負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が、負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう映画録。

負け犬のどこをとってもマックィーン!何はなくともマックィーン!かくしてマックィーンはレジェンドになった「ブリット」

カッコイイ男の永遠のエンブレム、ステーィブ・マックィーンの豪華なるカタログ映画。そのページをめくっているだけでただ楽しい痛快作!

(評価 82点)

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ン十年見ているのに未だにストーリーが分からない謎の作品。それでも構わない、マックィーンがそこにいるだけでただ楽しい!

 今更、何をかいわんやの、ステーィブ・マックィーンの代表作、そして、ン十年にわたって何度も見続けているのに未だにストーリーがよく分からない不思議な作品でもある。

 まずはイントロのスタイリッシュとしかいいようがないビジュアルと、シックスティーズ、セブンティーズテイスト炸裂のラロ・シフリンの音楽が実にイカすタイトルバックが堪らない。

 冒頭、半分徹夜明けで、自宅で仮眠中、たたき起こされたブリット(マックィーン)の寝起きのリアクションが可愛い。とにかくマックィーンという人は、ほんのちょっとした仕草や立ち居振る舞いにカリスマ的な魅力がある。だからそんなマックィーンが、ただ走る、そして高所からちょっと飛び降りるといった、そんな何気ないアクションをしてくれるだけでもインパクトがあるのだ。当時、まだ三十代だったマックィーンの男の色気がもっとも濃厚に発散されているのが本作だといっていい。

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 そんなブリットが上院議員のチャルマース(ロバート・ヴォーン)から依頼されたのが、マフィアが絡む事件の証人の保護。ところが、その証人が護衛もろとも襲撃され、瀕死状態で病院に収監された後、病院に忍び込んだ殺し屋に殺される。

 本作がハリウッドデビューとなる英国人監督ピータ・イェーツのスピーディな演出がとにかく鮮やか。随所に鋭い切れ味のカットを交え、実にきびきびとしたテンポが心地よい。マックィーンがそれに応えるように、病院内での殺し屋とのチェイスシーンをはじめ、切れ味の良いパフォーマンスを随所に見せてくれるのが嬉しい。70年代と言えば、警察ものでもその象徴がはみ出し刑事だが、そのまさに走りとなるブリットがここから本領を発揮する。

 病院で殺された証人の犯人を挙げるため、ブリットが仕組むのがいわば泳がせ捜査。死んだ証人を独断でその死亡を隠匿し、あえて生きている患者として他の病院に搬送させる。病院に駆け付けたチャルマースは、証人が移送されていることを知り、ブリットを問い詰め、一気に二人の確執が高まることに。チャルマースはブリットの上司の刑事部長にも圧力をかけ、ブリットは孤立無援の戦いを強いられる。何とも70年代の幕開けを予兆するかのようなビート感溢れる展開がお約束とはいえ、これをタートルネックでバッチリ決めたマックィーンのビジュアルで決めてくれるのが嬉しいところなのだ。

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 そしてお待ちかね、本作が永遠に映画史の一本として刻まれるそのエビデンスとなったあの伝説のカーチェイスがやってくる。尾行されていることを察知したブリットが、ダッジチャージャーに乗った相手を、逆に追撃するシーン。マックィーンが乗るのは名車マスタングGT390。

 マスタングダッジチャージャーがまるで生き物のようにスクリーン狭しと躍動するこのシーン、半世紀が過ぎた今見てもスゴイ。何度見てもスゴイ。サンフランシスコ市内を疾走する二台の車、その内部から前方を捉え、何度も急な坂をバウンドしながら進むショットには、まるでジェットコースターに乗っているようなライド感がある。本作一本でカーチェイスの職人監督ともいわれるようになった、これもイェーツの演出と、優秀な編集の賜物だろうか、実際は、スタントの手を借りたそうだが、本編を見る限り、どのカットもすべてマックィーン本人が運転しているように見える驚異のショットの数々。市内を抜け、丘陵地帯の道路で、疾走する二台の車の壮絶なチェイスも見応え十分、フレーム映えするマックィーンのマスタングがとにかくカッコいいのだ。やがて、激しいクラッシュの後、ダッジチャージャーは爆発炎上、大破したマスタングの中でそれを見つめるマックィーンがまたしてもカッコ良い。

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 本作はいうなればマックィーンのカタログ映画、自ら立ち上げたソーラープロで製作し、自分がフレームにどう収まればカッコ良く見えるか心得ている。撮影を手掛けたウィリアム・フレイカーもまた然り、どのショットもまるでその呼吸を察したかのようにもっともカッコ良く見えるフレームにマックィーンを捉えている。

