、ただブラブラする。どこまでものどかなテンポ。しかし、サスペンスの予兆を匂わすような音楽のおかげで、見る側は何処かしこにサスペンスの到来を予感する。

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 そんなブロッホが行きずりに映画館に勤める一人の女と出会い、女のアパートに行く。異様なのがその直後、女と共に過ごした翌朝、ブロッホは実に何気に、何の理由もなく、その女を殺してしまう。決して、激情にかられての犯行ではない、無感覚に指先の虫の息の根を止めるかのように一人の人間を殺める。その上、現場を立ち去る際には入念に指紋まで拭き取る。そして、そのアパートを出たブロッホはそのまま延々とバスに乗って郊外の田舎町に向かう、しかし、だからといって、そこに至っても本作は決してサスペンスに転じようとはしない。ようやくサスペンスが到来するのか、という見る側の期待をあっさりと裏切るかのように本作は、以降もあくまでも淡々とブロッホの行動を追っていく。

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 ブロッホには、人間をその手にかけて殺した一抹の動揺も見られない。まるで何事もなかったかのように淡々と時を過ごすブロッホには、サスペンスをも超えて異様な威圧感がある。そして、その田舎町で、まるで殺人者の無邪気な休日のように、ただ何げに日常を過ごすブロッホを見て、いつしか慄然としている自分に気付くことになる。やがて訪れる本作のエンディングは再び、舞い戻ったフィールドでサッカーの試合を眺めるブロッホで終わる。一幕の間の抜けたコントを見たような、白日夢にも似た感覚を何処かで見たと思ったら、草野球で始まり、草野球で終わるあの北野武の傑作「3-4X10月」だった。

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 本作は1972年の作品だから、「3-4X10月」は、そのずっと後という事になる。おそらく北野武は本作を見てもいないし。知りもしないはず。それでも、起こるはずのサスペンスを真っ向から否定するその挑戦的な姿勢は、才気走った才能のみに許される大胆な挑戦と言えるかも。

 どこまでものどかでシュール、何も起こらないのに、不思議と面白い。それこそ北野武の作品に通奏低音として流れる感覚で、西洋と東洋の鬼才がまるでクロスオーバーするが如く、本作は、見るたびに新鮮なリフレッシュ感すら覚えてしまう、未だに不思議な作品なのだ。

 

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負け犬のあの木枯し紋次郎が三船敏郎と対決する!ゴージャスでクレイジーなサムライワールド「最後のサムライ/ザ・チャレンジ」

用心棒の三船敏郎木枯し紋次郎中村敦夫が、ガチでチャンバラ対決するドリームマッチはフジヤマ、ゲイシャなニッポンのキッチュそのものの異世界だった

(評価 70点)

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ベールを脱ぐ国辱映画

 国辱映画。かつてのジャパン・アズ・ナンバーワンの日本ならいざ知らず、すっかりプライドも何もない貧困大国となった日本で今更、国辱も何もない気もするが、その昔、愛読していた「スターログ」という雑誌の隅っこに国辱映画と、その記事の筆者に恫喝されていたのが本作。確かに、外人が日本刀を振りかぶる、如何にもトンチンカンなテイストのそのポスターには、国辱的な臭いがプンプンに漂っていた。その上、監督が巨匠のジョン・フランケンハイマーとくれば、一体、日本をネタに巨匠が何をやらかしたのか、と、それ以来、ずっとこの映画の存在が気になっていた。そして。それから何と、ン十年もの時を超え、遂に本作と巡り合った次第。ようやく負け犬的な記憶のベールを脱いだ国辱映画の実態とは!

