負け犬的映画偏愛録

崖っぷちの負け犬が負け犬的な目線で偏愛する映画のことを好き放題のたまう崖っぷちの映画録。また、たまに<映画をエンジョイ英語もエンジョイ>と題して、映画の実際のスクリプトを原文と翻訳でご紹介。英語学習気分もちょっぴりどうぞ!

負け犬が本物のレイプを目の当たりにしていたことを知って驚愕した件「ラストタンゴ・イン・パリ」

人間の束の間の性と生のタンゴを描く映画に、やらせなしの本物のレイプシーンがあったとしても、ベルトリッチ最大の傑作には違いない!

(評価 80点) 

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名前も知らない男と女が、お互いの存在を確かめ合うように、アパルトマンの一室でその肉体を貪りあう。それは、まさに人生のラストタンゴなのだ。

 顔と肉体がグニャリとひしゃげた男がソファーに寝そべるフランシス・ベーコンの一枚の絵。その静止映像に、ガトー・バルビエリによるジャージーなリズムとともに絶妙なサックスの音がかぶさるオープニング。初見の時、このオープニングに陶然とさせられて以来、本作を何度見たことだろう。

 そんな本作は、アングラ映画監督の恋人との結婚を控えるヒロインのジャンヌ(マリア・シュナイダー)が、新居探しのため、とあるアパルトマンを訪れるところから始まる。それまでイタリアのフェリーニパゾリーニといった、純然たる作家志向の監督だったベルナルド・ベルトリッチが、本作で世界中にセンセーションを巻き起こし、一躍、ポピュラーなメジャー監督となるきっかけともなったこの作品は、ベルトリッチの作品には欠かせないヴィットリア・ストラーロキャメラの美しさが、まず最大の見どころ。

 老朽化し、くすんでいるはずのパリの古びたアパルトマン。そこに差す光をストラーロによるキャメラが鮮明に捉えることで、ストラーロならではの鮮やかな黄色に満ちたカラフルな空間にそのアパルトマンが変容する。

 最上階の一室を気に入ったジョアンは、部屋を品定めしている最中、時を同じくしてやってきた一人の男(マーロン・ブランド)と出会う。そして、お互いの名前すら交わさぬまま、二人はいきなりセックスを始める。

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 本作は、この二人がこのアパルトマンの一室で落ちあい、セックスし、破滅に至るまで。描くのはただそれだけなのだ。しかし、それが、クライマックスで二人がでたらめに奔放なままに踊るラストタンゴとして表現されることで、人間の人生の悲しくも見事なラストダンスとしてシンボリックに表現される。そのさまは、ただただ圧巻の一語に尽きる。

 マーロン・ブランド演じる男に名前が無いことも、この二人を人間というものから個性をはぎ取った男と女、オスとメスの存在に転化するためのメタファーだ。それを端的に表現するシーン。全裸の二人が足を絡ませ、向かい合って座りながら、動物の鳴き声を上げるシーン。このシーンはユーモラスでありながら、核心をついてもいる。

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 また男は、最愛の妻が自殺したという、やるせない悲劇に見舞われたという設定。本作におけるマーロン・ブランドが醸し出す言いようのない虚無感は、超絶的なほど素晴らしい。その虚無感があるから、たた本能のままに、ひたすらジョアンナの肉体を求める男の行動が素直に理解できるのだ。

 人生はデタラメなダンス。セックスの果て、その行為がいよいよ終末を迎えていることを悟った二人が、顔をしかめる客たちをよそに、タンゴコンテストの舞台に乱入し、デタラメなタンゴを踊るシーンの陶然たる美しさ。

 そして、また本作は最近になって新たな物議を呼んだことも記憶に新しい。何度目かの二人のセックス・シーンに、ブランドが服を着たまま、ジョアンナに背後からのしかかり、手近なバターを指につけ、ジョアンナの肛門に塗って、そのまま姦通するシーンがある。その当時では、あまりにもセンセーショナルだったアナル・セックスの描写だ。

 近年、ベルトリッチはこのシーンが、ジョアンナ役のマリア・シュナイダーと何の同意も得なかったレイプまがいのシーンだったことを明らかにした。このシーンではお互い服をまとったまま姦通するだけで直接的な描写はないものの、それまで目にしていたシーンが、アドリブの本物のレイプだったことを知ってマスコミや映画関係者たちをも騒然とさせた。

 かくいう負け犬も少なからず驚いた。何度も目にしていたシーンが、迫真を通り越した本物だったわけだから。ここで交わった二人は、短い時間で果て、お互いを振り払って陶然としたエクスタシーに浸っているように動かないが、そもそもあれはリアルだったのだ。