 やがて、冒頭のタイトル部でマフィアの証人を襲撃していた一味の一人を割り出したマックィーン。最後に追い詰めるのは夜の空港。逃げる相手を、飛行機のタラップから飛び降り、行き交う飛行機を交わしながら滑走路を走って追うマックィーン。コンコースで、群衆に紛れ逃げる犯人を仕留めるブリットが銃を構えるシーンの痺れるほどのカッコ良さ。昔、数々のチラシやポスターのマックィーンの顔を見ては胸をときめかせていた、映画小僧に戻ったような感覚を味合わせてくれるのが本作といえるだろう。

 かくして、直後に幕開けする、70年代アメリカ映画黄金期に見事に先鞭をつけた本作だが、エンディングに至っても、黒幕であるはずのチャルマースが結局、何がしたかったのか良く分からないまま幕を閉じる。敢えて、勧善懲悪的にスッキリと終わらないのもどこか来たる70年代の到来をも思わせるといえば言い過ぎか。つまるところストーリー自体は何がどうなって何がしたいのか未だに釈然としないわけだけど、このモヤモヤ感をどなたか解消してくれないものでしょうかね~

負け犬もそのキャッチーなコピーセンスに脱帽!「バタリアン」

エイリアンとゾンビ大好きなダン・オバノンのオタクセンスが実に楽しい、コワ面白い痛快ホラー

(評価 74点)

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ゾンビホラーにスラップスティックな笑いのセンスとMTVならではのビート感で味付けし、そのキャッチーなタイトルで見事に化けたポップな80年代ホラーの代表作。

 懐かしのエイティーズのメタファーといえば、常にあちこちで賑やかに流れていたMTVではなかろうか。だから映画もまたそのMTV的なテイストを画面から発散しているものが多かった。

 原題が「リターン・オブ・ザ・リビングデッド」といかにも素っ気無い本作も、そのパロディ的なテイストがもたらすスピード感には、紛れもなくそんな80年代のMTV的感覚が満ち溢れている。

 そして本作、最たる功績が他でもない配給会社の東宝東和がネーミングしたそのタイトル。タイトルのキャッチー効果で本編そのもののクオリティーUPにすらつながった稀有な作品として未だに有名な作品でもある。

 お話の舞台設定は、いたってシンプルそのもの。たった一夜の出来事、舞台は、とある医療関連の事務所兼倉庫、そして隣接する葬儀社だ。ゾンビに絡むマクガフィンも分かりやすい。米軍が死んだ兵士を蘇生させるために開発した特殊なガス。そのガスが、極秘裏に部隊の医療関連会社の倉庫に保管されていたという設定から、プロットが快調に滑り出す。

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 出だしの、一夜のバイトにやって来たフレディに、年配社員が肝試しとばかりに、おどろおどろしく、あのジョージ・ロメロの「ナイトオブザリビングデッド」にまつわる顛末を語り出す、アヴァンタイトルのシークェンスがとてもいい。

 このゾクゾクさせてくれるようなイントロから本作は、パルプ感ありありの極彩色のホラーコミックのページをめくるような世界を展開させる。

 ゾンビたちも、タイトルに出てくるタールマンをはじめ、本作のイメージキャラクターともなったオバンバなど、いずれ劣らぬキャラ立ちしているのも楽しいところ。医療会社の社員が、うっかりタールマンが保存されているタンクの蓋を開けたことから、漏れ出したガスが屋外にまで流出し、折から振った雨で、葬儀社との間にある墓地の土中深くにまでそれがつたっていってという実に分かりやすい展開の後はもういわずもがな。

 でも、そのプロット展開が決してステレオタイプにならずに、ちゃんとツボを押さえた快感をもたらしてくれるところが、本作の脚本監督のダン・オバノンの才人たる所以。

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 タールマンの、ぬったりくったりしたキモコワイ動き、オバンバのグロテスクかつユーモラスな造形、パンク集団のナイスバディのゾンビオネーチャン。墓場の土中からムクムクとゾンビたちが蘇生する、マイケル・ジャクソンのスリラーを彷彿とさせるシーンなど見どころもいっぱいで、エンディングも「ナイトオブザリビングデッド」パロディなのが嬉しい。

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 苦痛にあえぐ検死台に拘束されたオバンバが、脳みそを食わせてくれと訴えるシーンでは、そもそもゾンビが人間の脳みそを食う理由が明かされる。ゾンビと人間とが初めて意思疎通した記念すべきシーンとでもいえようか。