 

用心棒vs木枯し紋次郎

 西洋から見たニッポンを描いた映画は数々あるが、一様に言えるのが、どれもこれもネジが外れてピントがあっていないところ。しかし、この負け犬は、たとえばあの高倉健さんの「ザ・ヤクザ」なんかが何故か大好きなのだ。負け犬からすれば、それらの映画が、ニッポンの見慣れた風景が、外人のフィルターを通し、どこかキッチュなテイストに切り取られ、別世界を思わせるファンタジーを感じてしまうからに他ならない。

 一見、国辱映画と罵倒されておかしくはない本作だが、国辱も何のその、負け犬にとっての本作は、まるで異世界をドリフトするような感覚すら催すほどの奇怪で素敵な作品だった。何はともあれ、ラストにはあの用心棒の三船敏郎木枯し紋次郎のボーナス・マテリアルの見せ場まであるとくれば、これはもうある意味、お宝映画といってもいい、そんなキッチュな怪作が本作だ。

 

トンチンカンが爆発するサムライワールド

 ただし、本作が、キッチュでポップなだけとは片付けがたいほど奇怪なのもまた確か。オープニングはいきなり1945年の京都。ある神社で、三船敏郎中村敦夫吉田兄弟が見守る中、古くから吉田家の家系に伝わる伝家の宝刀が、吉田の家老からその孫に授ける儀式が行われている。というわけで、長髪のカツラを被った三船敏郎が出てくる、のっけのファーストカットからもう嬉しくなるほど、負け犬大好物のトンチンカンな気配がプンプン漂っている。

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 そして孫にその宝刀が授けられた瞬間、中村敦夫扮するヒデオが、駆け出してその宝刀を奪い、そのはずみも加わり孫の背中に刀が振り下ろされ、無残にも幼い孫は血に染まり、たちまち起こる乱闘、そして話はいきなり現代のロスアンゼルスへ。

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 このプロローグ通り、本作が終始するのはこの宝刀をめぐる吉田家の三船敏郎の兄と、中村敦夫の弟ヒデオとの、武士の誇りを賭けた戦いなのだ。そして主役のリックを演ずるのがスコット・グレン。この何故かグループ・サウンズを思わせるおかっぱ頭のスコット・グレンが、日本にこの宝刀を運ぶデリバリーマンとして雇われ、京都の地で何故か武士になるための修行に励むというのが本編なのだ。

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 やがて伊丹空港に降り立ったリックは謎の組織に追われ、魚市場を逃げ回った挙句、腹を刺されたところを助けられ、今は三船が家長をつとめる道場に辿り着く。最初はスパイがてら、宝刀目当てに道場に潜り込んでいたリックも吉田の武士道精神に感化され、いつしか本気で武士を目指すことに・・・とトンチンカン・パワーが全編に炸裂する本作。とにかく長髪のカツラを被った三船が出ずっぱりなのは宣伝文句に偽りなしといったところ。

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 加えて、本作に顕著なのは、高倉健のカルト作「ザ・ヤクザ」との共通点。宝刀を兄の三船から奪い取ろうとする中村敦夫扮するヒデオが、アジトの基地にしているのが、あの京都の国際会館。「ザ・ヤクザ」でも高倉健さん扮するケンの兄が拠点にしていたのが、やっぱり京都国際会館だった。更に全編にわたる京都ロケが印象的な本作のキャメラもまた「ザ・ヤクザ」と同じ岡崎宏三と、デラックスカラーという形容がふさわしい鮮烈なルックスもそっくり似通った、まさに厚い絆で結ばれた義兄弟と言ってもいい。

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 そして、最後には、お目当ての、この国際会館に、三船とニックが殴り込みを仕掛けるクライマックスが待っている。ここで繰り広げられるのがまさにドリームマッチの用心棒VS木枯し紋次郎。三船と中村敦夫のチャンバラ。

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 この二大俳優のチャンバラから、銃撃を受けて負傷した三船に代わって助太刀するリックと中村敦夫とのチャンバラになだれ込んでいくくだりの、キメの細かいアクション演出は実に見もの。全編にわたってトンチンカンだった本作が、ここで、打って変わったように目の覚めるアクション映画に変容するさまは圧巻だ。

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トシロー・ミフネのしくじり人生

 1970年代の後半、日本が誇る国際的大スターの三船敏郎は地団駄踏んで悔しがっていた。それというのもハリウッドからオファーされたある映画の出演依頼をにべもなく断ってしまったから。その映画こそ、映画におけるフランチャイズパラダイムを根底から塗り替えたあの「スターウォーズ」。

 三船は、実はあのアレック・ギネスが演じたオビ・ワン・ケノビの役をルーカスからオファーされていた。しかし、安っぽいSF映画で見世物パンダになるのはお断りだと言わんばかりにこのオファーを蹴っていた。悔しがっても後の祭り。