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 世界中で上映禁止の物議を呼び、こうしたセンセーショナルな面ばかりが強調される本作だが、ベリトリッチの初期作品に見られた巧みなカット構成、ストラーロキャメラ、バルビエリの音楽と三拍子揃ったこの映像は芸術以外の何物でもない。本作発表当時、ベリトリッチは何とまだ30才。その年齢で、このエロスと死の、人間のはかない人生のダンスを描き上げた才能は、やはり天才だったとしか言えない。

 惜しくも早逝したベルトリッチが晩年になって、明かしたレイプの事実。それは過去に犯したことへの罪悪感からくる贖罪だったのかもしれない

負け犬も腹を抱えて大笑い!超大作映画のはずが何もかも滅茶苦茶な素っ頓狂映画で放送禁止必至の超怪作だった件「君よ憤怒の河を渉れ」

あの名優、高倉健黒歴史。いや、これはもう暗黒の歴史だ。無茶苦茶なミス・マッチ感、そしてとんでもない程のお間抜け感にズッコケ必至のアカデミー級の大珍作!

(評価 10点)

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馬だ~!犯人が馬で逃げたぞ~!パッパカッパッパカ!ンなアホな!2時間30分もの長尺の本作を観ながら、一体、何度、唖然としながら突っ込んだろうか。

 ラッパ男の異名を取った大映の名物プロデューサー、永田雅一が、自らの復帰作と称してブチ上げ、何とも形容しがたい、奇々怪々たる珍作と化した、超大作の成れの果て。とにかく、全てが素っ頓狂でトンチンカン、大真面目な大作なのに、見ているこちらまで正気を失いかけるほどの、あきれ果てるしかない無茶苦茶映画。

 きっと、これからご紹介するイントロダクションだけでも正気を失う人がいるかもしれない。

 「君よ憤怒の河を渉れ」!ドーンと画面いっぱいのタイトルの直後に、最初のズッコケが到来する。

 ダヤダ~ダヤダ~♪タイトルバックで流れるのは、男性歌手による怪しげなスキャット。何でスキャットなの?そんな疑問などお構いなしに朗々と歌い続ける男性歌手。そして、ファーストシーンで、最初の素っ頓狂が爆発する。何の前触れもなく、歩行者天国にいた女(伊佐山ひろ子)が、いきなり検事の杜丘(健さん)を指さし、強盗だ~と叫び出す。その女の訴えを真に受けた警官が健さんを拘束。続けざまに現れた田中邦衛にも、キャメラの窃盗犯呼ばわりされた健さんは、何とそのまま逮捕されてしまう。

 いくら何でもれっきとした現役検事が、ショボイ窃盗なんかするわけが、の疑問を露ともせず、映画は健さんを窃盗犯と決めてかかってあれよあれよと進行するが、当然、濡れ衣なわけで、健さんは、家宅捜索に同行した際、そこで窃盗物件が置かれている偽証工作を目の当たりにした後、これはヤバイと窓から逃げる。

 最初の大爆笑は、このクダリ。窓からそのまま逃げたから健さんは、靴下だけで靴を履いていない。逃げている途中、小学生の一団と目が合い。そこで何と健さんが照れ隠しにうっすら笑う(ここが何とも可愛い!)。直後、健さんが向かうのはお寺。何故か・・?お寺なら、本堂で信者たちが靴を脱いで説教を聞いているから・・。そして、ある寺まで来た健さんは、本堂の土間で、まんまと靴を失敬して立ち去る(いくら濡れ衣で逃走中とはいえ、検事が靴盗んだらマズイだろ)。

 寺に行けば靴がある・・?そうかもしれないけど、一体、何で検事クラスの人間が住む高級マンションのすぐそばに、都合よく寺があるのか?しかし、この程度で、首を傾げてはいけない。これはまだまだ序の口なのだ。

 指名手配された健さんは、偽証した女の行方を追って、はるばる能登へと向かう(靴が無いなら金も一銭も無いはずなのに・・)。そして、女の実家へと向かった健さんは、そこで女の死体を発見する!そして、この時、流れる音楽が何故かルンルン調の軽快な音楽!本編中、何度も出て来るこの音楽。一体全体、作曲家は何を考えていたのかと唖然とするほどのミス・マッチ感ありありの滅茶苦茶さ。

 かくして、トンチンカンの最初のクライマックスは、この次にやって来る。健さんは、殺された女の亭主が、第二の偽証犯の田中邦衛であることを知り、その田中邦衛が北海道にいることを突き止めるや、そのまま金も無いはずなのに北海道へ渡る。

 しかし、既に警察が先回りしていて、健さんは、山中を彷徨うはめに、その時、助けを呼ぶ声が、何と、一人の女がクマに追われて木によじ登り、助けを求めているではないか~!あれ~!健さんは、追手から奪ったライフルでクマを撃つが、そのままクマは山中へと。ズッコケるのが、このクマが、着ぐるみ丸出しなこと。ガオーとわめいて森に走って逃げて行くこのクマ。実は、これだけでは終わらない。