 そして何よりも今も、誰もが口ずさむそのタイトル「バタリアン」。一応、英語の部隊を意味するバタリアンの単語が由来だが、当時の日本人でそんなこと知る人間などいるはずもなく、誰もが映画のイメージからメイクコピーした造語だと思っていたのは笑い話。公開当時、TVで放映されていたTVスポットでも、そのタイトルのインパクトは抜群だった。このタイトルに釣られ見に行ったという人はきっと多かったに違いない。現に、日本でも、誰も想定しなかったほどのスマッシュヒットを飛ばした。やっぱり映画に限らず、本でも、マーケティング戦略というものを立案する上で、そのタイトルのキャッチー効果はやっぱり侮れないということなのでしょう。 

 そういえば本作にあやかってというか、このタイトルにあやかった「オバタリアン」というマンガもあった。この負け犬もそのマンガは読んでいた。タイトルで映画がヒット作に化け、そのタイトルからヒットマンガまで出来ちゃった、ある意味、ジョークのようなマルチメディア映画として、エイティーズを懐かしむ意味でも見逃せない映画ではないでしょうかね~

負け犬のスター降臨!圧巻のオーラに涙「トップガン」

スターになるべき運命の下に生まれた人間。抗えないその運命の船出に決然と乗り出した未来のスターの凛々しき姿に涙!

(評価 84点)

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F14のジェット噴射のように空高く舞い上がり、映画の世界のアイコンになったトム・クルーズのその瞬間を目撃する。

 人間というものを貪欲に消費し続ける非情の世界ハリウッドで、もう30年以上にわたりマネーメイキング・スターの座に君臨する。トム・クルーズは、地球上でもほんの僅かしかいない、その有り得ないことをやってのけているモンスター級の存在といっていい。

 「卒業白書」と「レジェンド 光と闇の伝説」の二作で、駆け出し中の若手スターに過ぎなかったトム・クルーズを映像派のトニー・スコットが見初め、本作に大抜擢。かくしてこれ一作でスターの座を名実ともに不動のものとし、その後の30余年にわたって今も尚、威光を放ち続けているというバック・ストーリーは誰でもご存知のはず。

 本作は、そんなトム・クルーズの放つオーラとスターの道を歩みだす覚悟すらうかがえる運命の歯車の回転のような力強さが、全編にわたって満ち溢れている。

 その魅力といえば、まずは、はち切れんばかりの生命力と、満面の笑顔をたたえるように輝くキラキラとしたその目でしょう。

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 型破りそのもののパイロット、マーヴェリック(トム・クルーズ)は、ある日、相棒のグースと共に、エリート・パイロット集団のワークショップ「トップガン」に配属される。かくしてライバルとなるアイスマンヴァル・キルマー)との確執、そして教官チャーリー(ケリー・マクギリス)との恋を経て、マーヴェリックが、真なる自我に覚醒し、本物のパイロットになるまでを描く本作。

 そのストーリーは一点の揺るぎもない王道そのもの。天才的な直感のみに頼りラフプレイを繰り返す無軌道な若者が、親友の死のトラウマで牙を抜かれたようになり、ライバルや恋人のサポートを経て窮地で覚醒する。

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 本作で覚醒したのはクルーズだけではない。兄のリドリー・スコットを追うようにCMディレクターから映画監督に転身し、そのフォトジェニックなスタイルと、エンタメの坪を押さえた映画作りのバランス感覚で後に多数の作品を残すことになる本作の監督トニー・スコットもまた例外ではなかった。

 でも、白状すると、本作の真価に覚醒したのも、実に30数年ぶりに再見した今回だったのです。その昔TVで見た時は、確かにそのビジュアルの数々は鮮明に記憶に焼き付いた。しかし、ドラマチックな感動までには至らなかった記憶がある。

 しかし、今回、再見してデンジャー・ゾーンのBGMと共に、フィルタリングされた空を次々に舞っていくトム・キャットのイントロにたちまち引きずり込まれ、その後のスポ根ものを地で行く展開に涙どころか号泣までしてしまったのは、こちらもすっかり年を取ってしまった感慨からなのか。

 実際、若かりし頃のケリー・マクギリス(今はすっかりオバさんになってしまった)や後のラブコメの帝王メグ・ライアンなどがチラホラと出て来るだけで、何だか切なくなるものがあった。

 加えて、アビエーター・サングラスをかけ、革ジャンを羽織ったクルーズがバイクをすっ飛ばすショットの健在のカッコ良さ。ロシアンが何の理由もなく、いきなり攻撃してきてドッグ・ファイトを演じてしまう戦争御免のノーテンキなクライマックスも、重箱の隅をつつくようなもの。結局は、最後にマーヴェリックが相手を仕留めたところで、画面と一緒に快哉を上げ、その余韻にひたりつつエンディングを見守るという至福の時間を過ごすことが出来た次第、