 この後、社長を務める三船プロの経営難もあって、三船はハリウッドからオファーされる依頼を来るものは拒まずのスタンスで受け続ける。

 中には本当に客寄せパンダ扱いのものもあって、本作もいわばそんなやっつけの一本なのだが、「スターウォーズ」で三船が犯したとんでもないしくじりのおかげで、中村敦夫とのチャンバラを目撃することが出来たわけだから、この作品は、いわばそんな三船のしくじりが産み落とした望外のプレゼントといってもいい。

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 いずれにせよハリウッド映画に描かれたヘンテコなニッポンが自虐的に大好きなこの負け犬のような映画フリークにとっては、この「最後のサムライ/ザ・チャレンジ(原題THE CHALLEMGE)」は、見逃せない作品であることは確かですぜ!

 

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負け犬のプーチンさんは変態の小児性愛者がお好き「ロシア52人虐殺犯/チカチーロ」

国家権力の手によって野に放たれたのは史上最悪のモンスター!その権力の厚い壁とシリアルキラーに立ち向かったのはたった一人の捜査官だった。チカチーロ事件の顛末をペレストロイカの歴史と共に描く迫真のネオ・ドキュメント

(評価 78点)

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史上最悪のモンスター

 いびつに歪んだ精神で性的惨殺事件を繰り返す稀代のシリアルキラーサイコパスたち。ただでさえモンスターと言っていい、そんな犯罪者を、もしも強大な国家権力がバックボーンとなって野放しにしたら、考え得る限りの最悪の事態が勃発する。

 昨今、何かと話題のロシア帝国。1982年から始まり、実に8年間にわたり52人もの少年少女たちを惨殺した実在の史上最悪のシリアルキラー、チカチーロ。その所業を描く本作の最大の特徴は、そのロシアという統治国家の権力の手によってシリアルキラーが野放しにされ、52人もの少年少女が惨殺されてしまった、実際に現出したワースト・ケースのシナリオを、そのまま丹念に描いて見せたところにある。

 また本作を見ると、そのチカチーロ逮捕という功績を成し遂げたのは、現在のロシアの前身のソビエト連邦の国家統制の下、立ちはだかる様々な壁と戦い続けた、たった一人の捜査官の不屈の信念だったというのが実に良く分かる。

 そしてまた、その信念こそが、長年にわたる独裁政治という国家体制を、ベリリンの壁の如く崩壊させたペレストロイカを呼び寄せたのだという興味深いレアな事実を窺い知ることが出来る作品でもある。

 

孤立無援の捜査官

 森の中で惨殺された一人の少女の遺体が、科学捜査専門のブラコフ中佐(スティーヴン・レイ)のもとに運び込まれたのは1982年のことだった。直ちに現場検証を命じたブラコフのもとに、同様の手口による何体もの惨殺体が運び込まれ、検死のラボがたちまち一杯になって・・こんなプロローグで始まるネオ・ドキュメントの本作。実はTVムービーなのだが、そのクォリティーの高さから、日本では劇場公開もされた。スピルバーグの「激突」もそうだけど、TVムービーのポテンシャルを超越して劇場公開されるものには傑作が多いが、本作もまたその例外ではない良作と言える。

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 開口一番ブラコフは、すぐに同一犯の連続殺人と見抜き、所属するロストフ民警本部の少将フェチソフ(ドナルド・サザーランド)に、プロファイリングに基づく様々な設備と米国のFBIとの情報網の展開とを申し出る。しかし、ソビエトの統治国家でのシリアルキラーの存在が、プロパガンダに及ぼす影響を配慮した上層部にことごとく拒絶されてしまう。

 もしも国家という強大な権力が、ペドフィリア小児性愛者のシリアルキラーの存在そのものを否定したら、そのモンスターは野放し同然になるだろう。本作は、そうして異常犯罪者が透明人間同然と化した犯罪天国のような環境で、その犯罪を謳歌し、少年少女を惨殺した挙句、性欲のはけ口にするチカチーロの所業が何度も描かれる。だが、TVムービーというフォーマットもあってグロい描写はあくまでもマイルド。だから、その手の映画が苦手な人も安心して見ることが出来る。