 助けた女は真由美(中野良子)といって、北海道の名士、遠波(大滝秀治)の一人娘。もともとプッツン系の女優の中野良子が、ここぞとばかりに芝居気たっぷりに、すっかり健さんにノボせあがってしまう。健さんの居所を突き止め、踏み込んで来た矢村警部(原田芳雄)をあしらって馬で一緒に逃走するが、隠れ場所にまでやって来た矢村に健さんは捕まってしまう。

 そして手錠をはめられ、山を下ろうとした時、あのクマが、ふたたびガオー!と現れ、矢村に傷を負わせ、健さんはそのスキに逃げる。

 ご都合主義という言葉がこの世にはある。しかし、大抵のご都合主義というものは、一応、それなりのオブラートで包むもの。しかし、この映画は違う。体面や見てくれなど何も気にしない。当然だろ、という面構えで、ご都合主義を使い倒す。

 かくして、いよいよ退路を断たれた健さんは、重要な証人でもある田中邦衛が東京にいることを矢村から知らされ・・、その時、真由美の父親、遠波が提案したのが、セスナでの脱出だった。

 しかし、健さんは一度もセスナなど操縦したことがない。そこで遠波は急遽、セスナの操縦方法を健さんにレクチャーし、健さんはセスナを一人で操縦し、一路、東京へと・・。

 さすがに、このあたりで、本作を観ていた負け犬の正気も怪しくなってきた。しかし、その狂気のボーダーラインは。さらにいっそう、加速していく。

 東京に潜入した健さんは、潜伏先を知られ、雑踏で警察に追われ、捕まりかける。その時、突如、現われるのが何と馬の大群。東京の歩行者天国に馬?(一応、真由美が馬のビジネスのために東京にやってきているという前置きらしきものはあるが、これはねえだろ・・)

 傑作なのが、馬に乗って逃げる健さんに唖然とし。「犯人が馬に乗って逃走!」と刑事たちが大真面目に無線で連絡するところ。

 そして、この後、映画は、いよいよ狂気の領域に突入する。

 田中邦衛が精神病院にいることを突き止め、健さんは身分を偽り、精神病患者を装って、精神病院に自首入院するのだ。もうここまで来たら完全にアウト。TVでは放送禁止必至なわけだけど、本作の場合、精神病患者を平気でガイ〇チ呼ばわりする無頓着さは時代のせいとしても、モラリティー上のセンシビリティなど欠片も持ち合わせることなく、そのまま物語を進めるところがコワイ。

 結局、ここで健さんが知る真相とは、政界の黒幕が、政治犯などの連中を、精神病者に仕立てるべく開発したAXなる新薬の製造を、裏で操っていて、その陰謀に迫ろうとしていた検事の健さんを、排除するために仕組んだ工作だったというわけなのだが、ここでも健さんは、黒幕の手先の、病院の職員にそのAXを投与されるが、いちいち便所で吐いていたから、精神病者になることを免れたというバカバカしいことこの上ない展開の果てに、それまでしていたアンポンタンのふりから、いきなり正気に返ってみせ反撃に転じるところは、あまりのバカバカしさに開いた口が塞がらなかった。

 結局、最後は、何の証拠もないのに、怒りに任せて、丸腰のままで武器も持たない、その黒幕を撃ち殺しておいて、何故か正当防衛があっさり認められ、真由美と共に去っていく健さんの姿で本作は終わる。

 クマがガオー!に馬がパッパカッパッパカ!・・・。正気と狂気の淵というものが、この世にはあるらしい。本作を観ている間、頭の中にやって来た春の中、フワフワと飛ぶ蝶を追っているかのような錯覚を覚え、その狂気の淵たるものを何度か垣間見たような気がした。そういう意味では、クスリなしでハイになれる、稀有なるトリップ映画といっていい。

 ただ、健さんにとっては、痛恨の黒歴史、汚点といってもいい作品なのに、本作が何故か中国で大ヒットしたのもまた有名な話。中国では健さんと言えば、とりもなおさず本作だというから、何だか可哀想。

 どんなトンチンカンが監督かと思えば、何とあの「新幹線大爆破」の佐藤純彌ではないか。誰が監督であれ、とにもかくにも見た後は、その正気を疑いたくなる怪作には違いない。

 

 

負け犬も泣いた稲妻男と韋駄天小僧のバラード「サンダーボルト」

ポンコツ・ギャングたちのペーソスに泣ける!セブンティーズの息吹が炸裂するアクション・ロードムービーの傑作!