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 クルーズは本作当時、実に24才。そして、いよいよ還暦を目前にして本作のキャラクター、マーヴェリックを再び演じた最新作が控えている。誰も寄る年波には勝てない、もう若く無軌道なキャラクターは望むべくもないのは明らかだが、今度は、どんなベクトルを発揮して酔わせてくれるのでしょうかね~

願わくばせめてCGだけには頼り過ぎない作品になっていて欲しいところですが

負け犬もミラーボールに大興奮!これは夢のタイム・マシーンだ!「サタデーナイトフィーバー」

今夜はフィーバー!年甲斐もなく興奮させられた血沸き肉躍る夢の映画!

(評価 89点)

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もうこれは映画を超越したフェノミナだ!これを見れば誰もが若き日にタイムスリップ出来る夢の結晶!

 70年代のアイコンといえば、ブルース・リーに、ファラフォーセットのピンナップ、それにスタローンの「ロッキー」のポスター。そして70年代の掉尾を飾ったのが、ディスコクラブのフロアーで、ウィニングポーズのように右手を高くつき上げた、真っ白なスーツ姿のジョン・トラボルタ

 本作「サタデーナイトフィーバー」は、劇場ではなく1981年に、サヨナラおじさん淀川長治氏の「日曜洋画劇場」で、鳴り物入りで放送された時に見ている。何せこれほどのディスコ・ナンバーがぎっしりと詰め込まれた作品だ。権利上の都合もあって、TVで放送されたのは、それ一回きりだったような気がする。

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 そして、その時の印象はといえば、トラボルタのカリスマチックなダンス・シーン以外、さしたる印象も残らなかった記憶があった。しかし、なんの因果か、ふと本作の存在を思い出し、気まぐれに手に取って40年もの時を経て見た本作は、オープニングのその瞬間から、時間という感覚が消失するような血沸き肉躍る作品だった。

 何といってもイントロ。ジョン・トラボルタのトニーの靴がアップで映り、同時にビージーズのステイン・アライブが流れ出した瞬間から、まるでタイム・マシーンにでも乗ったように、3~40年前の自分に戻ったような感覚を覚えてしまったのだ。

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 それから後はもう、トラボルタの一挙手一投足に釘付け、ダンス・フロアーで皆が横になって分りやすいステップで踊るお決まりのラインダンス。更に、映画史上のモニュメント、中盤のトニーのフロアーでのソロダンスでは、胸が熱くなって大興奮。そして、ビージーズの優しい歌声が流れるエンディングまで、息を詰めて画面を食い入るように見つめ、見終えた後も興奮冷めやらず、胸がザワついて仕方なかった。

 何故だろう?そこでひとしきり考えてしまった。この負け犬にしても、さすがにディスコ・ブームの時代には、まだ夜遊びに明け暮れる年代には達していなかった。リアルタイムで体感したわけでもないのだ。しかし、本作のトラボルタのトニーには、誰もが若い頃に持っていたフィーリングそのものを最大公約数的に体現しているような何かがある。

 未来なんてクソくらえ、それより今この瞬間の楽しさ、この週末の絶頂感だけが生きがいだといった無軌道さは、若い頃なら誰でも何がしか持っていたはず。しがないペンキ屋の店員のトニーは、普通に学校で勉強をし、会社でルーチンワークをこなす、この負け犬でもあり、あなたでもあったのだ。

 そして、そんなデッドエンドなトニーが、唯一無二の存在感を示せる場所が、ディスコダンスのフロアーなのだ。だからこのワーキング・クラスの庶民のヒーローのトニーに誰もが共感し、熱狂したのに違いない。

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 でも、それだけではない。何よりもジョン・トラボルタの常識を超越するほどのカリスマチックな魅力。ダンスの動きはもとより、そのキュートな笑顔。当時、本作を観た誰もが、頭の先からつま先までトラボルタになりきって劇場を後にしていたはずのその姿がありありと目に浮かぶ。

 本作の撮影中、トラボルタは20才年上の最愛の恋人を亡くしている。その喪失感を振り切ってトラボルタは全身で本作に打ち込んだ。本作には、そんなトラボルタの魂が乗り移ったかのようなビビッドな魅力に溢れていて、その全身から発散されるようなセックス・アピールには、この負け犬ですらやられてしまいそうになるエキスがある。