 そもそも、本作が主眼とするのは、あくまでも個人と国家という図式で、実直そのもののブラコフが、決してあきらめず何年にもわたって、シリアルキラーの存在を主張し続け、10年近くが経ち、ペレストロイカの機運とともに、ようやく上層部の執拗な圧力から解放される瞬間には、熱いものがこみ上げる。

 ネオ・ドキュメントとはいえ、1984年にたまたま居合わせた駅で、不審な行動をしていたチカチーロに目ざとく目を付け、最初の逮捕をするのがブラコフ本人という、作劇上の改変も少々為されてはいる。しかし、基本リアル・イベントに則って描かれる本作のメソッドは実直そのもの。その丹念な作劇ぶりに好感は持てるが、少々、実直すぎて映画ならではの広がりに欠けるのもまた事実。

 だが、それを補って余りあるのが、名優たちの共演だ。

 

名優たちの存在感

 たった一人で孤立無援の戦いを続ける主人公、その主人公の行動に突き動かされ、協力者たちが集う瞬間には「アンタッチャブル」のエリオット・ネスの味方が集う熱いくだりも然り、エンタメならではの興奮があるが、本作も例外ではない。

 何年も一人で本件の捜査をするブラコフに、あくまでもシステム体制のスタンスを崩さなかったフェチソフが、ようやく人間的に謝罪を吐露し、協力を自ら申し出るシーンは実に感動的。そしてそのフェチソフを名優ドナルド・サザーランドが演じている。

 更に名優がまた一人。頑として本格的なプロファイラーの導入を拒否していた体制側がようやくブラコフの主張に耳を傾け、アドバイザーとして参加することを許されたブハノフスキー博士。この博士に扮するのがこれまた映画史上に輝く名優マックス・フォン・シドー。このマックス・フォン・シドーが「エクソシスト」のメリン神父の頃からまったく変わらぬ若々しい(笑)老けぶりを見せてくれるのが何とも嬉しい。

 何はともあれこのTVフォーマットを超越した名優二人が、ブラコフの捜査に協力するくだりは本作最大の見所。

 

シチズンX」チカチーロ

 完全に一般市民に溶け込み、捜査線上、透明人間のようになって泳ぎ回ったチカチーロ。捜査記録上、その透明性から「シチズンX」とコードネームが付けられたチカチーロが生を受けたのは1936年。

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 幼少期から性的コンプレックスのルサンチマンの中にあったチカチーロは、成年になって教職についてからも、寄宿舎に忍び込んでは少年にフェラチオし、自らオナニーするなどの破廉恥行為を常習化させ、連続殺人を本格化したのも、その教師をクビになってからだった。チカチーロが少年少女を網にかけるために利用したのが駅だった。ロシア全土に拡がる鉄道網を利用することで行動範囲が特定されなかったことも操作が難航した要因だった。一見、何処から見ても実直な中年男、このチカチーロを本作ではジェフリー・デマンが好演している。映画でもわずかに描かれるが、勃起不全だったチカチーロは、性器が変形する程のオナニーの常習者だった。

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 そんな変態の小児性愛者が野放しになったことで行われた犯罪劇。プーチン大統領による核戦争の危機が、地球規模のマックスな惨事とすれば、このチカチーロがもたらした惨状もまた、独裁国家によってもたらされたもう一つの惨事と言える。なんにせよ平和な世界であってほしいと切に願うものです。

 さて、1984年に最初に逮捕されたそんなチカチーロが一旦、釈放されたのは、その当時の血液型の鑑定がシロだったから。そのいい加減な鑑定のおかげで、容疑者リストから完全に抹消されたチカチーロは、その後、6年間にもわたり少年少女を好き放題に虐殺する。

 この時の血液鑑定は未だにロシアの犯罪捜査史上、最大の謎とされている。一説には血液型を特定出来ない特異体質だったとも。だとしたら、チカチーロは、まさにシチズンXならぬXファイルにでも出てきそうな超自然のシリアルキラーということにもなるが、本当でしょうかね~

 

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