(評価 80点) 

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伝説のギャングと韋駄天小僧の熱き友情。間の抜けたギャングたちのペーソスにも泣けるロードムービーの傑作。

 あの「ダーティハリー2」の脚本で、イーストウッドに瞠目されたマイケル・チミノが、一躍、自身のオリジナル脚本での監督に大抜擢された見事なデビュー作。

 まずオープニングが素晴らしい。見渡す限りの広大な畑にポツンと建つ教会のロング・ショット。そこに一台の車がゆっくりとやって来る。車から降りた男が見上げた教会の中からは讃美歌が聞こえている。教壇に立ち、説教を信者に訓示しているのは、いかにも胡散臭い成りの牧師。この牧師がイーストウッドなのだ。そして、ふと見ると先程の男が銃を構えている。咄嗟にイーストウッドが飛びのくや、いきなり男はイーストウッド目掛け銃を乱射し始める。慌てて逃げるイーストウッドをどこまでも追う男、そこへ中古車屋で盗んだばかりのファイアーバードをすっ飛ばしてきたライトフット(ジェフ・ブリッジス)がやって来るや、イーストウッドは猛然とその車に飛び乗って走り去る。そのシーンにポール・ウィリアムズが歌うバラード調のイカすテーマ曲が流れ・・。ここまで約10分。ここだけで、まるで一本の映画を見たかのような導入部のシークェンスにマイケル・チミノの才能と感性が見事に凝縮されている。

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 チミノが作りたかったもの。それは、アメリカ映画お得意のギャングものと当時、全盛を極めていたニュー・シネマチックなロードムービーの融和に違いない。

 ひょんなことから旅を続けることになるこの二人。イーストウッドは実は、金庫の壁をキャノン砲で吹き飛ばす手洗い手口で有名な、サンダーボルトの異名を持つ伝説の銀行強盗。そのサンダーボルトがそもそも冒頭で狙われたのも、過去に犯した強盗で得た莫大な金を、ある場所に隠したことで昔の仲間に追われていたから。

 追ってくるのがレッド(ジョージ・ケネディ)とエディ(ジェフリー・ルイス)のポンコツ・コンビのギャングたち。

 ガソリン・スタンドでの中年夫婦との掛け合い、モーテルでの娼婦まがいの女の子たちとのエピソードなど、笑いを交え、サンダーボルトとライトフットが友情を深めていくのを描くのがチミノは実に上手い。たまたまヒッチハイクした男がプッツン気味の田舎男で、何故か車のトランクを開けるとウサギが満載されていたりするシーンには笑える。

 とにかくやたらと手荒で暴力的なレッドをパンチでねじ伏せ、一時休戦に持ち込んだサンダーボルトは、かつての銀行をまた襲撃することを提案する。

 かくして、再びの銀行強盗のヤマに臨むギャングたちだったが、何と言っても必要なのは軍資金、というわけで、このポンコツ・ギャングたちが励むことになるのが、なんとアルバイト!

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 鉄工所の作業員に清掃員、そしてアイスクリーム屋に至るまで。強盗の資金集めに、アルバイトをするギャングたち、こんなにイカして笑えるギャングたちは、本作の後にも先にも見たことがない。とにかく、ブツクサいいながら、アイスクリーム屋の車に乗ってバイトするメンバーの一人、エディの姿は、何はなくとも感涙もの。

 かくして、伝家の宝刀の20mmキャノン砲をめでたく手に入れた一行は、最後の銀行強盗の大舞台に挑むことになる。しかし、こんなポンコツな奴らが、上手く、やりおおせるわけもなく・・。

 という具合に、その顛末は、如何にもなノワール的な破滅的な展開となるが、何とか逃げおおせたサンダーボルトとライトフットたちが辿り着いたのは、かつて金を隠した例の場所、古びた学校だった。

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 そして、迎える本作のエンディングには、紛れもなくセブンティーズのスピリッツが横溢している。あくまでも無様に、そしてみじめに死んでいくライトフットを看取ってやるサンダーボルトの姿には、あの「真夜中のカーボーイ」のラストで、ラッツォを看取るジョーの姿がダブッている。

 ザラついたニュー・シネマの空気感、ギャング・アクション。そして男同士の友情。それらが混然一体として、ちゃんと一つのエンターティメントとして成立している稀有なる傑作だ。

 ロング・ショットの効果的な使い方。巧みなテンポ。そしてキャラクターの描き分けなど、これがデビュー作とは思えないほどの技量の冴えを見せたマイケル・チミノは、この後、監督として「ディア・ハンター」で天国を、そしてタイトルとは裏腹に「天国の門」で、皮肉にも自業自得の地獄を見ることになる。

 イーストウッドの作品群では、比較的目立たないポジションの本作、だからといって見逃しておくには、あまりにも勿体ない傑作なのです。

負け犬も震撼した恐るべき25才「死刑台のエレベーター」

今なお、燦然と輝くサスペンスの大傑作!タイム・リミットに見事なマルチ・プロット。巷に溢れるソリッド・シチュエーションの先駆けにして最高峰!