 実際、公開当時の本国におけるトラボルタ・フィーバーの凄まじさは常軌を逸する程だった。連日連夜、トラボルタの住むマンションの周囲を群集と化したファンが取り囲み、ゴミとして出されるトラボルタの下着を奪い合った。

 まあ、本作から発散されるフェロモンのようなエネルギーを実感すればそれもむべなるかなという話なのだが。そもそも本作のランニングタイムは120分。40年前にTV放送で見た時は、20分強はカットされていたはず。その時、さしたるインパクトがなかったのも、ひょっとしてそのせいかもしれない。

 改めて見ると、超絶的なダンス・シーン以外にも、ドラマ部分が実にいい。親と同居するトニー一家の食卓のシーンのリアリティ。一家では神父となったことでヒーロー扱いされていた兄のドロップアウトをめぐるささやかなドラマ。そしてトニーと仲間たちの袋小路の生活の焦燥感。

 実は本作、撮影開始直前まで、監督はあの「ロッキー」を撮り終えたばかりのジョン・G・アビルドセンが担当するはずだった。しかし、クリエイティブなアプローチで製作者のロバート・スティグウッドと対立し、「ロッキー」がオスカーにノミネートされたその日に解雇された。急遽、代役として監督したのがジョン・バダムだったというから面白い。

 結局、このチョイスがベストだったのかもしれない。本作をネオ・ミュージカルとして製作陣が位置付けながらも、めくるめくダンス・シーンと、ドラマ部分のバランスをしっかりとコントロール出来る手腕はタダモノではないと感じた。

 若い頃には、誰も親の言う言葉などに耳すら傾けない。しかし、年を取るに従い、誰の目の前にも現実という壁が立ちはだかる。クライマックスのダンス・コンテストのシーンで、明らかに自分の方が劣っているのに、クラブの主催者の意向でファースト・プライズにされてしまったトニーは、ご都合主義という現実をまざまざと突きつけられる。

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 そして、その夜、仲間の一人がブルックリン橋から墜落するムダ死にを目の前で目撃し、トニーの中で何かが確実に変わる。トニーがビージーズの「How Deep is Love」をバックに地下鉄を乗り継いで夜明けの街を帰路に着くシーンが、実に胸に沁みる。

 若さは誰の人生にも一度しかない。しかし、トラボルタというアイコンが、その若さをまるでフリーズドライのアイテムのように、このフィルムに封じ込めてくれた。たった一度しかない若さの一端に触れるため、また負け犬はこの作品をきっと見るに違いない。

 思わぬ出会いがある。再見してみるまでは、これほど興奮させられるとは夢にも思わなかった本作。それこそが、映画フリークが映画をめぐって永遠にドリフティングを繰り返す、その理由なのでしょうね~

負け犬は宙ぶらりん「アイガーサンクション」

名匠もたまには下手を打つ!ガラの悪い007が登山するだけの変てこりんなスパイ映画

(評価 60点)

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スパイ映画か山岳映画か?カテゴライズしずらいのが一番の難点か。

 難攻不落のアイガー北壁で、裏切り者を抹殺せよ!登山の名手の諜報員が非情なミッションに挑む!と書けばいかにも面白そうには聞こえるが、名匠イーストウッドのフィルモグラフィでも凡作と言ってもいい残念作。

 出だしは、ロンドン。一人の諜報員が殺害されてマイクロフィルムが盗まれる。すると場面は大学に変わって、そこで美術史の教鞭を取っているのがヘムロックのイーストウッド

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 そう、今回のイーストウッドはインディジョーンズばりの大学教授の顔を持つ諜報員なのだ、というわけでイントロから本作はまさにスパイ映画。

 本作の原作の覆面作家として名高かったトレヴェニアンは、本職が大学の先生。多彩な作風を使い分けた作家だけあって、本作もスパイもののセルフパロディのような一面を持っている。だから、ヘムロックにミッションを下すボスのドラゴンも、まるで007のプロフェルドそのもののルックスをしている。

 ところが、本作は、スパイ映画にあってしかるべきアクションやテンポが物足らない。そもそも主役のスパイのヘムロックはリタイアを決め込んでいる。だから、まるで仕事に乗り気がないという設定で、ボスのドラゴンに対しても、ダーティハリーばりにやたらとガラが悪いのだ。

 そこでドラゴンは、ヘムロックが趣味で収集している世界の名画の鑑定書をエサに何とか口説き落としてヘムロックをその気にさせる。

 本作の目玉は、ご存知の通り、絶壁のアイガー踏破なのは、分かっている。しかし、その肝心のクライマックスは128分のランニングタイムのうち、20分ほど。本作は、その目玉の山岳シーンになるまでが、やたらと長い。