(評価 84点)

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一分の隙も無いプロットに映像、そしてマイルス・デイヴィスのジヤージーな音楽。完璧なる傑作を作り上げたのが若干25才の一人の天才監督だった。

 フランス映画には、「恐怖の報酬」、「悪魔のような女」といったクラシックなサスペンスの傑作が多い。その中でも決して抜きには語ることが出来ない傑作が本作。

 本作で何と言っても秀逸なのは、単純明快かつ、核心そのものを突くアイデアに満ちたそのプロット。このプロットのさわりを聞いただけで、おそらく誰もが身を乗り出すはず。現にこの負け犬も、子供の頃に、映画雑誌の記事の片隅に乗っていた2,3行程度の本作のプロットを読んだだけで、映画のイメージがたちまち頭に湧き上がり、見たくて仕方なくなったことを今でも憶えている。

 富豪の社長の妻と不倫関係にある男が社長を殺す、アリバイ作りも完璧に思えた犯罪だが、犯行現場のビルを去ろうとした時、ふと見ると、犯行に使ったロープがそのまま垂れている。慌てた男は、それを回収しようとエレベーターに飛び乗るが、夜警が電源を落としたため、エレベーターが止まってしまい・・・。

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 エレベーターという限定空間は、とかく人々のイメージを刺激してくれる一つのアイテムと言っていい。そこに、どうしても行かなければならないという男の行動のベクトルがマッチすることで、この見事なアイデアに満ちたプロットというものに結実する。

 かくして、イメージをマックスまでそそられた負け犬だが、本作は、モノクロのフランス映画というデメリットもあって、なかなかお茶の間でのTV放送のプログラムにも乗り難く、ようやく実際の作品と出会えたのは、レンタルビデオの時代に突入してしばらくたってから、ようやく借りて見たそのビデオの映像だった。

 見た瞬間から、たちまち本作に魅了されたのは言うまでもない。本作で何よりも面白いのは、エレベーターからの脱出というサスペンスだけではなく、限定空間のエレベーターと、ビルの外のサスペンスが同時進行するところ。

 あわててエレベーターに飛び乗り窮地に陥る主人公ジュリアン(モーリス・ロネ)が、ビルの前に駐車した車。凶器の拳銃も置いたままのその車を、無軌道な若いカップルが盗んでしまう。そして本作は、ビルの中のジュリアンの行動とともに、車を盗んだカップルの逃避行を同時進行で描いていく。このプロットが、内と外というマルチな空間で展開する妙味には、実際、何度見てもエキサイトさせられるものがある。

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 すぐにでもエレベーターから脱出し、ロープを回収しなければ、犯行が露呈してしまう。そのタイム・リミットに加え、さらに、そのまま盗まれた車はどうなるのか?この二重のサスペンスの行方が、見事に収斂し、結末を迎える卓抜な展開は、是非、ご自分の目で確かめていただきたいのです。

 本作の原作者は、ノエル・カレフ。何だかそのノエル・カレフの手によるプロットの手腕ばかりを激賛しているようだが、本作のオープニングを見れば、ルイ・マルによる映像あってのこの作品であることは、誰の目にも一目瞭然で分かる。

 ジュリアンと愛し合うフロランス(ジャンヌ・モロー)のクローズアップのファースト・カットから、電話で話し合うジュリアンとのカットバック。そして、受話器を持つジュリアンからキャメラがゆっくりトラックバックしていくと、ジュリアンが、会社の社長がいるペントハウスのすぐ下の階にいることが分かる、その絶妙なタイミングでマイルス・デイヴィスの即興演奏によるイカすテーマ曲がインサートされるまで、この流れるようなファースト・シークェンスで、本作を見る人すべてに、この監督がどれほど才能にあふれているかは、強烈に印象付けられるはず。

 そこから、本作は間髪入れず、ジュリアンの犯行の描写に入る。そのままルイ・マルは、実にムダなく、セリフよりも映像そのものを最大限に活用し、プロットをたたみこむように展開させていく。本作が製作されたのは、ちょうどゴダールのヌーベルバーグ華やかなりし頃。しかし、本作がヌーベルバーグの作品群と一線を画しているのは、感覚的な映像よりも、よりアメリカ的なサスペンス映画に近い、即物的なプロットそのものを簡潔に表現することに重きを置いているところ。

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 それでも、終盤に出てくる、リニ・ヴァンチュラのシェリエ警部によって、ジュリアンとフロランスに下される顛末には、フランス映画らしい、男と女のエモーションに満ちているところのバランス感覚などはもう見事としか言いようがない。

 製作時、ルイ・マルは何と若干25才。ジャン・コクトー風に言えば。恐るべき子供というべきか。

負け犬の飼い犬にだけは手を出すな!怒らせたらヤバイ奴映画NO1「ジョン・ウィック」

50代でキリストのように復活を遂げたキアヌ・リーブスの快作。この映画は中高年者のための復活ガイドだ!