 ヘムロックは、堅物のイーストウッドには似合わず、ボンド同様、結構な女好き。序盤の大学で教える教え子の女の子から、飛行機では黒人のスチュワーデスのお姉ちゃんから、何から色々寄って来る。映画はと言えば、そんなお姉ちゃんとのシーンがやたらと続く。

 中盤、何故か目指す裏切り者のスパイが、登山が趣味で、アイガー登頂のパーティに紛れていることを知り、ヘムロックが、トレーニングを開始し、登山を目指すというのも、いくら原作がそうなっているとはいえ、展開の必然性が希薄なのは確か。

 しかし、お待ちかねの山岳シーンは、釘付けものの凄みがある。スタンドインではない、イーストウッド本人が、絶壁に実際、アタックしているショットの数々には確かに驚嘆する。だが、折角の迫真の登山シーンなのに、そもそも話の展開として必然性に乏しいからスリルやサスペンスに乏しいのは否めない。

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 ラスト、登頂を断念し、決死の下山を試みるシーンでパーティ全員が滑落死し、イーストウッドのヘムロックだけが一人、目もくらむ断崖で宙づりになる。このシーンは、子供の頃、TVで見た時から、今に至るまで脳裏にはこびりついている。

 しかし、総体的にいえば本作、何だかマッチョなイーストウッドが自分の登山シーンを見せたいがためだけに作ったような印象が拭えない。

 結局、映画そのものも宙ぶらりんの映画というべきか。

 実際、本作にテクニカル顧問として参画した登山家が、撮影中、事故死している。エンド・クレジットを、目をこらして見ていたけれど、メモリアルなコメントもなかったようで、ショー・ビジネスの世界とはかくも非情なものなのですね~

 

 

負け犬の身の毛もよだつ荘厳なるオペラ「ザ・フライ」

グロ度も極致のゲテモノ素材をダーク・プリンスがギリシャ悲劇のような荘厳なドラマに仕立て上げた純愛ホラーの傑作

(評価 82点)

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どこから見てもゲテモノに過ぎない映画が、途中から迫真の純愛物にメタモルフォーゼしていき、最後には目頭が熱くなっている稀有なる映画体験の妙味とはまさにこれ!

 マニアックな世界に耽溺している闇の世界の住人たち。本来、終生を闇の世界で全うするはずのそんなカルト作家と呼ばれるフリークスたちに、ちょっとした転機によって、スポットライトが当たることがある。

 あの「ブルーベルベット」で大ブレイクを果したデヴィッド・リンチがまさにそうだった。そして、変態監督として名高かったデヴィッド・クローネンバーグが一躍メジャーにのし上がる転機こそがまさに本作。

 本作のオリジナル「ハエ男の恐怖」は、子供の頃、TVで見たことがある。まるで円谷プロが製作したような着ぐるみ然としたハエ男が子供心に微笑ましくもあり、ラストの頭だけが人間になっているハエの変てこなイメージが、脳みそに刷り込まれたまま、作品自体はただのB級映画として忘却していた。

 しかし、それからン十年の時を経て、何の因果かリメイクされた本作。製作当時は、誰も何の期待もしていなかった雰囲気があったような記憶がある。ところが、出来上がった作品を見て誰もが驚いた。オリジナルとは桁違いにグロテスクなのに、余分なものが全て排除され、男と女の純愛に純粋ろ過された感動のドラマになっていたからだ。それは、ある意味、それまで誰も経験したことがないような映画体験でもあった。

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 化学者セス(ジェフ・ゴールドブラム)と、とあるパーティで知り合ったジャーナリストのヴェロニカ(ジーナ・デイヴィス)は、その足でセスが実験室に使用している倉庫へ向かう。そこで見たのは、セスが発明した物質を転送できるテレポッドだった。ほどなくして愛し合う二人だったが、セスはヴェロニカの忠告を無視して、自らを転送させる実験を行う。成功したかに見えた実験だったが、転送の際、一匹のハエがテレポッド内にいたことから、セスの肉体に異変が生じ始め・・。

 

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 ストーリーはオリジナルを踏襲しながらも、二人の出合いから、実験室での実験に、単刀直入にドラマが幕開けするストレートな出だしにまず引き込まれる。舞台もほぼその実験室に終始。クローネンバーグ自身が手掛けた、まるで舞台劇のようにシンプルな脚本がまずは成功の要因ではなかろうか。

 そして。キャストがまた素晴らしい。セスを演ずる、ハエ男となればこの人しかいないと思わせるような、ギョロ目も不気味な、エキセントリックで精力的なジェフ・ゴールドブラムに、異形の物へと変容していくセスを一途に愛するヴェロニカ役のジーナ・デイヴィスの二人は、アカデミー賞級といっていい。

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 そして、何と言っても、中盤からセスが異形の姿に変容をはじめてからの独壇場といってもいいクローネンバーグの世界観の凄み。

 ハエと分子レベルで融合してしまったことから、セスが、まるで皮膚病に侵されたような姿から、徐々にグロテスクな物体へとメタモルフォーゼしていくプロセスへの異様なまでのこだわり。それと共に、最初はただの愛情にすぎなかったセスとヴェロニカの関係も、より強固な純愛へとメタモルフォーゼしていく不思議な世界。

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 クローネンバーグは語っている。本作のテーマはまさにメタモルフォーゼそのものなのだと。妊娠したヴェロニカが、出産のオペで巨大なウジ虫を生み出す夢のシーンでは、そんなクローネンバーグが嬉々として産婦人科の医師を演じている。

 しかしながら、本作におけるグロテスクの度合いは、身の毛がよだつという言葉がピッタリする。だが、不思議なことに、異様きわまりない姿にセスが変容していく度に、目を背けたくなるのに、画面に釘付けになっていく自分に気付く。そして、それが頂点に達するのがクライマックス。

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 ハエの分子との分離を試みる最後の転送実験で、逆に完全なるモンスターへとメタモルフォーゼしたセスが、唯一残っている理性で、自殺の幇助をヴェロニカに促すシーン。ここに至って、それまでグロテスクなゲテ物映画に過ぎなかった本作が、まるで荘厳なオペラのように重厚なドラマに一瞬にして変わるマジックを目の当たりにして、目頭が熱くなるのはこの負け犬だけではないはずだ。そのまま流れるエンドクレジット。本作は、あられもないB級ホラー映画なのに、まるでギリシャ悲劇でも見たかのように、それを呆然として見つめるという稀有なる映画体験が出来る映画と言えようか。

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 しかし、そもそもオリジナルのリメイク企画を発案し、本作の製作総指揮を務めたのがコメディの帝王メル・ブルックスだったというのが実に不思議な話。しかし、思えば、デヴィッド・リンチがメジャーへの足がかりをつかんだ「エレファントマン」の製作総指揮も当のメル・ブルックスだった。

 異形のものと闇の世界の住人たちのそのルーツが実はコメディアンだったというのは、意外でもあり、実のところズバリと的を射ていると言えるのではないでしょうか。だってコメディアンたちも結局は、まともから逸脱した悲しきフリークスのようなものなのだから。

 

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負け犬の中高年は禁断の少女に萌える!「ロリータ」

今なおセンセーショナルな禁断の文学の完全映画化は、映像派エイドリアン・ラインの最高傑作だった!

(評価 84点)

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タブーを打ち破る、初老の中年男と、たおやかな少女との大胆なセックス・シーン!みずみずしくも美しい映像の数々。そして名匠エンニオ・モリコーネの美麗極まりない見事な音楽。めくるめく映像世界に、骨まで酔い痴れること間違いなし!

 かつてたった二度だけ映画化されたロリコンロリータ・コンプレックスの語源となった禁断の文学「ロリータ」。最初の映画化は、異才スタンリー・キューブリックが挑んだ1962年。そして、それから35年後の1997年、再びそのロリータの映像化に挑んだ鬼才がいた。スタイリッシュでファッショナブルな映像世界が持ち味のビジュアリスト、エイドリアン・ラインである。

 しかし、この本作、壊滅的な興行成績と、そのセンセーショナル過ぎる内容から、本国でも半ば黒歴史同然の扱いを受け、日本でも過去に一度ひっそりとDVDがリリースされたまま絶版状態となっている文字通りの禁断の作品だった。

 ところが封印されたはずのそのエイドリアン・ライン版の「ロリータ」が、何とYOUTUBEにフルUPされていることを発見し、念願の遭遇を果すことが出来たのだ。さらに、研ぎ澄まされたその映像世界と、実際に撮影当時17才の少女まで起用し、タブーを全く恐れぬ完全なるロリータの世界の映像化に度肝を抜かれ、本作が紛れもなくエイドリアン・ラインの最高傑作だと確信した次第。

 冒頭、ひた走るハンバート(ジェレミー・アイアンズ)の車からいきなり始まるファースト・シーンが絶妙。何処に行くとも知れず高速で突っ走る車。それを呆然と運転するハンバートの助手席には血まみれのリボルバーのピストル。リズミカルに巧みに切り取られたカットにエンニオ・モリコーネの美しいメロディラインの音楽がセッションする超絶的なまでに美しいシーンにたちまち虜になった。