(評価 82点)

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人間の人生は分からない。怒らせたらヤバイ奴映画というジャンルで再生を果たし、50代から見事にフランチャイズを作り上げた偉業は只物ではない。本作はいうなれば人生リバイバルマニュアルなのかもしれない。

 妻を亡くし、傷心の一人の男の元に届けられた宅急便。それは、一匹の小さな子犬だった。妻の形見の子犬と始まるささやかな暮らし。しかし、その生活が踏みにじられた時、男は一匹の龍になる!

 あのキアヌ・リーブスがブロック・バスターではない小さな映画で復活を果たしたとの風の噂を伝え聞き、気もそぞろに見た映画は、久しぶりのB級スピリッツ満載の文句無しの傑作だった。

 冒頭、亡くしたばかりの妻の動画が映るスマホを手に泣くキアヌ。何度見てもグっとくるこのシーンが実にいい。本作は、一匹の犬を殺されたかつての殺し屋が、その復讐のためにロシアンマフィアを壊滅させる、実に分かりやすいが荒唐無稽でもある話。

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 しかし、それを素直に納得させる力が、このシーンでのキアヌの涙にはある。長いキャリアで常に山と谷の振幅を味わい、あの“ぼっちメシ”でも一躍有名になった男の真の涙と言えば言い過ぎか。たかが犬一匹のために、という人もあるけれど、犬一匹だからこそ逆にこの負け犬は納得できた。家のインテリア全体が、デザイナーズ・ブランドのような無機質な空間で、肌のぬくもりを感じさせてくれる存在といえばやはり犬なのだ。この子犬一匹と暮らすジョン・ウィックの暮らしぶりを端的に描くシーンが素敵だからこそ、男が漢になり、覚醒する瞬間が生きるのだ。

 ベースメントに埋めた、殺し屋時代のギアを封印したコンクリートを打ち砕き、手にした武器で向かう復讐相手は、ロシアンマフィアのバカ息子。覚醒したヤバイ奴が天下無双になるカタルシスをこれほどまでに堪能させてくれる映画は他に無い。

 ロシアンマフィアのボスだけが、伝説のジョン・ウィックの存在を知っていて、ロシアの魔女バーバ・ヤーガと恐れるところもお約束で血をたぎらせてくれるが、何よりも新鮮だったのは、皆が大好きな殺し屋のキャラクターの描き方。

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 殺し屋だけのギルドがあって、殺し屋だけで流通する貨幣があって、殺し屋ホテルが存在し、というシュールな世界観。思えば映画やフィクションに抜きにしては語れないキャラクターの殺し屋をこんな風に一つの世界観として示した映画はなかったのではなかろうか。

 ロシアンマフィアの巣窟に殴り込み、暴れまわるジョン・ウィックカタルシス。最後のボスとの一騎打ちは、ラスボスとしての役不足なのだけが、難点と言えば難点か。しかし、その後、円環手法でイントロのシーンに戻り、ちゃんと出てくるのが、新たな相棒の犬なのが、また泣ける。

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 その足取りも似た一人と一匹が向かう先は、あっぱれなジョン・ウィックフランチャイズだった。本作が2以降も大ヒットを飛ばしたのは周知の通り。元々、本作が、スタントマンであった盟友チャド・スタエルスキにショー・ケースとしての場を与えたいというキアヌ・リーブスの熱き友情から生まれたというのだから、キアヌへの好感度も増すばかり。若くは見えるがキアヌもれっきとした50代、となればキアヌ・リーブスこそまさに中高年者の人生再生のショー・ケースというべきだろうか。

 かくしていまやマルチメディアに拡散し、立派なフランチャイズとなったジョン・ウィック。そのジョン・ウィックのフィギュアは今や各種さまざまなものが出ているけれど、あの一人ぼっちで昼飯を食っているところをパパラッチされて一躍有名になった”ぼっちメシ”フィギュアもあるとかないとか・・。  

まるで自分そのものの姿を見ているようなその”ぼっちメシ”フィギュア。是非、手に入れたいと思う今日この頃なのです。

負け犬の格別なるキムチの味「グッド・バッド・ウィアード」

このキムチの味は格別なり!これぞキムチ・ウェスタン!アジアが成し遂げたマカロニの頂点のリニューアルは味わって、絶対、損はなし!