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 ハンバートの脳裏に去来するのは一人の少女。米国のニューハンプシャーに教職を得てやってきた英国人のハンバートは、たまたま下宿先を物色している最中、衝撃的な出会いを果す。

 下宿屋の未亡人シャルロット(メラニー・グリフィス)の娘ロリータ(ドミニク・スウエィン)である。一目でロリータに心を奪われたハンバートは、たちまちその家に下宿することを決め、その後、ロリータにひたすらのめりこむ。

 中年男が少女に抱く憧憬。とにかくこのロリータをはじめてハンバートが見初めるシーンが出色。芝生に寝そべり、夏の日差しを浴びたスプリンクラーの水滴が、ピッタリと肌に張り付いたその下着を濡らしている。

 本作の成功はまた、実際に撮影当時17才だったロリータ役のドミニク・スウエィンにあったといってもいい。

 まさに小憎らしいという言葉がピッタリ。まるで捉えどころがなく、少女のようなイタズラっぽさと、性悪女のような狡猾さを併せ持つ魔性の二面性、さらにははじけるようにコケティッシュなその魅力。

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 ロリータに振り回されながらも、内面に燃え盛る欲望と理性の葛藤に悶々としつつ、ひたすらロリータの虜と化していくハンバートを、エイドリアン・ラインがビジュアリストとしての面目躍如たる、巧みな切れ味を持つスタイルを駆使して描く本作には、随所に陶然とさせてくれる映像に満ちている。

 夏季キャンプに旅立つロリータを二階から見送っていたら、車から飛び出しけたたましく二階に駆け上がるや、ロリータがハンバートにいきなりキスするハプニングに至るまでのダイナミックでアクティブな映像。とにかく至る所にエイドリアン・ラインならではの研ぎ澄まされた映像が散りばめられた世界が圧巻なのだ。

 綿密に時代考証された映像も美しい。下宿屋の女主人シャルロットが不慮の事故で死んだことをこれ幸いとばかりに、ハンバートはロリータを連れて旅に出る。うらぶれた中年男とたおやかな少女との夢の旅。しかし、旅の途上で出会ったキルティというもう一人の中年男にロリータが心を奪われていることを知るや、ハンバートは嫉妬もあいまって遂に一線を越えてしまう。

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 1962年当時には決して描くことが出来なかった大胆な、中年男と少女とのセンセーショナルなセックス・シーン。スタイリッシュでありながらもなまめかしく大胆なこのシーンには息を呑む。積年の思いを果したハンバートだったが、ロリータは、入院先の病院からいきなり姿を消す。

 そして数年後、ロリータからの便りを手掛かりに再開を果したロリータは、見知らぬ男と所帯を共にし、そのお腹には子供を身ごもっていた。

 自分の脳裏にあった永遠の少女のはずのロリータがいきなり現実味を帯びた成人の女と化し、その上、母性まで帯びてあれほど燃え上がった欲情ももはや過去のもの。砕け散ったかつての幻影を慈しむようにロリータと別離するハンバートのこのシーン。モリコーネの哀調の音楽がここに被るときのエクスタシーといってもいいほどの美しさは鳥肌もの。

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 やがてロリータの本当の妊娠の相手キルティの元に向ったハンバートは、自分のアイドルを汚した真の相手に対峙することになる。全裸でペニスも露わなキルティ役のフランク・ランジェラの奇怪な魅力。そして、怒りが頂点に達したハンバートが手にしたリボルバー銃口が火を吹く。

 エンディングがつまり冒頭の車でひた走るハンバートなのだ。

 時代考証が行き届いたシーンの数々、小さな小物を巧みなアングルで切り取るアクセントカット、そして光と影のバランスも圧巻のキャメラ。そのショットの数々にはエイドリアン・ラインの本作における執念まで感じさせる。

 ここまでポテンシャルの高い作品が、封印同然になったままなのは実に惜しい。

 内容自体は、あまりにもセンセーショナルではあるが、本質のテーマは、永遠の若さを憧憬してやまない妄執にとりつかれた人間とその人生の儚さで、それがこれほどまでに鮮烈に描かれた傑作だったことは予想外の驚きだった。また、これほどまでの傑作をものにしながら、本作の失敗が原因で、その順調なフィルモグラフィに陰りが差してしまったエイドリアン・ラインは無念だったに違いない。

 その無念を噛みしめながらこのロリータの小憎らしいドミニク・スウエィンちゃんの肢体をねっちりと眺めるのもまた一興かもしれませんけどね~