(評価 80点)

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いい奴、悪い奴、奇妙な奴、三人の奴らが、宝の地図をめぐって繰り広げる争奪戦は興奮必至のアジアの快挙だ!

 映画野郎には欠かせないジャンル、マカロニ・ウェスタン。その頂点に君臨し、カルトでいえば、今なお教祖的存在といっていい名作「続・夕陽のガンマン」。

その威光にノックアウトされ、人生を通じて、その映画に対する信仰心が未だに冷めやらない映画フリークたちも多い。勿論、この負け犬もその一人だ。

 そして韓国にも、そんな映画野郎がいて・・、その名をキム・ジウン韓国映画界きっての俊英だ。そのキム・ジウンが、アイドルに対するが如く、その「続・夕陽のガンマン」に対するミーハーな思いの丈を、自らが持てる全てのパワーを振り絞って発信して見せたかのようなパワフルな作品こそ本作。

 でも、監督がそうして、過剰な思い入れを投入して作った作品は、往々にして失敗することが多い。それに加えて、そのミーハーな対象が、アジア人には場違いな西部劇とくれば、トンチンカンになっても不思議はない。しかし、本作に限っていえば大丈夫。何と言っても作り手が巧みなテクニックの使い手、キム・ジウン。誰が見ても、何の違和感も遜色もない、それでいてエキサイティングなことこの上無い、誰の舌にも美味なこと間違いないキムチ・ウェスタンを作り上げたから恐れ入る。

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 原典の「続・夕陽のガンマン」、原題が「グッド・バッド・アグリー」な、三人の野郎たちは、いい奴にクリント・イーストウッド、悪い奴にイーライ・ウォラック、そしてアグリーな醜い奴にリー・バン・クリーフだったが、本作の三人組は、いい奴にチョン・ウソン、悪い奴にイ・ビョンホン、そして奇妙な奴にソン・ガンホ

 そんな三人組が、日本軍の軍資金が隠された宝の地図をめぐり、興奮必至の大争奪戦を繰り広げる本作は、まさに何も足さない何も引かない、その地図を追う、追っかけっこ以外に目もくれず余計なものには一切時間を費やさないところが、何ともグッド。全編通してバッドらしきところなど、見事なまでに見当たらないところがウィアードなくらいな出来栄え。

 冒頭、本作の狂言回し的なソン・ガンホ演ずる奇妙な奴のユンが登場する列車強盗シーンが実にパワフル。その時、ユンがたまたま手に入れた地図こそが、日本陸軍秘蔵の地図だったことから、争奪戦の火蓋が切って落とされる。

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 その後は黒ずくめのイ・ビョンホン、ヒーロー役のチョン・ウソンが入り乱れてユンをひたすら追っていく。ターザンばりにロープにぶら下がったチョンがそのまま集団を曲芸撃ちでなぎ倒すなど、韓国映画、そしてキム・ジウンならではのシャープなアクション演出はいたるところに健在。

 そうしたケレン味たっぷりの劇画チックな描写を交え、オープニングから勢いよく疾走する本作は、やがてクライマックスの見渡すばかりの大平原でのチェイス・シーンに突入する。

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 地図を手に、ひたすら突っ走るユンのサイド・カーを、日本軍、馬賊イ・ビョンホン、チョンらが、三つ巴、四つ巴になって追撃するエキサイティングなシーンの容赦のない追っかけに次ぐ追っかけのボルテージはもはやマッド・マックスを凌駕するといってもいい。マッド・マックスは、アクション部分にもCGを使っていたが、本作は、タカが空から地上めがけて舞い降りるファースト・カットを除き、CGはほぼ使われていない。アクション、特にこのクライマックスに関しては、CG無し、全て体当たり、命がけの本物だ。ここには、映画小僧の時、夢にまで見た映画を大人になって再現出来た男の至福の喜びを感じる。まさにこのシーンが永遠に続いて、ずっと見ていたいと思うほど。

 そして、オリジナル通り、ラストに用意された、三人向かい合っての撃ち合い。ここで明かされるお宝の正体と、韓国映画特有のヒネリは見てのお楽しみ。

 撮影中のスタッフの熱気、熱量すら肌で感じられるような本作は、本国韓国で大ヒット。今も「奴奴奴」の愛称で親しまれているらしい。本作を一度見て、好きになった人ならきっと「奴奴奴」のキャッチ・フレーズが心に刻まれること請け合いですよ~

負け犬の流れ者は地獄の強姦魔「荒野のストレンジャー」

神か悪魔か?地獄からやって来た強姦魔!寓意とレトリックに満ちたゴシック・ウエスタンの傑作

(評価 74点) 

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あの「荒野の用心棒」の名無しのジョーが町の人々をいじめ、女を平然とレイプする。イーストウッドの演出が冴えわたるカルト・ウェスタン。

 西部劇にリベラリズムを持ち込みアカデミー賞まで受賞した社会派ウェスタンの傑作「真昼の決闘」。

 平和な町ハドリーヴィルの保安官ウィルのもとに、かつて刑務所に送った、ならず者たちが出所し、お礼参りにやって来るとの報せが入る。ウィルは町の人々に協力を求めるが、誰一人手を貸そうとせず、とうとうウィルはたった一人で立ち向かう羽目になる。当時、ハリウッドに吹き荒れていた赤狩りの嵐。その逆風の中で、脆弱な民主主義を西部劇に持ち込むという意表を突く発想と、映画の時間軸と実時間を同時進行させるという斬新な手法でウェスタン映画史にその名を刻む傑作だ。

 そもそも、イーストウッドが「荒野のストレンジャー」の製作を思い立ったのも、この「真昼の決闘」の主人公が、そのまま殺されていたらというコンセプトの、わずか9ページのシノプシスをたまたま読んで、そのオフ・ビートな発想に着目したからだった。そして、「恐怖のメロディ」を放って監督デビューを飾っていたイーストウッドは、迷わず二作目の監督作として本作をチョイスする。

 陽炎に揺られ、マカロニ風でありながら、ちょっと怪奇風の音楽とともにイーストウッド扮するストレンジャーが現れる本作のテイストはまさにカルトそのもの。

 誰もが唖然とするのが、お馴染みのマカロニヒーローのルックスで町にやって来たイーストウッドのその所業。酒場で絡まれ、たちまち相手を撃ち殺す非情ぶりはいいにせよ、通りすがりの町の女を、いきなり納屋に引きずり込んで平然とレイプする。マカロニの正義感に慣れ親しんでいた観客は仰天するだろう。現に最初見た時はこの負け犬も大いに困惑した。

 だが、そのストレンジャーが、どうやら非情な町の人間に見捨てられ、墓場に葬られたかつての保安官と因縁があるらしいことが分るにつけ、本作は、残虐なメルヘンのような寓意性を帯びてくる。本作が本領を発揮しだすのは、実はそこからなのだ。

 「真昼の決闘」同様、出所したかつてのならず者3人組が、お礼参りも兼ねて町を目指して来ることを知るや、町の人間は、藁にもすがるように、よそ者であるはずのストレンジャーに女々しく助けを求める、そこで、ストレンジャーは、その条件を呑む代わりに、町の人々にあることを命じる。

 それは何と、町の建物をすべてペンキで真っ赤に塗りつぶすこと。かくして、ストレンジャーの命令で、町の人々はあくせくと建物を真っ赤に塗ることに。

 実に珍妙きわまりないこのシーン。メイキングによれば、スタジオ近辺でロケをすることを望んでいたユニバーサルの要求を退け、イーストウッドはスターとしての威光を発揮し、海辺の土地に、実際の町の建物を作らせた。建物は、インテリアまで精巧に作られたため屋内シーンでもスタジオ撮影することなく、そのまま流用された。

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 抜けるように真青な空、それに西部劇としては珍しいこれまた真青な海、そして真っ赤に塗られた町に、馬上のイーストウッドを捉えるショットは、ウェスタンというより、グリム童話のような、メルヘンチックな印象を描出する絶好なヴィジュアルとなっている。

 まさしくグリム童話のハメルンの笛吹き男のように、町の人々を思いのままに操り、そのまま去っていく、それだけで、さしてスリリングな展開も派手なアクションがあるわけでもない。しかし、不思議と面白いのは、言うまでもなくイーストウッドの堅実で、実に巧みな演出の賜物と言っていい。

 イーストウッドが優れているのは、大スターなのに、こうした変化球的なアイデアにも目ざとく価値を見出し、作品をモノにしてしまうところ。そのおかげでマイケル・チミノの「サンダー・ボルト」や、後の「アルカトラズからの脱出」のような佳作が生み出された。

 ちなみに、原典ともなった「真昼の決闘」は、あのタカ派として有名なハリウッドのデューク、ジョン・ウェインが、その卑屈な庶民根性に激怒し酷評した。本作でも、最後、町の人々は破滅同然となるが、そこにも群れるしか能がない小市民たちへ、近親憎悪的な侮蔑感を、常に孤狼のごとく我が道を歩いて来たイーストウッドが覚えていると感じるのは、この負け犬だけでしょうか。

 エンディングでは、このストレンジャーが黄泉の国から来たことを、それとなく示唆するが、イーストウッドには黄泉の国といわず、この現生でまだまだガンバッテいただきたいものですよね~